第21話 理念と願い
迎賓館の一室。
柔らかな光と水音が満ちる、静かな部屋。
白い布で整えられた寝台と、淡い水光を灯す小さな術式灯が並ぶ。
ジルが控えめに扉を叩く。
「具合はどうだ?」
イシルは身体を起こせないまま、薄く目を開けた。すぐ横でアゼルが赤い魔力を流す。
胸の奥で、何かが重なる。 体が、合っていく。
その温かさに眠気を誘われている赤い瞳は、少し潤んで見える。
「……だいぶ、楽」
イシルは小さな吐息と共に呟いた。
アゼルは先回りするように、ジルに話す。
「体調は落ち着いてきている」
ジルは頷き、しかし視線はイシルへ向いたまま。
「よかった。焦ったよ。"聖域核の息"に、ここまで反応が出るのは珍しい」
イシルの赤い瞳に、白銀が滲んでは戻る。その様を、アゼルは仲間以外に見せたくなかった。
「――イシル。目を閉じてろ」
言われて素直に瞼が落ちるのを見て、アゼルはジルに向き直った。
「殿下。俺達が北の海路から来ること、誰からの情報だ?」
ジルは真っ直ぐにアゼルを見据えて答えた。
「差出人の名は、なかった」
衛士団の隊長が言っていたことに嘘はなかった。
「それは既に聞いた。匿名の報せで、なぜ国家が特別旅客だなんていって俺達を迎えたのか」
――王城は、すぐに迎えを派遣せよと。
衛士団隊長の言っていたことを反芻する。王子の意思ではなく、国家としての判断。
彼がこれまで滑らかに語った理念は、彼の信じるもの、そのものなのだろう。だが、この沈黙には何かある。
「北を往来する交易船には、ルーナが絡んでいた。しかも高名な。その報せ――名が伏せられていても、誰からのものか分かったんじゃないのか?」
あの船の甲板にあった、レイが考案した魔防紋のように。名ではなく、印が。
「そこまで察しているなら、答えは不要だろう」
ジルは誤魔化すでもなく答えた。
「ただ、これだけは言える。その報せの主の意図することは、ヴェルリアの理念に一致する」
「それは、"力に縋らず、力に依らず、人が人を守れる形"って話?」
ウィルが横から入る。アゼルの肩の力が少し抜ける。二人とも腕組みをしたままだが。
「――ヴェルリア王家には、ずっと受け継いできた願いがある。"誰の力にも依らず、人が暮らせる国を築くこと"。巨大魔霊さえ祓う術を持つ者が東にいる……そんな噂を聞いた時、俺達はようやく一つの答えを届けられる、と」
国の名ではなく、"俺達"――。
国は、人で出来ている。市井に近い王子の中では、その意識が自然なのだろう。
イシルは閉ざしていた瞼を開き、静かに聞いていた。
ジルは続ける。
「ただ、見てほしかったんだ。人が守り、人が築いた『技術』を。英雄だけに、全てを背負わせることのない在り方を」
アゼルがジルを見る。
「それが、ヴェルリアの意図か」
ジルは頷く。
「イシル。君がなぜ"白銀の旅人"と呼ばれる力を持つのか、俺は知らない。でも――」
紺碧の瞳が、まっすぐにイシルだけを見た。
「もし、君の力が"誰かの未来を開くためのもの"なら……どうか、ここで少しだけ休んでいってくれ」
誠実な紺青の瞳。柔らかい微笑。嘘は言っていないのだろう――だが、アゼルの眼光は鋭かった。
「殿下。貴方と国の理念の話はよく分かった。だが、王城の通達で『特別旅客』を迎えるために殿下が派遣された理由は、本当にそれだけか?」
イシルが何かを話そうとし、不意に小さく咳き込むと、二人が即座に振り向いた。――それまでの剣幕と目の強さのまま。
「あの……」
「寝てろ!」
「無理に話さなくていい!」
