第23話 祈りの器
聖域核の間。
巨水晶から不協な高音が鳴る――ナギにだけ届く響き。
イシルは扉から入ってすぐの位置から動かなかった。
「イシル、何をするつもりなんだ? お前が近寄るのは――って、おい!!」
徐ろに剣を抜き、躊躇いもなく左手首を傷つけていた。その血が、刀身を赤く染める。
「ナギ。巨水晶時までの接近可能な距離を、音で判別できないか」
平然と、淡々と告げる声。
一刻を急く。だから、咎めないし止めない。
「そういうの、やる前に言ってくれよな。あぁ、止まれ、音が割れそうだ」
イシルがそこから剣を伸ばしても届かない距離。
「すまない。これを水平に保って、巨水晶に届けてほしい」
イシルの剣を見ると、先程まで血濡れていた刀身は、何色とも表現しがたい淡い光の雫に変わっていた。
「イシル……これ……」
「稀血は万物を癒すから。核を直せる」
言いたいことはあったが、先ずはイシルの指示どおりに巨水晶の上に零す。淡い光が巨水晶を覆うように広がる。
「足りないか。もう一度剣を」
「なぁ。この方法じゃなきゃいけないのか?」
戸惑いながら、剣を手渡す。そしてまた、躊躇いもなく切る。
――手段を選んでいられるほど余裕がないのは分かっている。魔霊の排除に力を使わないで済むように、とアゼルとウィルが止めたにも関わらず、ここで結局身を削る。
「近寄れないし、直接触れないから」
「分かるけどさ。当然みたいな顔で言うなよ、それ」
イシルは何も言葉を返さなかった。
再度、剣を受け取り、巨水晶へと届ける。淡い光で満たされていく。高音が柔らかになり、やがて凛とした音が鳴ると共に、沈黙した。
水の音だけが、静かに間を満たす。
「音が、止んだ……!」
安堵して息をつくと、イシルは傷つけた腕をそのまま隠して剣を納めた。
「イシル。手当てしよう」
そのまま扉から出ようとするイシルを捕まえる。いつもなら、ナギが言えば大抵素直に聞くのだが――今回は聞き分けが悪かった。
「もう止まった。それより、まだやらなきゃいけないことがある。もう少し付き合ってほしい」
(嘘つけ……って言っても、止まらないよな)
日々のアゼルとのやり取りを見ていれば分かる。"付き合ってほしい"と言えるあたり、まだ素直な方だ。
「いいけど、今度は何だ?」
「光の遺構まで行く」
「そりゃまた、なんで」
癒しの負荷で、息が切れる。
少しの沈黙の後、ようやく言葉になった。
「聖域核を直しても、根本的な解決にならない。あの光は、弱い……恐らく、光の遺構が水に沈んでいる所為で、本来の光が届いていない」
――分かっていて、黙っていた。
「ヴェルリアは……沈む」
「行こう」
二人は走り出した。
何をするのか詳しく話してくれなくても、この国を救いたい気持ちだけでよかった。
(きっと、俺のことも。全部教えてくれなくても、黙っていることがあったとしても――お前を信じるよ……)
王城の外。外壁の上を忙しなく往来する衛士団。
聖域核は修繕された。領域内へ侵攻しようとする動き、新たな魔霊の出現は抑えられている。後は、外壁に群がる魔霊を殲滅するだけだ。
ナギは走りながら、その様子を見ていた。向かうは首都の中心にあるルア・シェルナ湖――光の遺構が沈む場所。
中心を目指せば辿り着けるのだろうが、ジルの案内があれば早く到達できただろう。
イシルの速度はすぐに落ちた。稀血の癒しを行使した身体では、走るのもままならない。
「俺が担いでやっから、少し体力温存しろよ」
息を切らしたイシルは、素直に手を伸ばした。ナギは迷わずその肩に担ぎ上げた。
「方向、こっちで合ってるか? 空から光が降りてるところの真下?」
この際、抱えられ方に文句は言わない。ナギが走りやすければ、それで。――前は見えないが。
