第22話 陰りの兆し
湖の都ルアナダ――王城の奥深く、"聖域核の間"。
天井から降り注ぐ淡い水光が床に模様を描き、まるで深い湖底にいるような静寂が満ちていた。
ジルは一歩前に出て、落ち着いた声音で告げる。
「ここが聖域核の間だ。君に見せたいものがある」
イシルは頷き、ジルの後に続く。体にはまだ疲労が残る。それでも、この場所に触れた瞬間、胸奥がざわついた。
中央の巨水晶――それは、透明な中に白銀の光を柔らかく宿していた。巡らされた水に光が反射し、部屋全体に光が揺らめく美しい空間だった。
「最近は特に、巨水晶の光が明滅することがあってね」
その光の明滅は、まるでイシルの赤い瞳に滲む銀の瞬きを思わせ、アゼルは眉を寄せる。
「何か、感じるか?」
イシルの目には、巨水晶が放つ光がひどく疲弊しているように見えた。
光の遺構に触れた水晶。それを核として転用した人の技術は――。
「光に、負けている……弱っている?」
イシルが近寄るだけで、巨水晶に銀光が強くなるが、同時に光が震える様子は、誰の目にも明確な事実として映った。
「すごい音だな」
声の主はナギだった。ひとり、耳を塞いでいる。
「音?」
ウィルは耳を澄ますが、五感に優れるはずのソラリアの耳に聞こえるのは、静かな水の音だけだった。
アゼルのルーナの耳にも聞こえず、長く携わるジルにも、その音を捉えることはできなかった。
「イシルが近寄ると、音が大きくなる」
イシル自身にも、それは聞こえなかった。
ナギだけが、戸惑ったように言う。
「え、聞こえてるの俺だけ? ずっと高い音が響いてるんだけど……」
イシルは静かに呟く。
「ナギの感性は人と少し違うから、分かるのかもしれない」
ナギの言葉に、聖域核に近寄ることの危うさを感じて、イシルは一歩退いた。
力を受け取る物質としての限界。壊れるかもしれない。
――いや、壊れる。
それを伝えるのは、他の手段を見つけてからにしたかった。ジルに向き直る。
「湖にあるという光の遺構を確認したい」
「分かった、案内しよう。向かいながら城壁の防衛機構も見てもらいたい」
ジルの案内で聖域核の間を後にし、王城の外へと向かう。ナギの足取りは重かった。イシルの言葉に、自分の胸の奥がざわつくのを感じていた。
(俺自身もよく分からない感覚なのに、イシルは知ってるような口ぶりだった……)
胸の奥で、数日前の会話が甦る。
『本当は断ろうと思っていた。でも、断れなかった』
『俺はただの器だ。人の願いを受け取り、届ける』
あの時、ナギはただ嬉しかった。けれど今は、その言葉が違う重みで迫ってくる。
(イシルは、指輪の言葉以外にも……知っていることがあるのか?)
