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第11話 例えば、ひとりの命で

 夜の帳が降り、レイ私邸の一室。

 扉が閉まり、魔除けの符が細かく揺れた瞬間――アゼルの膝が、音もなく床に落ちた。

 張りつめていたものが一気に切れ、喉の奥から乾いた息が漏れる。


「……全部、俺のせいだろうが」


 額に手をあてる。

 指先が震える。認めたくないほどに。


 イシルが言った"余計なものを引き寄せる"。

 あの時は、半ば冗談だと思っていた。


 ――まさか、本当に"化け物"が二人も現れるなどと。


 思考が、勝手にあの光景を反芻する。


 キリル。一見ただの剣士。だというのに、ウィルに触れずに干渉した。

 あれは魔法か。 違う。魔力の流れが一切なかった。

 何をした、どうやって。理解の枠に入らない。


 防御結界を砕いた一瞬もそうだ。剣先で、ただの一閃で粉砕した。人の技術じゃない。生物の域すら越えてる。


 そして――レイ・アルシェ。


 ルーナなら誰もが知る天才の名。

 稀代のルーナ、始祖の影。


 だが今日見たのは、そんな生易しいものではなかった。


(異質な光――あれは、魔力じゃなかった)


 魔を超えた領域。言葉に落とした瞬間に間違いになるもの。存在自体が矛盾している。


「勝てるもんか、あんなもんに……」


 誰が。何が。自分の力が、笑えるほど小さく見えた。


(イシルを守る? 何を守れるつもりだった? 何を)


「くそ……」


 膝の上で握った拳が震え続ける。

 自分はイシルの「力」を確かめた。それが引き金となり、キリルとレイを呼び寄せた。その結果――イシルは死にかけた。

 責任は、紛れもなく自分にあった。


「僕も、だよ」


 俯くアゼルの横で、ウィルの声がかすかに揺れた。

 椅子に座り込んだまま、肩を丸めていた。目が赤くなっている。


「僕が……自分を、止められなかったんだ」


 自分の掌を見つめる。爪が皮膚に食い込むほど力がこもっていた。震えた声は悔しさだけじゃない。

 恐怖、無力、自己嫌悪。全部が混ざっていた。


「僕が、弱かった。イシルがあんな……傷……」


 唇が震え、そのまま涙が落ちる。アゼルが言葉を探すように横目で見た。だが何を言っても届かないことを、分かっていた。


 "心の座"を奪われた。まるで存在そのものに干渉されたような、圧倒的な力の前で成す術もなく。

 キリルは、触れてもいない。ただ視線と、あの静かな声だけで、全てが止まった。

 誓いも、決意も、願いも――全部ひっくり返された。


「守りたかったのに。僕……」


 小さく落ちるその言葉は、何より弱く見えた。

 アゼルは崩れ、ウィルは震え、イシルは眠ったまま。

 

 そしてレイは――。

 "全部知っているのに黙っている"ような顔。

 その沈黙は、理解ではなく諦観に似た、別の何か。

 ――ナギには、そう見えた。


 ナギは、そこで大きく息を吐いた。


(何なんだよ、これ)


 胸の底に沈むものがあった。


(俺が願い出たから……イシルは。だから――)


 その瞬間、ナギは両頬を平手で叩いた。


「違うだろ」


 声に出した。

 ――問題の根っこは、そこではない、と。

 もっと深い。もっと長い時間の中にある。


(なぜ、イシルみたいな優しい奴が、"傷つくこと"を前提に世界の中心に置かれてる? なぜ人は、力しか見ない? 心はどこへ行く?)


 ナギは拳を握った。


(俺に、できることなんか……)


 そう思った瞬間、否定するように強く息を吐いた。


(……いや、ある。俺でもできることが、一つだけある)