「流路が見えるのか。真下を目指して」
揺れるのを堪える。
「え、なに、とりあえず真下な!」
担がれたイシルの銀髪が、ナギの背中でゆらゆらと揺れる。ナギは担ぎ上げたイシルをがっしりと腕で固定して走る。
湖が見えてきた。息を切らしながら立ち止まって周囲を見渡す。湖の中央に光が見えるが、そこに向かう橋はない。
「ナギ、降ろして……ここでいい」
湖の周辺だけは緑が残され、人の往来はない。魔霊騒ぎで街は混乱している。何をするにしても、人目がないのは好都合だった。
「イシル……瞳が白銀になってる」
――ここには、願いが溢れている。
人の明日を守りたい。
ヴェルリアの平和が続くようにと、願う心が。
イシルから白銀の光の粒が、瞬き始める。
きっと、分かっていた。ジルも。
人が、人の技術で守る。その源たる光の遺構が沈み続ければ、いずれ届かなくなることを。
それでも諦めず、知恵を、技術を、求めた国。
――祈りの器。人の願いを受け取り、届ける。
でもそれは、魂に刻まれた記憶が警鐘を鳴らす。
祈りを届けてはいけない、と。
――だから、神と人を結ばない方法で。
祈らない。
願わない。
届けない。
神じゃない。
(――在るのは、贖う意志だけだ)
人としての加護の領域、"銀の理"で遂げる。
「滅びを否定する」
白銀の光が、溢れる。
湖の底、光の遺構が共鳴する。
「――光よ、留まれ。遍く満たせ」
風が目を覚ましたかのように、銀髪が揺れる。
白銀の粒子が星のように瞬き――
沈みゆく光が、湖面を貫き、天を穿った。
◆
外壁上。天を貫く光が見えた。
「またあいつ……! 無茶しやがった!!」
アゼルは舌打ちしながら、荒く乱暴な魔力制御で赤い閃光を放ち、一斉に魔霊が吹き飛ぶ。
「まぁ、必要だったんだろうけど。さすがに庇えない」
荒れているアゼルを見やり、ウィルは双剣を納めながら溜息をついた。
二人の様子から、それが誰の偉業かをジルは察した。
「まさか、あれをイシルが? 光の遺構が蘇ったとでもいうのか」
その光に魔霊が慄き、退いていく。衛士団に安堵の空気が広がっていく。ジルも銃を納めた。
「皆、よくやってくれた。念のため、引き続き警戒を頼む。俺は光の遺構を確かめに行く」
それを合図に、アゼルとウィルも外壁から離れてジルの後に続いた。
首都の中央、光の遺構が沈むルア・シェルナ湖へ。自然と歩みが速くなり、そして走った。
「彼は……何者なんだ」
問いが、こぼれ落ちた。
「お人好しの馬鹿だよ」
吐き捨てる声に怒りの色はなかった。ウィルは溜息混じりに言葉を足した。
「せめて、"すぐ無茶する放っておけない子"って言ってよ」
それは問いへの答えではなかったが、ジルは満足そうに笑っていた。
「なるほど。確かに……放ってはおけないな」
その言い方に、アゼルは眉を寄せた。
(……そう言うと思ったから言わなかったんだよ)
首都の中心に近づくにつれ、白銀の粒子が宙を漂い、空へと舞い上がっていくのが見えた。
視界が開け、湖が見えてきた。
蘇った光が、水面を輝かせていた。
――その畔、座り込む人影が二つ。
暗金の髪が風に靡いていた。その膝に、銀髪。
「おーいっ!ナギー!イシルー!」
ウィルが呼びかけると、ナギの肩が一瞬跳ね、振り返った。口元に人差し指を立て、「静かに」と促す。
「大丈夫。今は寝てる」
近寄ると、ナギの膝の上で、穏やかな顔をしたイシルが目を瞑っていた。その傍らにジルは片膝をつき、胸に手を当てて感謝の意を示した。
俄には信じがたい奇跡――その主へ。
「ありがとう。言葉ではもう、言い尽くせないが……今は、せめて……」
そう呟くと、ジルはイシルを抱き上げた。
「迎賓館に運ぶくらいは、させてくれ」
その背には、責任としての色が滲んでいた。




