2 侯爵令嬢の目覚め
異世界転生って本当にあるんだなぁ。
目が覚めたパトリシアはボーっとしながら今夢見たことを思い出していた。家の廊下を歩いていて段差に躓きうっかり転んでしまった。その時頭を打ったようで意識を失ったようだ。
その間夢を見ていた。日本という国で三姉妹の次女として過ごしている夢だ。
夢の中でパトリシアはアズサと呼ばれていた。
毛布を被って眠ることが大好きで、美味しいものを食べることも大好き。お姉ちゃんは優しくて、バイト帰りにケーキ買ってきたよ!とニコニコとアズサに箱を渡す。箱を開けると妹のヒナノが覗き込んでくる。
「私チョコケーキ!」
元気いっぱいに言った後、アズ姉はチーズケーキでしょ?と笑った。チーズケーキ大好きな私は微笑んで頷く。
幸せな夢だった。
目覚めた後に今の夢は前世で本当にあったことなんだろうと思った。
起きた時に気付いたのだ。綺麗に流れる銀の髪に薄い青の瞳。8歳のパトリシアは表情があまり変わらず冷たく見える美少女だ。表情筋が仕事をしていないらしく、無表情と思われることが多い。
三人が好きだった漫画に出てきた悪役侯爵令嬢のパトリシアだわ。まさか自分がパトリシアになってるなんて思いもしなかった。
漫画の中でパトリシアはヴァイオレットと一緒にソフィーをいじめる。ヴァイオレットは嫉妬でソフィーをいじめていたけれどパトリシアは違った。ソフィーも王太子もどうでもいい。
パトリシアが大切だったのはヴァイオレットだけだった。
初めて会った時から特別な人。
この人のためならなんでもしてあげたい。
だからヒロインをいじめるヴァイオレットの手助けをした。そしてヴァイオレットと共に断罪されたのだった。
漫画の中でパトリシアは修道院に行く途中に襲われ崖から落ちて亡くなる。最後までヴァイオレットのことを思いながら落ちていくのだ。
今のパトリシアとは違う。
今の自分はヴァイオレットのためにいじめでもなんでもする人間ではない。と言うかそんなめんどくさいことしたくない。
ふかふかのベッドでたっぷり寝て、美味しいものを食べて。そんな幸せな生活を送りたいのだ。いじめなんてやってる暇はない。
今のパトリシアは原作の性格とは違う。違うのだから原作通りの行動をする気はなかった。
ヴァイオレットとは単なる同級生として過ごそう。
そう決めて別のことを考える。騎士団長の息子ブライアンのことだった。前世のパトリシア――アズサの推しキャラ。
少し濃いめの金色の髪と瞳の大型犬のように可愛い人。
漫画の中でブライアンはソフィーに一目惚れして周りから離れない。
「ソフィー! 一緒にランチに行こうよ!」
「申し訳ありません、ブライアン様。今日は殿下とご一緒することになりましたので」
申し訳なさそうに視線を落としてお詫びするソフィーを見て、ブライアンは肩を落とす。あるはずがない犬耳と尻尾が垂れるのが見える気がする。
「えー! 殿下ずるい! 俺もソフィーと一緒に過ごしたい」
シュンとして言うブライアンに王太子は苦笑する。
「すまないな、ブライアン。今回は譲ってくれ」
そう言われてブライアンは、また今度誘うから!とソフィーに伝えて去っていく。多分また今度は今後も無いだろうと周りはみんな思っている。王太子がヒロインを誰かに譲るはずがない。
漫画の中でブライアンはずっとソフィーを好きでいて、ソフィーも少しときめいたり、殿下が嫉妬したり、当て馬として大活躍だった。最後は二人の仲を祝福して「いつか俺も二人のように愛し合える相手を見つけるから」と涙を堪えながら言うのだった。
ブライアンを幸せにしてあげてよ!と姉妹で文句を言った覚えがある。
結局本編でも番外編でもブライアンは誰ともくっつかず、漫画のキャラにガチ恋するタイプのアズサは「私が幸せにしてあげるのに」と心から思うのであった。
そんな大好きなブライアンがいる世界に今パトリシアはいる。
これはチャンスなのでは? 大好きなブライアン様にお会い出来るチャンスなのでは? ヒロインに一目惚れするだろうけど、それまでの間少しは仲良く出来るのでは?と思ったが残念なことにアズサなパトリシアは少しのんびりとした性格だった。
もう少し積極的にと言われることがある。
なので実際にした行動は父親に「もし機会があればブライアン様と婚約したい」と告げただけだ。それでも頑張ったほうだ。
そして最低限侯爵令嬢がやらなければならないことをしたりふかふかのベッドで眠ったり美味しい物を食べたり、毎日をいつも通りに過ごした。
例え少しの風でも、風さえ吹いたら桶屋が儲かるかもしれない。この一言がブライアン様との縁を繋ぐかもしれない。
そして奇跡が起きてパトリシアはブライアンと婚約することになった。