アゼルとジルの二人が同時に言い、同時に睨み合った。ナギは隣にいるウィルにだけ聞こえるように呟いた。
「仲、悪いなあ」
「あー綺麗な火花だなぁ」
ウィルもそれに合わせて、こっそりと囁く。
イシルは微かに笑った。
「……ありがとう。二人とも」
その一言だけで、二人の争いはひとまず止まった。
「今日は、ゆっくり休んでくれないか」
ジルは一瞬だけ目を伏せる。
「君の言うとおり――君達を『特別旅客』として迎えた理由は他にある」
――何かをさせるつもりでいるのか。
イシルは誰かのために自身を削ってしまう。アゼルの目が鋭くなる。
「殿下。イシルはまだ無理はできない。あまり強くお願いを押し付けるようなことは――」
「俺個人としては、本当は巻き込みたくない」
ジルは静かに頭を下げ、低く言葉を添えた。
「不審に思わせてしまったなら、すまなかった。明日、王城にて正式に話す」
そう言うと、ジルは扉の方へと向かい――振り向いた。
「君達の"力"に頼りたいのではない。助言が欲しい。それだけは、どうか」
◆
アゼルは朝から不機嫌だった。
王城で朝食を、とジルが誘いに来たのを断ると、部屋に食事を手配してくれた。そのことには感謝している。
だか、その卓にジル王子が混ざってきたことから始まり、万全ではないのに平気と言い張るイシル。陰で動いているレイのこと――。
(……昨日より近くないか?)
ジルの先導で、湖の都ルアナダの中心――湖畔にそびえる白い城へ向かう。心なしか、イシルの歩調に合わせて隣を歩いている姿に、アゼルは眉を寄せた。
「間もなく正式に話すが……ヴェルリアは今、危機に瀕している」
アゼルが眉をひそめる。
「王国が、危機?」
ジルは頷く。視線が、イシルへ向く。
「君の噂が届いたとき、王家はすぐ決断した。保護し、話を聞け、と」
ジルは苦い顔をしていた。
「力ある者を前線に押し出すのは、"人が人を守る"という俺たちの理念に反する。けれど、魔霊の異常がこのまま続けば――」
言葉を飲み込み、ジルは顔を伏せる。
イシルはその横顔を見て、胸の奥が微かに痛んだ。
(この人は……力を欲しているんじゃない。力を理由に誰かを犠牲にしたくないんだ)
「話を聞く」
ジルは驚きと、安堵と。それでもなお、消えない葛藤を抱えたままで――。
「……ありがとう」
アゼルが問いかける。
「我々も、そこに同席していいのか?」
ジルは歩みを止めずに答えた。そしてほんの一瞬、視線がイシルに重なる。
「旅の仲間も是非。君たちは"外側からの答え"を持ち得る。俺達はそれを必要としている」
王家紋章が刻まれた大扉の前で、ジルは立ち止まった。水光を帯びた巨大な両扉――王家の象徴、"湖面に満ちる三弦の月輪"。
ジルはその前で立ち止まり、扉へ手を添えた。
「では――王家の会議へ」
扉の先の円卓。国王セイス・ヴェルリアスが立ち上がり、深く頭を下げた。
「ようこそ、旅の方々。そして、白銀の旅人、イシル殿」
イシルはわずかに戸惑うが、礼を返す。アゼルたち三人も礼をとると、国王は手を上げ、座るよう促した。
セイス王が静かに口を開いた。
「まず、応じてくれたことに礼を言わせてもらいたい。君達が東で祓った巨大魔霊の噂は、遠くこの国にも届いている。それに、北の航路に潜む影も祓った、と」
ウィルが肩をすくめる。
交易船での出来事まで届いていた。
「噂って、そんなに広がってるんですね」
宰相アルドが頷く。
「本来、一国を揺るがす規模の魔霊を討つなど、伝承の中の話ですからな。信じられぬ思いでしたが」
視線がイシルに向かう。
「あなたの身体が"聖域核"の息と同調した時点で、我々は確信しました」
