第41話 烏帽子親
龍禅は目の前で跪く男たちを見た。
4人、いや、5人。
左から
鷹条海徳
茄子次五郎
椎名沙魚丸と小次郎
そして、常盤木雨情
偶然とはいえ、ようやく雨情を引っ張り出せたのだ。
この機会を最大限活用しなくてどうする。
焦るな、と言い聞かせれば言い聞かすほど、龍禅の鼓動は激しくなる。
決して、この胸の高鳴りを気づかれてはいけない。
殊更に穏やかな微笑みを浮かべ、龍禅は思う。
まさしく、蓮華一文字は名刀中の名刀である、と。
西蓮寺の宝と言うだけあって、蓮華一文字の優美な姿はいつまで見ていても飽きない。
蓮華の花言葉は心が和らぐ。
この刀で斬られれば、死ぬ苦しみも和らぐのだろうか。
そんな思いとは別に、龍禅は名刀と言うものに特別な思いを抱いている。
名刀には人を活かす能力があるのだ、と。
ただし、真の持ち主が持たなければ、その力も発揮できないのだが・・・
だが、見よ。
現に沙魚丸の手に蓮華一文字が渡ったことで、蓮華一文字は力を発揮したではないか。
あれほど接触を切望して来た雨情が、今、親しく話せる距離にいる。
これを名刀の力と言わずして、何と言うのか。
そう考えた龍禅は、クスリと笑う。
〈海徳まで連れて来たのは、力の大盤振る舞いなのかな?〉
龍禅としても、烏帽子親になると言ったのはやり過ぎたと思わないでもない。
いや、必要だった、と龍禅は思い直す。
〈蓮華一文字は渡して終わり。だが、烏帽子親となれば、椎名家に行ける。そうすれば、海徳の見張りがいないところで、椎名と話すことができる。〉
龍禅は必死だった。
目の前に降りて来た1本のクモの糸。
途中で切れようと何だろうと、糸に縋りつくしかない。
この機会を逃せば、次の機会が来るかすら分からないのだから。
だが、龍禅は忘れていたことがあった。
そう、沙魚丸には義理の兄がいることを。
沙魚丸には、腹違いの兄が二人いる。
長兄の菖蒲丸は龍禅が烏帽子親となり、龍の字を拝領し龍久と名乗っている。
現当主の龍久である。
当然、龍禅は龍久のことは覚えている。
しかし、今の椎名家は少々ややこしい。
椎名家の複雑さ。
それは、2頭制が敷かれていること。
先々代、つまり、龍久の祖父の秀久が龍久を後見しており、実質的に秀久と龍久と言う2人の当主がいるのだ。
そこで、秀久が後見することで家臣の動揺を抑え込んだ。
そこまではいい。
息子可愛さのあまり、茜御前が椎名家を取り仕切ろうと表向きに出てきてしまう。
これで椎名家の内部は複雑さに輪がかかってしまった。
この複雑さ故に、龍禅の頭からはもう一人の義兄のことがすっぽりと抜け落ちていた。
もう一人の義兄、名を桔梗丸と言う。
実は、龍禅は桔梗丸と会ったことがある。
龍久の元服式の時に。
しかも、会っただけではない。
『利発そうな子だ。きっと、名将になるであろう。』
などと、適当なことを言ってしまった。
言った本人がしっかりと覚えていれば、適当だろうと何だろうと問題は無い。
だが、龍禅は忘れてしまった。
まぁ、1度会っただけの子供のことを、しかも全く興味が無い子供のことを生涯ずっと覚えている人間なんていないだろう。
だが、桔梗丸は忘れなかった。
何でもそうだが、言われた方はしっかりと覚えているものだ。
良いことも、悪いことも。
雲の上の人から温かな言葉をかけてもらった幼子の頃の強い感動。
これは、桔梗丸にしか分からない。
ただ一つ言えることは、この出会いを龍禅が覚えていれば、もう少し違った展開があったかもしれない、ということだ。
桔梗丸は、龍久の実弟であり、沙魚丸の異母兄である。
龍久が病弱なため、今回の出征軍の大将は桔梗丸が務めることが決まっていた。
だが、出征直前、桔梗丸は落馬で怪我を負ってしまう。
「名将になったところを龍禅様にお見せする!」
張切り過ぎた結果の不幸な事故。
憐れではあるが、怪我人を大将とすることはできない。
