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沙魚丸軍記  作者: 藤城みゆき
本章
38/41

第38話 西蓮寺龍禅

ペシペシ

ペシペシ


〈んん、あれは肉を叩いてる音かしら?〉


何だか聞きなれた音ね、と沙魚丸は小首を傾げる。

しばらく耳を澄ませた沙魚丸はポンと手を打った。

そう。

沙魚丸の得意料理&大好物の一つ、チキンカツを調理する音と言うことに気づいたのだ。

ふっふっふ、と沙魚丸はほくそ笑む。

〈ソースもいいけど、マヨネーズもいいのよね。〉


ジュルリ。


よだれが零れ落ちそうになったまさにその時、沙魚丸の耳がピクリと動く。


「はぜま・・・」


うまく聞き取れなかったが、あれはまさしく沙魚丸を呼ぶ声だ。

〈何だろう。調理を手伝って欲しいのかな?〉

返事をしようと口を開いたが、声が出ない。

それどころか、体に力が入らないのだ。


解せぬ。 


理由を考えようとしたが、なんと沙魚丸の脳が考えることをきっぱりと拒否した。

肉を叩く音に惹かれた心は、余計なことを考えるなと脳に命じたのだ。

〈食欲に負ける残念な私の頭・・・。でも、そうよね、体が動かないのは空腹のせいだもの。先にご飯よ!〉

沙魚丸はチキンカツに全神経を集中する。

しかし、未だに続く音を耳にして、沙魚丸は不安を覚えた。

〈鶏肉を叩くにしては長すぎない。お煎餅みたいになっちゃうわ。〉


沙魚丸は拳を握りしめた。

今ならまだ美味しいチキンカツが食べれる。

一刻も早く肉打ちを止めよう、と思いを新たにした。


止める・・・


そう呟いた時、沙魚丸の体をズドーンと電流が走る。

沙魚丸ははっきりと思い出した。

2本目の矢を頭で受け止めたことを。

そして、それからの記憶が無いことを。

〈私、気絶してたのね。と言うことは、叩いているのは鶏肉じゃない・・・〉


私だ!


