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配達デビュー

様々な人種がうごめく町、新宿。老人も若者も、男も女も。そしてそこには人だけでなく人ならざるモノもひっそりと影を潜めて生きていた。あの店も、この店も。私たちが気づいていないだけで、彼らが隠れているだけで。


ガッシャーンッ

けたたましい硝子の割れる音が店の隅々まで響き渡った。鋭利にとがった瓶ビールの真っ黒なかけらを眺めて、澄は深くため息をつく。

「こら!(すみ)!また割ったの?!」

母、加奈子(かなこ)のラッパのような張りのある大きな声と、その声の主と納得のいく大きな足音が空き瓶置き場に向かってくる。

「ごめんなさぁい…一ケースまるまる割っちゃいましたぁ…」

腰につけていたゴム手袋をはめ、澄は慣れた手つきでひょいひょいとごみ箱に片づけていく。16歳の誕生日から働き始めて二か月。割ったお酒の数はちょっと経営が危うくなりかけるくらいだ。指でつまめるほどの大きさの欠片をすべて取り除き終わり、少し痛くなった腰を伸ばそうと立つと、仁王立ち、いや仁王様も真っ青になって裸足で逃げ出すだろうという形相の母がいた。

「澄、今月に入って20本目だけど、なにか申し開きは?」

まったくもってない。母の言うとおりに滑り止めの手袋をしなかった澄が悪いのだ。

「ありません。たいっへん申し訳ないです」

深々と頭を下げる。

「潔くてよろしい。また給料から天引きしておくからね。しかしまぁ、澄には在庫搬入は向かないかねぇ」

もう還暦も近いのにシミ一つなくきれいな眉間にしわを寄せ、加奈子は少し考える。澄は反省を示すため、気を付けの姿勢で加奈子が次に紡ぐ言葉をまつ。澄からしたら永遠にも思えるほどの時間がたったあと、加奈子がため息とともに、

「澄、配達でてみる?」

待っていた。この言葉を澄は二か月間ずっと待っていたのだ。

「行く!!!!行きます!!配達出る!」

嬉しくて先ほどまでのしおらしい声と姿勢はどこかへと吹っ飛んでしまった。そう、澄は子供のころからずぅっと配達に憧れていたのだ。大好きな自慢の屋号を記した荷物籠に目いっぱい配達物を積んで、キャップをかぶり、重たい樽やビール瓶を颯爽と運ぶ自分の母やほかの配達員の背中を見て育った澄は、将来の夢の作文に熱烈な愛を書き連ねるほどに配達という仕事に憧れがあった。その憧れを果たすべく、母にお願いして働かせてもらっているのだから、その喜びと言ったらなかった。

「いい?きちんと交通ルールを守ること。手袋をすること。お客様の商品を指定されたルールで運ぶこと。できる?」

「できますできます!もう全然できます!任せてください!」

「よし。じゃあはい。うちのキャップ。今日から澄もうちの配達員だからね。」

何十年もの加奈子の汗と日差しを浴びて少し色あせたキャップを加奈子がかぶせてくれた。とうとう憧れの仕事に就くことができた喜びで澄はもう天にも昇る心地だった。

「しっかりやるんだよ。あ、ちょうどさっき配達が入ったから、その配達に行ってもらおうかな」

「はい!わかりました!行きます!」

「そこの自転車、表に出してきな。あとウエストポーチと端末とプリンターも。セットしておきな。その間に商品集めておくから。」

「はい!」

加奈子は少しの呆れと嬉しさが混ざった笑みを見せ、奥に澄の配達用の荷物と伝票をとりにいった。空き瓶置き場のすぐ外には車庫がありそこにいつも自転車は置かれている。普通の、どこにでも売っているママチャリほどの大きさの自転車だが、澄にはとてつもなく輝いていた。丁寧に丁寧に車庫から自転車を出し店のすぐ外の道路の端に止める。荷物を載せるときに前輪がぐらつくと危ないため、しっかりとロックをかける。ずっと加奈子が配達にいくのを見ていたので迷いはない。店に戻り、自分のロッカーからウエストポーチをとり、配達情報の入った端末とその対となるプリンターの電源を入れる。端末用のポケットにカラビナを通し端末に結ばれた輪に通す。しっかりとカラビナもロックをかけたら、準備は終わりだ。タイミングよく加奈子が少し大きめの段ボールと伝票を持ってきた。

「はい。これね。ここ、昼は開いてないから、カギを使って入って、カウンターの下に置いてくるんだよ。ちゃんと瓶も回収してくること。割らないようにね。それと」

「はいはーい。気を付けまーす。」

加奈子からカギと段ボール、伝票を半ば強引に奪い取り、伝票に書いてある住所をスマホに入力する。

「ま、いいか。気をつけていってらっしゃい。なんかあったらすぐ電話しな。」

「わかった!じゃあいってきます!」

自転車の荷物籠に段ボールをそっと置き、荷物が飛び出さないように鉤爪のついたネットをかぶせる。スマホのナビをセットし、ロックをはずして、準備は完了だ。自転車にまたがり、いつも歩いている道ではなく車道を走りだした。あとはナビに従うのみだ。



