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沙魚丸軍記  作者: 藤城みゆき
本章
39/41

第39話 蓮華一文字

青空がまぶしい。

あまりの眩しさに龍禅は目をつぶった。

青空が清々しい。

そんなことを最後に思ったのはいつだったろう。

どんなに考えても龍禅は思い出せなかった。


ああ、そうか・・・


独り言ちた龍禅は、はたと気づいた。

下房の国に来てから、空を見ないようにしていたのだ、と。

〈余の心は沈み切っていたのだな・・・〉


沙魚丸の活躍を目の当たりにし、気持ちがたかぶった龍禅は、熱気に押されるように儀式の場に躍り出た。

すると、何と言うことだろう。

沙魚丸の前に立った時、さんざめいていた武将たちが威儀を正し、その場に跪いたではないか。

先ほどまでの大歓声が嘘のように静まり返り、聞こえるのは風が鳴らす木々の音ばかり・・・


男たちは顔を伏せているが、龍禅は男たちの視線をひしひしと感じ取る。

好意的な視線など一つも無い。

非難がましい視線が龍禅に突き刺さる。

〈まるで針の筵に座っているようだな。まぁ、それも無理はないか・・・〉


龍禅が自嘲するのも仕方が無い。

ここにいる男たちは誰もが知っているのだ。

龍禅が海徳の意志のままに動く操り人形であることを。

下房の国の実権を得ようとしたものの、何一つ成功せず、とっくの前に龍禅の心は折れていることを。


戦の神が舞い降りた場に、意思を持たない人形は不要。

『生を勝ち取った沙魚丸の前に恥ずかしげもなく、よくもまぁ、平然と立っていられるものだ。』

男たちの声なき声が龍禅の前に立ちはだかる。

そんな壁が龍禅の行く手をふさいだ時、儀式が始まる前の龍禅であれば、尻尾を巻いて負け犬の様に引き返していただろう。


だが、今は違う。

龍禅の目に映るのは沙魚丸のみ。


そう。

海徳と再び戦う気力をくれた子供。

沙魚丸は龍禅の恩人となっていた。


皆の手前、ありがとう、とは言えない。

だから、よくやった、と沙魚丸に言いに行っただけなのだ。

自身の感動をただ沙魚丸に伝えたかった。


褒美を授けるつもりなど全くなかった。

そんなことをすれば、海徳から後々何を言われるか分からない。

沙魚丸の身に害が及ぶかもしれない。

〈この場にいる椎名家を血祭に上げる計画を立てていたようだしな。ここで、余が沙魚丸に褒美を授ければ、沙魚丸は殺される・・・〉

そう考えた龍禅だが、逆だな、と思い直した。


沙魚丸に褒美を授ければ、海徳はこの場では手が出せないのでは・・・

これは名案かもしれない、と龍禅は頭を高速度で回転させる。


操り人形とは言え、龍禅は幕府から認められ、下房の国に来たのだ。

龍禅に逆らう者、それは幕府にあだなす者。

権威を利用する者が、権威をないがしろにする訳がない。

そんなことをすれば、権威によって抑えつけていた者たちから報復されるのだから。


そんな考えが閃いた瞬間、沙魚丸に褒美を授けると龍禅は言ってしまった。

〈せめて、由良に相談すべきだったかな。〉

そんな後悔をした瞬間、男たちから嵐のような歓喜の声が沸き上がった。

男たちは沙魚丸が認められたことが自分の事の様に嬉しかったのだ。


この中で、沙魚丸に褒美を授け、公式に認めることができるのは、龍禅しかいない。

だが、お飾りの龍禅が褒美を与えることなどありえない。

そう頭から思い込んでいた男たちには嬉しい誤算だった。

男たちの中で、龍禅の株がグッと上がった瞬間でもあった。


この反応に一番驚いたのは龍禅だった。

己が発した言葉で男たちが総立ちになり、歓呼することなど龍禅の人生には無かったのだから。

鳥肌が立つような感動を覚えた龍禅は、サッときびすを返す。

〈このままここに立っていては危険だ。嬉しさのあまり舞い狂うかもしれない。〉

そう考えた龍禅は大将席へとスタスタと歩を進める。


その時、ふと鷹条家が陣取っている場所が目に入った。

思わず、龍禅の口角が上がる。

必死でこらえようとしているのだろうが、海徳の表情はどう見ても憤怒に染まっている。


今まで、龍禅は勝ち誇る海徳しか見たことが無かった。

ある日、椎名家に送ったはずの密書を海徳がバサッと目の前に投げてよこしたことがあった。

〈なぜ、それを海徳が持っている。〉

驚き、そして、絶望する龍禅の表情をたっぷりと楽しんだ海徳は実に楽しそうに言った。

「こんなものをコソコソと書く暇があるのでしたら、和歌の一つでもお詠みになった方がよほど有意義ですぞ。」


そんなことを思い出した龍禅は、ふと思う。

〈あの時の仕返しに、ざまあみろ、と言ってやろうか。〉

しかし、龍禅は頭を振って、くだらない考えを頭の中から追い出した。

〈そんな子供じみた真似しては、余も海徳と同じになってしまう。余は外道にはならぬ。〉

留飲を下げた龍禅の前には、立役者の二人が跪いている。

沙魚丸と次五郎の二人が畏まる姿に龍禅の顔はほころぶ。


「大儀であった。其の方たちの姿に余は感動した。」