そう、この音は沙魚丸の頬をピシピシ叩く音。

怪我と言うものは自覚した時、とても痛くなる。

沙魚丸は頬が突然、じんじんと痛み出す。


痛みで頭が冴えた沙魚丸の脳裏に一人の艶やかな女性が浮かび上がる。

ずばり、その名も秋夜叉姫。

沙魚丸にはくっきりと見えた。

泣き崩れた秋夜叉姫が沙魚丸に馬乗りになって頬を打つ姿が・・・

〈ごめんなさい、秋夜叉姫様。私、貴女の期待を裏切ってしまいました。〉


神から託されたのに、24時間もしない内に死んだのだ。

もしかすると最短記録。

これほど不甲斐ない託宣者も珍しいのではないだろうか。

秋夜叉姫の神格を託され意気揚々と臨んだのに、結果があまりにしょぼ過ぎる。

右の頬を打たれれば、左の頬を喜んで差し出そうと沙魚丸は決めた。

〈洋の東西はあれど神様は神様。お怒りが収まるまで、頬を好きなだけお打ちください。さぁ、どうぞ!〉


だが、終わらない。

〈ちょっと長すぎない・・・〉


これ以上は辛い。

一打一打は優しい。

バチーン、ではない。

ペチって感じなのだ。

だが、連打となると辛い。

塵も積もれば山となるの諺を引くまでも無い。

ほら、頬が熱を持ち始めた。

明日、腫れる。

絶対に・・・

アンパンマンになってしまう。

男になったとは言え、アンパンマンは嫌だ。

理由は教えてくれなかったが、社長が顔の半分をパンパンに腫らして来たことがあった。

あの時の社長の顔を思い出した沙魚丸はぶるぶるっと震える。

〈片方でも悲惨だったのよ。両方になると凄惨以上に決まってるわ。よし、とりあえず、土下座ね。そうすれば、これ以上、頬を打たれずにすむわ。〉


作戦は決まった。

後は実行あるのみ。

敵情視察とばかりに、そっと沙魚丸は薄目を開ける。


沙魚丸は、ええっと声を上げ絶句した。

顔を引きつらせた小次郎が、沙魚丸様!と連呼しながら沙魚丸の頬を叩いているではないか。

〈小次郎さんだったの!〉

なぜ小次郎が頬を打ち続けているのか。

しかし、理由の詮索など後回し。


カッと目を見開いた沙魚丸は

「小次郎さん!」

と叫んだ。

あっ、と嬉しそうな表情を浮かべた小次郎だが、すぐに真面目な顔へと変じる。


「お気づきになりましたか。良かった! では、お控えください。」


小次郎は言うや否や、沙魚丸をえいやっと持ち上げる。

何が何だか分からないまま、その場で沙魚丸は片膝をつき頭を下げていた。


西蓮寺龍禅・・・


幕府の名門、西蓮寺家に生を受けた貴種と言えば聞こえはいいが、庶子と言うこともあり、生まれてから数年後に寺に入れられた。

源義経に憧れ、山中で剣の修行に励む。

義経は天狗に修行をつけてもらったらしいが、龍禅は西蓮寺家の者に稽古をつけてもらう。

年若くして、忠條流の免許皆伝を得るまでになったのだが、悲しいかな、龍禅には義経を奥州藤原へ下向する手伝いをした金売吉次かねうりきちじのような人物は現れなかった。


寺に入って20年を超えたある日のこと。

顔を洗おうとした桶の中に、一枚の紅葉がふわりと落ちて来た。

水に漂う紅葉をジッと見つめた龍禅の口から古歌が漏れ出る。


「神無月 風に紅葉の 散る時は そこはかとなく ものぞ悲しき」


桶の中に、一滴、また一滴と水滴が落ちる。

〈雨か・・・〉

だが、空は澄み切った青空がどこまでもどこまでも続いている。


龍禅は己が泣いていることに、はたと気づいた。

〈武門に生まれながら、山中に朽ち果てる虚しさよ・・・〉

桶の水を恨めし気に見た龍禅は桶を高々と持ち上げると、一気に桶の中の水を頭へ落とした。


それから数年が経ったある日のこと。

龍禅の元へ一人の老武者が訪れた。

名を由良吹風ゆらふくちと言う。

西蓮寺家の家人であり、今は龍禅のお目付け役をしている。