【Bar Ruby】

スマホが示す現在位置と伝票に書いてある店名を照らし合わせ、それらしい看板を見つけた。人一人がやっと通れるくらいの狭さの階段がビルとビルの間の建物の中に吸い込まれるようにあった。近年流行っている隠れ家的なバーはこういう所在地にあるバーのことを言うのかな、などと考えながら自転車にロックをかけ荷物を運ぶ。二階分の階段を上ると、コンクリートの壁に不釣り合いなどっしりとした木の扉が現れた。カギをあけ、中に入り、加奈子に教えてもらった電気の位置を手で探る。かすかな手ごたえの後に、パッと電気がついた。

「えっ?」

今さっきまで誰かがいたような店内が広がっていた。開いたままのトイレの扉。放り出された布巾。あきらかに誰かが寝ていた毛布。出しっぱなしのマドラーと少し水の入った小さなコップ。なにより、この物価高の時代に似合わない、つきっぱなしのクーラー。

「あ、すみませーん。配達のナリヤです。」

一応挨拶をするも全く返事はない。だが絶対に誰かいる。いや、何かがいる。なんとなくではあるが、澄はそういう感覚が鋭かった。訝しがりながらも、仕事は完遂するべくカウンターに向かい、荷物と伝票を置く。カウンターの下に置かれた回収用の瓶を数え端末に記録し、持ってきた瓶と入れ替えていた時だった。確かに眼の端に動くものを見た。パッと振り向くもすでに遅く、結局、何かを捉えることはできずに初の配達は終わった。



「ねえ!お母さん!あのお店なんかいた!なんかいたんだけど!?」

加奈子に詰め寄り、鼻息も荒く報告する。

「あのね。澄の悪いところ。人の話を最後まで聞かない。」

「いやそれは私が悪かったんだけどさ!ん、まってお母さんあの店のことなんか知ってるの?」

「今度からちゃんとお母さんの話聞く?」

「聞く。絶対聞きます。」

「よろしい。あそこはね、妖精のバーなんだよ」

まさかの唐突なファンタジーに、荒かった鼻息が止まる。澄は知っている。加奈子はそういうおとぎ話で子供を揶揄うような人ではないことを。だから余計に衝撃だった。

「正確には妖精と人間の、だけどね。あそこの店主ドイツ人なんだけど、妖精憑きらしくてね。こっちに来るときに一緒についてきちゃったんだって。お店閉まってるときにはすきにさせてるらしいよ。その代わりに人を呼び込んでもらったりしてね。あそこ、すごいとっ散らかってたでしょ。妖精たちが遊んでるんだよ。今日はちょっと早めに行ったから妖精たちもびっくりしたんだろうね。」

まるで、今日の朝ごはんの目玉焼きが焦げていたのは火加減を間違えたからだ、とでも言っているような説明に、澄は妙と納得しそうになった。

「ここはね、人も、そうでないモノもわりと入り混じって暮らしている土地なんだよ。それはもうずっと昔から変わらない。入り組んでいて、昼も夜もごっちゃになるここでは、全員が他人であり友人なんだよ。人も、それ以外もね。あのーほら、澄と同じクラスだった美玖(みく)ちゃん。あの子もそうだよ。なんだったかは忘れちゃったけど。」

「えええええええ」

「もっと早く言っておけばよかったかなぁ。いやぁ失敗失敗」

かかかと笑う加奈子。空想の中のものがいきなり現実に出てきた、しかも身近にいた、ということに圧倒されてピタっと動かない澄。まったく美しいまでの対比だった。

「えー。じゃあさ、ほかにももっといるってこと?その、そうでないモノって。」

「そうね。うちはひいおじいちゃんの代からここで商いをしているから自然とそういうモノ達とも取引が増えてね。配達先の三分の一くらいはそういうのだよ。だ・か・ら私の話はちゃんと聞くこと。いいね?」

咀嚼している衝撃の重さで、澄は自然とうなずいていた。

「よし。どうする?もう一軒配達あるけど、いける?」

不思議と怖さはなかった。なぜだろう。澄の中にあるのは、変人の隣人が実は世界的なロックスターでしかも失われたムー大陸人だったとか、そういう類の衝撃だった。咀嚼し、呑み込んでしまえばあとはもうそういうモノと受け入れられる。そして消化し終わったあとには好奇心がわいてくる。もしかしたらもう片方の隣人はマッドサイエンティストで家の内部は無重力になっているのかもしれない。隣人の隣人は?そのまた隣人は?そしてその好奇心を、長い年月で膨らんだ憧れが後押しする。

今度は自分の意志ではっきりと、澄はうなずいた。

「もちろん!行くにきまってる!」



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