第9話 日記
むぅっ、と秋夜叉姫は血色のいい唇を尖らせる。
〈気合が入ったと言うより、これはあれじゃな。〉
「もしかして、怒っておるのか。」
「当たり前じゃないですか。大事な物を蛙に食べられたんですよ!」
結衣は叫ぶ。
その勢い、
その迫力、
もはや大怪獣である。
ギャースと火を噴くように叫ぶ結衣に、ははっ、と秋夜叉姫は笑ってしまう。
〈いけしゃあしゃあと自らを乙女と言うとはなぁ・・・。うん、妾もびっくりじゃ。〉
結衣のふてぶてしさに感心する秋夜叉姫だが、さてさて、とため息をこぼす。
〈もう死んだのだから、私物がどうなってもいいじゃろう。などと言えば、口からだけでなく四肢からも火を噴いてグルグル回りそうじゃ。〉
もう疲れたぁ、と嘆く秋夜叉姫だが、刻限が迫っていることを思い出す。
困ったのぉ、と腕を組んだ秋夜叉姫は
「おぉ、そうじゃ!」
と、明るい顔を結衣に向ける。
「妾としたことがとんと忘れておった。其の方があまりにも意味不明なのが悪いのじゃ。」
指をさす秋夜叉姫に対して、
〈私は至って普通の乙女ですよ。〉
と言い返そうとする結衣の口を人差し指で蓋をした秋夜叉姫は、ニッコリと笑う。
「これを見よ。」
秋夜叉姫が空間から一冊の本らしきものを取り出した。
じーっとその本を見ていた結衣は、嘘でしょ、と立ちすくむ。
〈表紙についたシミは、ビールをこぼした時のやつ。間違いない、あれは私の日記。〉
絶句した結衣は、ここに無いはずの日記を凝視する。
静かになった結衣を見た秋夜叉姫はニッコリと微笑む。
〈かわいいところもあるのじゃな。感極まって動けなくなるとは。〉
盛大に勘違いした秋夜叉姫は、結衣の日記を高々とかざす。
「ここに其の方の日記が残っておる。感謝せい。」
ご機嫌な秋夜叉姫の前に金縛りにあったように固まっていた結衣はどうにかこうにか声を絞り出す。
「全部食べたって言いましたよね。」
「転生者のことが分かる物は、猿神が調べることになっておる。其の方の日記は面白いから読むべし、と猿神が妾にくれたのじゃ。」
結衣の日記を満面の笑みでペラペラと秋夜叉姫はめくる。
ギリリリリッ、と結衣は歯を食いしばった。
〈なんてことを・・・、猿神。いいえ、クソ猿で充分よ。よりにもよって、どうして日記を残すの。クソ蛙と一緒に臼でついてやるから、柿でも食べて待ってなさい。〉
結衣の瞳に宿る劫火は燃料を投入され、さらに大きく燃え上がった。
空気が怒りの色に染まるのを感じた秋夜叉姫は、何じゃぁ、と素っ頓狂な声を出してしまう。
「よく見よ。正真正銘、其の方の日記じゃぞ。なぜ怒る。」
「分からないんですか?」
地獄の亡者が漏らしたような声に秋夜叉姫は、ただ黙って首を横に振る。
フハハハハ、と高笑いをした結衣はギラリと目を光らせた。
「乙女の日記を勝手に回し読みする神など神ではありません。猿神は堕落の実を食べた堕メ神と認定します。」
「堕落の実って・・・。日記とは、皆に読まれるものじゃろうに。何を言っておるのかさっぱり分からん。」
ため息混じりに、秋夜叉姫はこめかみに手を当てた。
二人の間に何度目かの静寂が生まれる。
〈日記がみんなに読まれるものですって・・・〉
ここでようやく、結衣は認識の違いに気づいた。
「あのですね、昔のお貴族様とかは日記を誰かに読まれることを前提に書いていました。いえ、今も偉い人なんかは、公開前提かもしれません。」
「そうじゃろ・・・」
頷く秋夜叉姫の言葉を結衣は遮る。
「私は庶民なんです。私が日記をつけるのは、私のためです。日記には私の夢や希望、苦しみ、ありとあらゆる感情が詰まっているんです。いわば、乙女の分身。それをこともあろうに盗み、読み、渡すとは・・・。その罪、八つ裂きにしても飽き足りません。」
拳をギュッと握りしめる結衣に困惑気味の秋夜叉姫は首を傾げる。
「いや、妾も日記を読んだが、乙女の秘め事などは一つも・・・」
結衣は秋夜叉姫の両肩をがっしりとつかみ、互いのおでこをコツンとくっつける。
「秋夜叉姫様も乙女でしょ。だったら、私の気持ち分かりますよね。」
秋夜叉姫は圧力に負けて、コクコクと頷く。
「分かっていただけて何よりです。」
ニッコリと笑った結衣は、よかった、よかったと言って椅子に座る。
一方の秋夜叉姫は疲れ果てていた。
「災いの元はおさらばじゃ。」
ポンと空中に放り投げた日記は火に包まれ、一瞬にして灰となった。
「ありがとうございます。」
結衣は、ははーっと土下座する。
そして、土下座のまま、結衣は声を張り上げる。
「猿神と蛙に復讐する機会をお与えください。」
ええっ、それはいくら何でも無理じゃ、と口にした秋夜叉姫だが、ちょっと待てと言って考え込む。
〈そう言えば、妾も猿神に借りがあるしのう。神同士の諍いはご法度じゃが、眷属がやるには目こぼしもある・・・。こやつは筋トレで魂まで鍛える剛の者。それに、神にすら歯を向ける狂者。うむ、やってみるか。〉
「今から言う条件を達成し、妾の眷属になれれば、復讐の機会を与えよう。」
「お願いします!」
意気込む結衣に条件を話そうとした秋夜叉姫は、開きかけた口を閉ざす。
〈今ここで、本当のことを言って妾の弱みを晒さなくてもよいのではないか。こやつが知ると嫌な予感がするし・・・〉
よし、と秋夜叉姫は気合を入れた。
「眷属の力は、主である神の力に比例する。つまり、其の方が猿神と蛙に復讐したいならば、妾の神力を増やすのじゃ。」
「なるほど! どうやったら、秋夜叉姫様の神力を増やせるのでしょう。」
「まずは、妾を信じる者を増やすのじゃ。」
ふむふむ、と熱心に頷く結衣が段々と秋夜叉姫は可愛くなってくる。
武闘派は基本的にチョロいのだ。
顔が自然にほころび、秋夜叉姫は優しい笑顔を浮かべていた。
「次に、妾を祀る社を建てよ。年に何度か祭りを開き、歌い、踊り、食べて、皆で楽しめ! さすれば、妾の神力はグングン高まるのじゃ!」
「お任せください。秋夜叉姫の信者を増やす使命、必ず、やり遂げます。」
結衣は勢いよく手を差しだした。
だが、結衣の手を握る者はいない。
見れば、秋夜叉姫は差し出された手を見て首を傾げているではないか。
〈握手する文化が無いのね。この手、どうしよう・・・〉
差し出した手をグー、パー、グー、パー、と繰り返しながら、次の手を考える結衣だった。