第12話 双の伝承
ウィルが語り終えたあと、しばらくの沈黙が落ちた。
重い、深い、息の音すら落ちるような静けさ。
最初に口を開いたのはアゼルだった。
「ソラリアのいう、ルーベルが果たせなかった"使命"。それは、具体的に……何だ?」
ウィルは、語るべき言葉を選ぶように沈黙した。 ナギも視線を向け、息を飲んだ。
アゼルの声は静かだ。 だがその奥には、彼自身まだ気づけない"不協和"が潜んでいた。
(何を守るために、ソラリアはそこまでやる?)
ソラリアは温和で中庸を重んじる種族のはずだ。だが、その決断は異質だった。
ひとりの子を十八の青年に託し、誰にも悟らせず外の世界へ出させるほどに。そこまでして守る使命とは何か。
ウィルはゆっくりと息を吐き、頷いた。
「僕が知ってることだけ、話す」
そして告げた。
「ソラリアのいう使命は、白き神の復還」
アゼルの瞳が揺れる。
その名を、軽々しく扱っていいはずがない。
ナギが確認するように、創世詩の一節を口ずさむ。
「"はじまり、世界は祈りだった。形も、言葉も、光もない。ただ想うだけの世界。痛みに変わった祈りを、神は三つに裂いた"――だろ? さすがに俺も、小さい頃から聞かされてたから知ってる」
ウィルは頷き、続けた。
「白き神は三つに祈りを分け、それぞれは"形"を得て地に降りた。――その三つを再び集めること。それが、白き神の復還に必要なんだ」
ルーナでも、子どもの頃から聞かされる創世神話。
だが――アゼルの胸の奥で、別のものが芽を上げた。
(……おかしい)
白き神の神話。 赤瞳の乙女ルーベルの伝承。
それらは表裏一体のように語られているのに。
ルーナには、ルーベルの"影も形も"残っていない。
あり得ない。アゼルは幼い頃から、月光の民の伝承を"完全"だと信じていた。
そこに必ず登場する名がある。
――シルヴェル。
夜を導き、理の光を纏い、闇を裂いた銀月姫。
その詩には、必ずこう記される。
『二人の守護者と共に、理の光を纏いて』
『星を牽くごとき、銀の髪』
銀髪。理の光。だが赤き瞳の語は、一度も出てこない。伝承が欠けているのか。それとも、 誰かが意図的に"別の名"で語ったのか。
繋がる線が、どこかでねじ曲がっている。
そして何より。
("白き神の復還"に、イシルが関わる?)
ウィルが淡々と告げた。
「三つの祈りを集める時、祈りを"宿した器"は限界を迎える。神が離れれば――人の器は、死ぬ」
ナギは小さく目を伏せた。冷たい痛みが落ちていく。
アゼルはゆっくりと顔を上げた。 そこに宿るのは怒りでも焦燥でもない。もっと根源的な、鋭い疑念。
「ウィル。ルーベルの使命は分かった。でも、もう一つだけ聞かせてくれ」
視線が細く、深く、ウィルへと向く。
「その"器"ってのは…… まさか、イシルのことじゃないだろうな?」
アゼルの声が鋭く響いた。深い沈黙が、三人の間を満たした。ウィルの声は低く、もう震えていなかった。
「だから、止めたいんだよ」
確かな強い意志を秘めて。
その紫水晶の瞳は、静かに燃えていた。
その重さが部屋に沈殿し、長い沈黙が続いた。
破ったのはアゼルだった。
ゆっくり息を吐き、額に手を当てながら言う。
「どうにも腑に落ちないんだよ。色々とな」
ウィルが顔を上げる。アゼルの声には怒気はなく、ひどく静かな"違和感"だけが潜んでいた。
「ウィル。お前の話は辻褄が合ってる。ルーベルの使命も、稀血の扱いも、外界の事情も。全部、納得できる」
アゼルは淡々と続けた。
「だが、俺の知ってる"伝承"とは、あまりに違いすぎる」
ウィルは、本当のことを話している。誤魔化しはない。アゼルは指を折った。
「まず、ルーベル。 外界じゃ"赤き瞳の英雄"として語られてるんだよな?」
「……うん」
「でも、ルーナの記録には、ルーベルなんて名前は残っていない」
ウィルが息をのむ。
「代わりに語られてきたのは──シルヴェルだ」
アゼルの声が低く落ちる。
「銀月の詩、夜を導いた白銀の姫。二人の守護者と共に世界の闇を裂いた"始まりの名"だ。 ルーナなら誰でも知ってる」
ウィルは目を見開いた。
「そんな名前、聞いたことないよ」
「だろうな」
アゼルは続ける。
「おかしいのは、両方が"英雄"として語られてるのに、互いの文化には全く影が残っていないことだ」
アゼルはさらに指を折った。
「語られた特徴も違う」
ルーベルは"赤い瞳"だけ。シルヴェルは"銀髪"だけ。
「イシルは──両方持ってる」
ウィルの肩が震え、ナギは黙ったまま息を呑む。
アゼルは淡々と結論に至った。
「違う伝承。違う価値観。 違う政治的意図。――外界では"保護されるべき英雄の血"として名を与えられ、ルーナでは"起源の祝福"として象徴化された」
そして静かに告げる。
「つまり、別人みたいに語られてるが、恐らく"同一人物"だろうな」
断言ではない。だが、確信に近い。
ナギは確認するように、言葉を紡いだ。
「イシルは、 二つの文化が別々に語った"ひとつの原型"を持ってるってことか?」
外界では"赤い瞳"は特異なもので、"銀髪"は珍しくなかった。だから"赤い瞳"だけが語られた。
"赤い瞳"が当然のルーナでは、それは語られず、夜闇の象徴たる黒髪以外の"銀髪"だけが語られた。
アゼルは頷き、続ける。
「問題は、どの部分が真実か、だ。 どちらの伝承も、終わり方は不自然なほど似ている。"滅びを退けた"あと、命の終わりを迎えた」
アゼルはそっと息を吐く。
滅びを退けることが使命なら――。
「使命が本当に"そこで終わった"のか。それとも"終わったことにされた"のか…… そこが分からない」
ソラリアが語る使命と、 ルーナの伝承から欠落している使命。
(叡智の民だ、と信じていた……)
──どちらが正しく、どこで捻れたのか。
しかし、アゼルは次の言葉を飲み込んだ。
ルーベルにも、シルヴェルにも。"二人の守護者"がいた。
これはまだ確証がない。軽々しく口にできる話ではない。
ただ、胸の奥で問いだけが沈殿する。
(その"二人"は、誰だった?)
沈黙が落ちたあと、ナギは口の端を少し上げた。
「救わなきゃいけねぇ理由が、増えたな」
翡翠の瞳に焼き付いた、イシルの眼差し。
——その優しさが、世界にとって"邪魔"だとしたら。
(そんな世界、俺はいらない)
三人の視線が、同じ一点へ向かう。
──イシルへ。