毎月初めに一度だけ来る由良が月半ばに現れたことに龍禅は眉根を寄せる。

龍禅は上座に座ると手をついている由良に

「頭を上げよ。」

と言った。

おもむろに頭を上げた由良と龍禅の目がピタリと合う。


『木鶏に似たり!』

由良は幕府が開催した剣術試合で勝利をおさめたことがあった。

その人物像に感心した将軍が褒詞として与えた言葉である。


しかし、由良がどんなに泰然としていても龍禅だけは由良が考えていることが分かるのだ。

由良は龍禅にとって唯一の家族であり、唯一の味方。

〈じいめ。今日は嬉しそうだな。〉

すると、龍禅が口を開いた。


「西蓮寺家にお戻りいただきます。」


「じい。意味が分からん。」


「ご令兄様方が流行り病により次々とご逝去。御当主、重実しげざね様は龍禅様をお迎えに行くようにそれがしにお命じになりました。」


龍禅は言葉を失った。

〈流行り病で兄者が死んだ? いや、じいはご令兄様方と言ったな。すると、何人も死んだのか。〉

兄たちとは一度も会ったことがない。

言ってしまえば、赤の他人。

会ったことも見たことも無い赤の他人が死んだからと言って、悲しいだろうか。

むしろ、喜びの方が大きい。

〈我は僧侶にならなくていい。〉

龍禅は両手で顔を覆うと、くっくっ、と笑い始めた。


「じい。我を鬼と罵るがいい。兄たちが死んだことで、世に出ることできるのだ。兄が死んで喜ぶ弟など、人とは言わんからな。」


「龍禅様が鬼ならば、それがしも鬼となりましょう。龍禅様は寺で朽ち果てるには惜しい御方と思っておりました。」


「そうか。そう言ってくれるか。ならば、じいの前でだけは素直に喜ぼう。」


「それがよろしいかと存じます。」


顔を見合わせた二人はほんの少し口の端を上げた。

そして、龍禅は声を弾ませ、由良に問いかける。


「で、我が本家を継ぐのか。」


「いえ、龍禅様には下房の国に行くようにとのご命令でございます。」


下房?、と呟いた龍禅が知っているのは、下房が関東にあることぐらいだった。

それよりも、僧侶にならないですむ喜びが心を占める。

還俗した龍禅は、父と初めて会った。

父は疲れた顔をしているが、名門の当主らしく一切の隙が無い。


「下房の国は、当家の守護代3家が好き放題しておる。増長し切った3家は何のかんのと理由をつけて年貢を滞納するようになった。其方そちは下房の国へ下向し、3家の手綱を握るのだ。」


「はい。下房の国の当主が西蓮寺家であることを叩きこんでやります。」


「その意気やよし。だが、其方そちに渡せるのは5騎の騎馬武者と25名の足軽になる。」


「はぁ・・・」


思わず間抜けな声が漏れ出た龍禅は、この無礼に気づき、申し訳ございませんと頭を深く下げる。

だが、重実はよい、と一言を発しったきり、黙り込んでしまった。

そして、茶を不味そうに啜った重実はようやく重い口を開く。


其方そちも当家が3国の守護であることは知っていよう。」


高穂たかほ稲柵いなき下房しもふさの3国でございます。」


「今、当家は高穂と稲柵の2国を支配下に置こうとしている。しかし、両国とも守護代が何かと画策し、今のところ完全に支配できておらん。つまり、其方そちに兵を渡す余力が無いのだ。」


この時ほど、龍禅が驚いたことは無かった。

守護代が勝手気ままな振る舞いをしているとは言っても、西蓮寺家が出向けば言うことを聞くだろう、と思っていた。

まさか、名門と謳われる西蓮寺家の家臣ごときがあるじの言うことを聞かないなどとは露ほども思っていなかったのだ。


「高穂と稲柵の2国を完全に支配下に置き次第、下房の国へ兵を送る。それまでは守護代の3家を争わせておくように命じる。間違っても、1家で下房の国を統治しないようにな。」