だが、椎名本家から大将を出さねば、鷹条家とつり合いが取れない。
鷹条家は当主の海徳が直々にお出ましなのだから。
そこで、庶子ではあるが沙魚丸を大将とし、役不足の分を前当主の弟である雨情が副将を務めることで補うこととなった。
桔梗丸が龍禅に抱く想いを知っている雨情は唇を噛みしめる。
なぜ、烏帽子親の話など持ち出すのか、と。
〈沙魚丸も分かっている。〉
身を固くして地面だけを見つめる沙魚丸を見た雨情は、今のところ、それだけが救いだな、と胸を撫でおろす。
桔梗丸は烏帽子親すら決まっていない。
もしかすると、今回の出征で龍禅に烏帽子親になってもらうと言う淡い期待を抱いていたのかもしれない。
烏帽子親が沙魚丸に決まった、と野々山城にいる椎名本家の面々が知った時のことを考えると雨情の背筋は寒くなる。
茜御前は2人の我が子がかわいい。
他の何よりもだ。
つまり、沙魚丸など、どうでもいい。
言い直そう。
沙魚丸が兄弟を害するのであれば、茜御前は沙魚丸を瞬時に殺す。
骨も残さずに・・・
烏帽子親のことを伝えられた桔梗丸は激しく落ち込むだろう。
そして、沙魚丸を憎むに違いない。
憧れの龍禅様を盗った、と憎悪するのだ。
桔梗丸の心を乱した沙魚丸を茜御前が許すはずが無い。
戦の報告に戻った沙魚丸は城内で縄を打たれ、茜御前の前へと引っ立てられるに違いない。
「桔梗丸を差し置いて、龍禅様に烏帽子親になってもらうなど不心得にもほどがあります。沙魚丸殿、川で溺れて死になさい。」
役人に抑えつけられ身動きできない沙魚丸の首筋を自慢の扇子でトントンと叩く茜御前が雨情の脳裏に浮かぶ。
今日の出会いで、龍禅は沙魚丸が活発なことを知った。
水練中の事故で溺死した、と言えば、龍禅にも申し開きは立つ。
しかし、と雨情は頭を振った。
〈茜の浅知恵が龍禅様に通用するとは思えん。〉
雨情は嘆息した。
蓮華一文字だけではない。
沙魚丸の烏帽子親になる、とまで龍禅は言い切った。
どう考えても、沙魚丸は龍禅に気に入られたのだ。
そんな沙魚丸が死んだら、龍禅は激怒するに決まっている。
いや、激怒しなければ、龍禅のメンツが立たない。
〈余が目をかけていた者をよくも殺したな、とでも言うのだろう・・・。戦が始まれれば、龍禅様の活躍する余地が生まれる。なるほど、それが狙いか。〉
『不届きな椎名を懲らしめよ!』
大義名分を得た龍禅の一言で、飢えた者たちが、これ幸いとばかりに椎名家を攻め始める。
鷹条家や佐和家だけではない。
今まで傘下にいた国衆はあっさりと裏切り、近隣の国々は腹を減らした野犬のように略奪を始めるのだ。
その危機に椎名の者たちが一致団結して対抗できるかと言えば、
〈無理だな。〉
と、雨情は深いため息を吐く。
春久の死後、椎名家は大きく2つの派閥に分かれている。
恐らく自分の派閥が有利になるようにしか動かないだろう。
椎名家のことなど考える者などいない。
そして、派閥内部でも裏切りが起こり、椎名家は1枚岩どころか内部分裂を進め、勝手に自壊する。
〈お先、真っ暗ではないか。〉
ほんの少し考えただけで、自壊する予想が立つのだ。
より深く考えれば、精神を保っていられる自信がない。
「龍禅様、しばしお待ちください。」
龍禅は思わず眉を曇らせた。
雨情の表情が真剣過ぎるのだ。
喜ぶべきはずの雨情が・・・
「どうしたのだ、雨情。沙魚丸の烏帽子親の件、嬉しくは無いのか。」
「もったいないお言葉に身が打ち震えております。」
「ならば、決まりだな。」
龍禅のホッとした声を聞いた雨情は、冗談ではないと憤る。
〈儂の言葉が聞き入れられなければ、ここで腹を切るしか無い。〉
悲壮な覚悟で雨情は龍禅へとにじり寄った。
「沙魚丸には桔梗丸と言う義兄がおります。桔梗丸の烏帽子親は、まだ決まっておりません。そこに弟の烏帽子親が決まったとなるとどうなるか。しかも、烏帽子親は龍禅様。どうかご再考をお願いいたします。」