「「ありがとうございます。」」


沙魚丸と次五郎は声を揃え、礼を言う。

しかし、同じ言葉を同時に返された龍禅だが、次五郎を見てギョッとした。

下手なことを言うと、腹を切りかねない顔をしているのだ。

〈子供ごときに自慢の矢を防がれた・・・〉

とか考えているのだろうな、と龍禅は思った。


龍禅の推測通り、次五郎はショックのあまり茫然自失となっていた。

今の次五郎に滅多なことを言ってはいけない、と龍禅は気持ちを引き締める。

〈よし、沙魚丸からにしよう。〉

沙魚丸を相手にすると決めたのは大正解だった。


今、沙魚丸は何を言われても笑って許せる大らかな人物となっているのだ。

社長のセクハラ発言もどんとこい、と言うぐらい。


死の瀬戸際から復活し、誉められたのだ。

しかも、とても偉い人に。

嬉しくないわけが無い。


途中から記憶が無いけれど、そんなことはどうでもいいのだ。

今こうやって褒められていることが全て。

沙魚丸は後で高らかに笑ってやろう、と心に決めている。


しかし、その熱情がほんの少し冷めると、別の感情がどっと沸き上がって来た。

それは、生きていることの喜び。

〈あぁ、私、生きてる。生きてるのね!〉

沙魚丸の目からドッと涙があふれ出す。


龍禅は驚いた。

〈余が褒めたので泣いたのか・・・。何と可愛げのある子供なのか。〉

過去、自分を含めてこんなにも純真な心の持ち主がいただろうか。

いや、いない。

龍禅の目頭がジワリと熱くなる。

〈ここで泣くわけにはいかぬ。〉

冷静になろうとした龍禅は先祖のことを思い出した。


もう何年も前から守護代として下房の国を西連寺家から奪おうとする椎名家だが、過去、これほど頼りになる一族はいなかった。

時には盾となり、またある時は矛となって西蓮寺家に武門の栄誉をもたらした一族。

それが椎名家だった。

〈もしかすると、沙魚丸は余を憐れんだ先祖が遣わした者かもしれない。沙魚丸が余の盾となるか、それとも矛となってくれるか。それとも、ただの簒奪さんだつ者になるのか・・・〉

少しだけ悩んだ龍禅は、希望に賭けることに決めた。

龍禅は腰の脇差を抜き、沙魚丸に刀身をかざす。

もし、沙魚丸に悪しきモノがついているならば、神威を持つこの刀で祓ってくれよう、と意を込めて。


「この脇差は『蓮華一文字』と言う。当家の宝でもあり、儂の自慢の刀だ。どうだ、素晴らしいだろう。」


鼻高々に話す龍禅を見て、沙魚丸は思った。

〈まぁ、子供みたいに目をキラキラ輝かせてるわ。龍禅様にとって、特別な刀なのね。龍禅様、カワイイ!〉


そして、蓮華一文字を見た時、沙魚丸は言葉を失った。

〈綺麗・・・〉

一瞬にして沙魚丸の心を奪ったこの刀。

刀大好き乙女の沙魚丸も納得の逸品である。


「龍禅様、それは御当主様から頂戴した大事な、とても大事な刀ですぞ。」


龍禅と沙魚丸が二人してウットリと脇差を見入っていることに危険と恐怖を感じた由良が二人の中に割って入った。

龍禅にとって、とても大事な刀であることを強調しながら。


「分かっておる。」


そう言って由良に微笑んだ龍禅は、近う、と沙魚丸を手招きする。

〈切れ味を試すとか言って、私で実験しないわよね・・・〉

時代劇大好き乙女は、試し斬りを恐れたのだが、ここで龍禅がそんなことをする訳がない。

恐る恐る近寄った沙魚丸の手を取った龍禅は、その手に蓮華一文字を乗せた。


「この刀、其の方に授ける。」


ああ、やっぱり、と由良は顔を覆うと、深く大きなため息をついた。


「お忘れかもしれませんが、沙魚丸殿は元服前でございます。別のものでもよろしいのではござませんか。」


「ちゃんと覚えておるわ。沙魚丸は12歳になったのだったな。」


「はっ、はい。12歳になりました。」


「機会があれば、余が会得した剣技も授けてやりたいものだ。」


「おぉ、そうなさいませ。『蓮華一文字』は、沙魚丸殿が免許皆伝になった時に授与なさいませ。」


龍禅は人差し指を立て、ちっちっちっ、と指を振る。


「由良よ、余が沙魚丸に剣技を教える機会があると思っておるのか。そんなことも分からんとは由良も老いたよなぁ。」


ヤレヤレと龍禅は肩をすくめた。

その龍禅の姿に由良はカッと目を見開いた。

一体、誰のために言ったと思っているのだ、と由良の顔にはありありと書いてある。

ものすごく悔しかったのだろう。

ぐぬぬ・・・、と唸って由良は黙り込んでしまったのだから。


2人の会話をじっと聞いていた沙魚丸は心の中で拍手をしていた。

〈ぐぬぬ、って言う人、初めて見たわ。でも、この脇差、本当にもらっていいのかしら。〉

沙魚丸の見立てでは、この刀、国宝級、いや、それ以上に間違いない。

どうしよう、と沙魚丸が頭を悩ませていると、問題を解決してくれる人が颯爽と現れた。


「お待ちください。沙魚丸にそのような名器をお渡しになってはいけません。」


血相を変えて飛び込んで来たのは、他ならぬ叔父の雨情であった。

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