 イシルを、"人"として見続けること。


 それは使命ではなく、力でもない。祈りでもない。

 ただ人として、関わり続けること。

 それは、普通の人間にもできること。

 翡翠の瞳が自然と鋭くなる。


 アゼルもウィルも黙っている。

 沈黙の中で、ナギだけが前を向いていた。


「俺は、知らないんだ」


 呟いた声は、低く、強かった。


「イシルが、何を背負ってるのか。何を抱えてここに来たのか。何も知らねぇ。だから――教えてくれ」


 翡翠の瞳が、鋭く二人を貫いた。

 椅子を軋ませ、身体を乗り出す。


「二人とも。知ってること全部、話せよ」


 その声は低く、静かで、どこまでも真っ直ぐだった。部屋の空気が変わった。差し込む月光の中で、三人の影が重なる。



 ナギの低い一言が落ちた瞬間、部屋の空気がわずかに揺れた。


 ウィルは何度か口を開きかけては閉じる。喉が震えるたび、言葉が形にならずに戻っていく。

 アゼルは黙ったまま。語るべきは自分ではないと知っていた。


 やがて、ウィルは浅い息を吸い込み、震える手を膝に置き直す。ゆっくりと顔を上げた。


「キリル。あの人は、ソラリアの中でも"特別"なんだ」


 ナギが眉を寄せ、アゼルが静かに目を細める。

 ウィルは慎重に言葉を選び続けた。


「ソラリアっていう種族は、古くは ルーベルの守護者 だったって云われてる。ルーベルが果たせなかった使命の続きを、"その時"のために、ずっと待ち続けてきた」


 アゼルの表情がわずかに揺れたが、まだ口を挟まない。


「十数年前、稀血が生まれた。でも、その少し前――ソラリアの中で、"色の違う加護持ち"が生まれたんだ」


 アゼルが低く遮る。


「待て。ソラリアは加護持ちの種族じゃない」


 ウィルは静かにうなずく。


「普通はね。でも、生まれてしまったんだよ。どこかがズレた、加護とでも呼ぶしかない存在が」


 短い沈黙の後。


「――それが、キリル・ブラント」


 名が落ちた瞬間、部屋がひりつく。

 ウィルは淡々と、だが深い痛みを滲ませ続けた。


「キリルは十八で守護者に選ばれ、使命を与えられた。ルーベルの果たせなかった使命の"続き"を守るために。そして、たったひとりで王家から稀血を連れ出した。誰にも気づかれずに、完璧に」


 ナギが息を呑む。


「稀血って、イシルのことだよな」


 ウィルは目を伏せ、肯定する。


「それからずっと……キリルはイシルに剣を教えて、

 使命を教えて……何でもかんでも、独りで背負ってきた」


 声が少し震えた。


「今日のことも、本当は起きちゃいけなかったんだ。誰かに手を出されるのも、イシルが傷つくのも、全部」


 ウィルは苦しくても、辛くても、言葉を紡いだ。


「イシルがひとりで旅に出るのも、誰かと一緒に歩かせるのも。本当は、キリルは嫌だったと思う。あの人は――イシルひとりを守るための存在だから」


 アゼルが眉間を押さえた。


「あの化け物、イシルのためだけに存在してるのか」


 ウィルは否定をしなかった。ナギが低くつぶやく。


「……だから、俺達をあんな目で見たのか」


 ウィルは苦しげにうなずく。


「うん。キリルは……イシルを守るためなら、本当に、なんだってやる」


 そして、小さく自嘲するように笑った。


「でもね、それだけじゃない。守護者には"戒め"があるんだ。『ルーベルの使命を継ぐ者は、誰にも愛されてはならない。孤独でなければならない』って」


 アゼルの顔が険しく歪む。


「はぁ?」


 ナギの瞳にも、静かな怒りが灯った。

 ウィルは続ける。


「僕ね、昔……キリルに聞いたんだ。どうしてそんな戒律を守らないといけないのかって」


 喉に溜めた息をそっと吐く。


「そしたら、キリルはこう言ったんだ」


 それはまだ、稀血が保護されて間もない頃。

 ――ウィルは当時を語った。


『たとえば、ひとりの命で世界を救えるとして。その命が誰にも愛されていなければ、誰も悲しまないだろう』


 ――愛されれば、使命を果たせなくなるからだ。


『そんなの、悲しいよ』


 ――悲しむことすら許されないのか。


『その命が、愛されることを拒んでいたなら本望だろう』


 ――誰も悲しまなければ、迷わず歩けるから。


『それでも僕は、拒まれても届けたい』


 ――勝手で幼く甘い思想。


『そうか。届くといいな』


 ――届かない、と知っている声。



 その声が、今も耳の奥に残っている。

 ウィルは、目を伏せたまま言葉を絞り出した。


「だから……僕はイシルの傍にいるんだ。拒まれても。届かなくても。それでも、届けたいから」



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