「あぁ、そういうことか。」
すべてを納得したように龍禅は頷いた。
〈そうだ。龍久には、もう一人弟がおった。なるほど、雨情の追い詰められた表情はそう言う訳だったか。だが、ここで、はい、そうですか。と言う訳にはいかん。何としても余と椎名だけで話す機会を作らねばならんのだ。〉
龍禅は悩む。
だが、機先を制したのは雨情だった。
「椎名にだけ龍禅様から破格な厚遇を受けるなど恐れ多きことにございます。我ら西蓮寺家に仕える守護代は、昔から西蓮寺様に烏帽子親になっていただいておりますが、その栄誉を受けることができるのは嫡男一人でございました。なにとぞ、ご高察をお願いいたします。」
嫡男一人、と言われても、龍禅には分からなかった。
西蓮寺家で学んだことに烏帽子親の詳細までは無かったのだ。
確信がない龍禅は、雅な貴人として配下へのゴリ押しも出来ない。
ダメだったか・・・
龍禅がため息を吐いたその時、沙魚丸が生きようとするのに必死な姿が頭をかすめた。
〈そうだ。沙魚丸を見習え。まだ、諦めてはいかん。〉
龍禅は下房の国に来てからのことを反省する。
何もかもを一度にやろうとしていた。
粘り腰がなかった。
それではダメなのだ。
少しずつやればいい。
例え、後退したとしても、最後に達成すればいい。
「寂然不動」
老師の教えを小声で呟いた龍禅は雨情に微笑む。
「そちの言うことももっともだ。だが、『やはり、今のは無し!』とは言えぬ。余も西蓮寺家の一人として、あからさまな嘘はつけぬ。それに、余が烏帽子親になると聞いた沙魚丸は喜びで身を震わせておったのだ。どうだ、沙魚丸も無念であろう。」
「いえ、別に。」
顔を上げ、沙魚丸は笑顔で答えようとした。
頭上を飛び交う言葉を聞きながら、沙魚丸は幸せを噛みしめていた。
『私のために争わないで・・・』
ヒロイン気分をたっぷり味わった沙魚丸は、もうお腹一杯になっていた。
もう十分だったのだ。
だが、龍禅の笑顔の裏にある凄まじい決意を感じ取った沙魚丸は口ごもる。
〈ヤバい。あの笑顔は切羽詰まった大人の顔だわ。売掛金を払わずに逃げた人を爆速で捕まえた社長と同じ顔をしてる。それに、後ろのおじいさんの眼光が怖すぎる。〉
そう、龍禅の後で由良がものすごい形相で沙魚丸を凝視しているのだ。
もっとも、由良が沙魚丸を睨んでいるのは、蓮華一文字の件なのだが・・・
沙魚丸は殺されてたまるか、と頭をフル回転させる。
そして、笑顔を龍禅に向けた。
「蓮華一文字を頂戴しただけで私は天にも昇る心地でおります。これ以上、何かを賜ると本当に天に逝ってしまうかもしれません。」
「そうか、そうか。では、本当に逝ってしまうか、試してみよう。」
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げた沙魚丸に微笑んだ龍禅は目をつぶり考え込む。
〈雨情は頭が固くてダメだな。だが、この沙魚丸と言う子供、権威を権威と思っていない感じがする。当意即妙に答えるのも気に入った。まだ数年かかるかもしれんが、余が信を置くべきなのは沙魚丸かもしれん。ならば、沙魚丸と連絡を取り続ける方法を・・・〉
何かないか、龍禅は目を閉じたまま思案する。
龍禅が何を言い出すのか誰もが固唾を飲んで見守っていると、龍禅がゆっくりと目を開ける。
そして、口の端にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「代わりと言っては何だが、余が沙魚丸の家紋を考えてやろう。沙魚丸は椎名家の者だ。家紋の一つや二つ授けたところで問題は無いであろう。」
家紋かぁ、とポカンとする沙魚丸。
その横で、顔を引きつらせる雨情。
二人を見比べた龍禅は笑ってはいけない、と奥歯を強く噛みしめるのだった。