イシルが最初からナギに"何か"を見ていたとしたら――。
(いや――指輪がイシルに反応したのを見て、何かあるんじゃないかと思ったのは俺だし、同行を申し出たのも俺の方だろ……)
翡翠の瞳はただ、前だけを見据えて歩いた。
◆
王都外郭――
森が震え、風以外の揺れが走る。
地中から黒い光が漏れ、空が歪む。
「――魔霊反応多数! 一斉出現です!」
衛士の叫びが城門に響く。
常時監視していたはずの範囲が、あまりの急激な異常に処理が追いつかない。
「全方位! 複数地点で同時出現! 規模は……通常の倍以上だ……!」
「聖水灯を一斉につけろ!! 異変を知らせろ!」
「これでは、外界との往来が完全に閉ざされる。
この国は"囲まれ"てしまう……」
青白い灯火が列を成し、都市外壁そのものが淡い光を発しているかのように照らされた。
王城を出たばかりのジル達にも、その光景が飛び込んでくる。穏健な王子の顔に焦燥が奔る。
「魔霊襲撃の報せだ。すまない、走るぞ!」
その場から一番近い外壁に通じる道へと走る。外壁上の衛士達が王子を見つけると、すぐさま駆け寄ってくる。
「どうした、何があった」
「ジル様! 魔霊が多数、一斉に出現しました! それも……全方位に……!!」
「そうか。まずは南北の大街道の安全を優先的に確保せよ。無理はするな、孤立しないよう細心の注意を払え!」
ジルは命じながら城壁の上を目指す。それに四人は続く。前線に立つ王子と噂されるとおり、冷静な指示飛をばしていた。
「君達から見て、この魔霊の動きをどう考える?」
外壁上から魔霊を見下ろす。荒々しいが、徒党を組んでいるように見えない。
「随分、荒ぶってるな。何が、そうさせる」
「知能がある型ではなさそうにも見えるけど」
アゼルとウィルが観察する中、ナギは腕組みして首を傾げていた。
「どこかで見たことあると思ったら、前にアゼルが囮になった時に似てないか?」
「囮って、あの、わざとやって怪我した時の?」
「思い出したくねぇな、それ……」
――イシルを試そうとした時の。
「あの時やったのは、魔法陣をあえて不安定に歪ませて、不快な魔力の波を放つ挑発行為――まさか」
ナギは言いにくそうに、言葉を選んだ。
「もしも、あの聖域核が……イシルが言っていたように、光に負けて弱っていたとして。俺が聞いたあの音が、不安定になっている前触れだったら」
「その不安定な波動が、誘き寄せているってことか」
アゼルが断言した。イシルもこのまま黙っているわけにはいかなかった。
「ジル。聖域核は、恐らく長く持たない。交換はできるのか?」
イシルの言葉は、認めがたい未来を指す。
「できるが……あれはまだ二十年先まで……いや、言ってる場合じゃないな。いくつか控えの巨水晶がある。だが、問題は作業時間だ。湖に沈んだ光の遺構に触れさせる作業、設置にかかる時間を考えると……数時間はかかる」
ジルは努めて冷静であろうとした。他でもない、イシルの言葉だからこそ。
「そうか……なら、今できる手段は二つ。一つは――」
一瞬の沈黙。
アゼルがイシルの腕を掴む。
「待て。お前、また広範囲で使うつもりか?」
イシルは躊躇なく答えようとして――
ウィルが強い声で遮る。
「駄目。魔霊の排除は、僕とアゼルに任せて」
「分かった……。なら、もう一つの方。聖域核を即効性のある方法で直す」
「そんなことが、できるのか……」
ジルはイシルの横顔を見る。結局、頼らなければならない状況に、唇を噛んだ。
「すまない、頼らせてくれ。せめて、俺は前線で戦おう」
イシルは頷くと、王城の方へと足を向けた。
(俺が触れれば、あれは壊れる)
「ナギ。一緒に来て」
「俺? 分かった、行く」
即断で、二人は聖域核の間へと走っていった。
残ったジルに、アゼルが視線を向ける。
「殿下、どうする。本当に戦えるのか? 魔霊相手に」
ジルの目に決意が宿る。青鈍色の銃を構える。
湖の聖なる水を転用した蒼滴弾。
「――蒼滴の執行官だ。任せろ」
ウィルは上機嫌に笑うと外壁から飛び降りた。双剣を抜き放ち、森を裂く風となる。
「行っくよぉぉぉっ!」
ウィルの双剣が、風と影の境界を舞うように閃く。
斬られた魔霊が闇に溶けるように崩れていく。
その直後――赤い閃光が迸る。
「爆ぜろ!!」
アゼルの魔法が、幾筋もの紅蓮の光を描き炸裂する。群れごと焼き払い、地を震わせる。
衛士たちが息を呑む中、ジルが鋭く号令を飛ばす。
「各隊、二人を援護しろ! 銃士隊は退路を確保せよ!」
蒼滴弾が青白い閃光となって魔霊を貫き、霧散させていく。まるで、旧知であるような連携を見せながら、危うげない防衛戦が繰り広げられる。
――聖域核さえ安定させることができれば、この状況を乗り切れると信じて。