イシルはわずかに目を伏せる。
(気づいていたのか)
ジルは気づいていた。それが王家全体にも伝わったのだ。だが国王はそれを追及はしない。
「本題に入ろう。ヴェルリアはいま、"魔霊の侵攻速度の異常"に直面している」
宰相アルドが水光の地図を展開し、説明を継ぐ。
「こちらをご覧ください。魔霊の移動軌跡が、すべて、"城中心部"へ向いているのです」
ウィルが思わず声を上げた。
「魔霊が……光の遺構に守られた領域内を目指す?」
「あり得ないはずだが、事実、起こっているのだ」
国王が目を閉じる。
「城の中心には、聖域核がある。人が人を守るために受け継いできた"技術の心臓部"だ。知能がある魔霊ならば、狙いはそれかもしれない」
イシルが珍しく問う。
「その聖域核というのは、どの様なものですか」
その問いにはジルが答えた。
「ヴェルリアは、光の遺構の力を巨水晶に同調させることで擬似的な作用を得た。それが"聖域核"。それに触れた水が聖性を帯び、街全体に張り巡らされた水路を通じて魔霊を遠ざける機構として働いているんだ。それを街道の守りや防衛武装にも転用している」
「光の遺構さえあれば、領域内に魔霊は入ってこれないはずだ。なぜ、二重に敷く?」
アゼルは核心をを突いた。都市の基礎として、光の遺構の力が及ぶ領域内で築くのは当然。
二重に敷く理由があるとすれば、それを越えて街を拡げたか、あるいは光が減衰したか。
「それは、光の遺構が湖の中に沈んでいることに関係している」
「それについては私から説明いたしましょう」
宰相が説明を引き継ぎ、昔の地形資料を広げた。
「かつてヴェルリアの地は、美しい平原で、地表に光の遺構が鎮座していたのです。しかし千年の間に、周辺河川の合流や地形の変動により盆地に水が溜まり、広大な湖となりました」
――自然の力による、地形の移り変わり。
「光の遺構は湖底深くに沈み、その強力な守護の光は分厚い水層に遮られ、地上には微かな残響しか届かなくなったのです」
ジルが後の言葉を引き取った。
「最近の異常な増水により、光の遺構がある湖の水位が上がって、光が地表に届きにくくなっている。夜で城下近くまで迫ることさえある」
その言葉に、室内の空気が重く沈む。
国王が小さく頷く。
「この国は、魔霊の波に呑まれるかもしれない」
視線がイシルに向く。
「――だからこそ、君を呼んだ」
アゼルが即座に遮るように立ち上がった。
「殿下、国王陛下。イシルはまだ完全に回復していません。彼を頼る前提で話を進めるのは――」
国王は制するように手をあげた。
「貴方の力で戦ってくれとは言わない。ただ、この国を、聖域核を見た時、何か"感じるもの"があるのではないかと。どうか、助言をいただけないだろうか」
イシルの心が揺れた。
(感じる、もの)
ジルが小さく言う。
「イシル。"巻き込みたくない"という俺の気持ちは今も変わらない。だが……君の存在が、この異常を解く鍵になるかもしれない」
彼の声は震えてはいない。けれど、"願ってしまっている"自分への葛藤が滲んでいた。
イシルはそっと息を吐いた。そして、静かに言う。
「わかりました……」
王家の者たちが顔を上げた。
ジルの瞳が揺れ、かすかに微笑む。
「……ありがとう」
国王が立ち上がり、頭を下げた。ジルに目線を送る。ジルがイシルに寄り、手を差し伸べる。
「では、案内しよう。ヴェルリアの心臓――聖域核へ」
湖の光をまとった扉が開き、城の最奥へ向かって歩き出す。
水光が揺れ、扉が静かに開いていく。
ヴェルリアが抱える"陰り"と共に――。