〈これはまた、凄まじい難題を。〉

そう思った龍禅だが、逆に火がついた。


「必ずや、父上のご期待にお応えいたします。」


そう言って屋敷から退しりぞいた龍禅は早速、兵を視察することにした。

名簿を見た龍禅はため息混じりに笑う。

西蓮寺家の家臣とは言え、中から下級の家出身の次男や三男と言った者ばかり。

〈我には相応しい者たちだな。〉

そう自嘲した龍禅だが、家臣たちと実際に会って龍禅は会心の笑みを浮かべることになる。

どの男たちも、もはや帰る場所は無く、下房の国を死に場所と覚悟を決めていたのだ。


よし、やるぞ、と一同、気合を入れて下房の国へやって来たものの待っていたのは容赦ない現実だった。

西蓮寺家の一族、鷹条家の領地に守護家の屋敷があると聞いていたが、朽ち果てた屋敷がポツンと一件あるのみ。

海徳に屋敷を造らせたはいいが、日々の金が無いため、海徳に主導権を握られてしまう。

あまりに偉そうに言うので、龍禅の堪忍袋の緒が切れた。


「税が滞っているだろう。それを今すぐ持って来い。」


「おや、まだご存知ない。我が家の税は都へ運ぶ途中、椎名家に奪われてしまうのです。」


〈白々しい嘘を平然と言いおって。〉

太々《ふてぶて》しい笑顔を浮かべる海徳に一発ガツンとお見舞いしたいところをグッと堪え、龍禅はキッと顔を上げた。


「ならば、我が椎名家に問いただす。」


「なりません。鷹条の領内から一歩でも出れば、龍禅様のご無事を保証できませんぞ。」


そう言った海徳の目が妖しく光った。

〈こいつ、我を殺す気か。〉

鳥かごの中の鳥。

そんな状況に龍禅は歯噛みするが、どうすることもできない。


今回の出征も鷹条家が何か企んでいるとは分かっていたが、龍禅に否やを言うことはできなかった。

〈雨情と接触できるのが、せめてもの救いか。〉

一縷の望みを抱き、丸根城に入った龍禅は海徳の企みに気づき愕然とする。

鷹条家にとって邪魔な存在。

海徳にとって憎んでも憎み足りない相手、常盤木雨情を討ち取るつもり、と分かったのだ。

雨情がいなくなった椎名家など赤子の首を捻るよりも容易い。

椎名家が鷹条家の軍門に下れば、残る佐和家など相手ではない。

鷹条家が下房の国の覇権を握るのは、この丸根城から始まるのだ。


〈3国を争わせると言う父の意向がついえてしまう。まさか、同盟相手の家老を堂々と殺すとは・・・。そうか、そのために我を総大将にしたのか。何と言うことだ。我が鷹条家の下房の国統一に手を貸すことになるのか。〉

龍禅は絶望した。


『矢つかみの儀』

そんな神事を聞いたことが無い。

鷹条家は西蓮寺家から分岐した家であるから、祀る神や先祖は同じ。

しかし、聞いたことが無いから中止などと言えるはずもない。

〈椎名家が儀式の途中で不義を働いた。その証人を私にさせるつもりか。なんと忌々しい。〉

心中で怒りの炎を燃やしながら、龍禅は儀式の説明を微笑みながら聞いていた。


椎名沙魚丸と言う椎名家の総大将の説明を聞いた時、龍禅の心が大きく動く。

〈庶子か。我によく似ている。だが、一点が大きく違う。〉

沙魚丸は元服する前にここで死ぬ。

圧倒的な力の前になすすべなく・・・


そして、儀式が始まった。

龍禅は心の中で手を合わせていた。

〈神よ、憐れな子供を救い給え。〉


1本目

2本目

沙魚丸が見事に矢を防ぐ。

総大将として静かな風姿を保ちつつも龍禅は拳をグッと握りしめていた。


3本目の矢が地に落ちた。

龍禅の目にはうっすらと涙が滲む。

〈こんな小さな子供が死を払いのけたのか。〉

感動の涙を誰にも気づかれないよう拭った龍禅は由良にそっと話しかける。


「我も負けておられんな。」


「まことに。」


「我は沙魚丸に何か授けてやりたいのだが・・・」


ふむ、と周囲を見渡した由良が小声で囁く。


「ならば、疾く沙魚丸殿に褒詞を与えなされませ。鷹条家に何やら動きが見えます。」


「だが、沙魚丸は気を失っているようだぞ。」


「龍禅様が沙魚丸殿の元へ行けばよいのです。」


「よし、そうしよう。」


海徳に先んじられてはいけない。

どうせ、ろくなことを考えていないだろうから。

総大将が出向くなど異例中の異例。

スタスタと沙魚丸の元へ近づいた龍禅は、よくやったと沙魚丸に声をかけた。

何ごとかと男たちは一斉に片膝をつき、静まり返る。


そんな中、介添え役の小次郎が早く起きて下さい、と沙魚丸の頬を叩く。

沙魚丸の頬がどんどん赤くなっていくのを見て、龍禅は唇を固く結ぶ。

〈笑ってはいけない。私のために一生懸命に叩いているのだ。しかし、そんなに連打しなくてもいいと思うのだが・・・。小次郎は主に容赦なしか。〉

ふふっと龍禅は忍び笑う。

そうこうしている内に、沙魚丸が片膝をついた。


「褒美を与える。我が前に来るがよい。」


そう言って、龍禅は大将席へと踵を返した。

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