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沙魚丸軍記  作者: 藤城みゆき
本章
37/41

第37話 戦神降臨

沙魚丸が気絶した。

あぁ、と天を仰ぎ、男たちは膝を屈した。


ところが、男たちは心の片隅で小さな希望の灯をともしていたのだ。


男のくせに未練がましい、と笑う者がいるかもしれない。

だが、男たちはそんな戯言ざれごとを軽く一蹴する。

笑いたければ笑うがいい、と。

必死に生きようとする沙魚丸を鼓舞せずして、何が武士か。

この場では敵も味方も無い。


運命を切りひらこうともがく男を猛き武者と言うのだ。

男たちは念じる。

〈さっさと起きろ! そして、矢を払え!〉


だが、沙魚丸が目を覚ます様子はない。

唇を噛みしめた男たちは、更に念じる。

〈寝たままでいい。いいから、神業を披露し、矢を払え。お前ならできる!〉

男たちは節くれだった拳を強く握りしめる。


しかし、矢をつがえる次五郎を見た男たちは一様に息を呑んだ。

今為朝ともうたわれる弓の名手、次五郎が子供相手に目を血走らせ、弓を引き絞っているのだ。

次五郎が過酷な戦場でも飄々《ひょうひょう》としていて、弓を放つ姿を知っている男たちは、まさかと驚く。

そして、絶望した。

〈もう無理だ。〉

男たちの僅かな希望は砕けて消え去った。


嘆息の声すらなく、憂いの表情に変じた男たちの思いは、期せずして一致する。

自然と槍を持つ手に力がこもった。

〈椎名家の大将は死ぬ。だが、次五郎の矢を2本も防いだのだ。俺たちの槍を天高く掲げ、若武者の魂を天へ返そう。〉


そんな男たちの想いを嘲笑あざわらうかのように、矢は沙魚丸めがけてひた走る。

沙魚丸の命を喰らおうと。


だが、一陣の風によって状況は一転した。

沙魚丸を黄泉へと送る矢がクルクルと青空を舞っている。

男たちは息を殺し、矢の行方をじっと見つめる。


そして、矢がポトリと地面に落ちた時、男たちは怒涛どとうの勢いで立ち上がった。

手にした槍を高く高く掲げ、男たちは雄叫びを上げる。


「「「「「戦神降臨!!」」」」」


戦の神が沙魚丸を助けたのだ。

男たちは歓喜し、戦神降臨の大合唱が始まった。



小次郎は足元に落ちた矢を拾おうと手を伸ばす。

だが、手が震え、矢を掴むことができない。

それだけではない。

目に涙があふれ、矢がぼやけてハッキリと見えないのだ。

〈亡き沙魚丸様が天上から見守っていて下さったのですね・・・〉


1本目と2本目の矢を防いだのは、今の沙魚丸自身が成したことだろう。

そうじゃない、と小次郎は首を振る。

〈あの動きは、亡き沙魚丸様そのもの・・・〉

3本目の矢に至っては、人間業にんげんわざではない。

周囲が狂喜乱舞の渦に包まれる中、一人、小次郎はようやっとつかんだ矢を握りしめ滂沱ぼうだの涙を流し嗚咽おえつを漏らす。

亡き沙魚丸が救ってくれたのだ、と・・・


そして、小次郎は天を見上げた。

〈申し訳ありません、沙魚丸様。私は愚か者です。二言目には今の沙魚丸様への忠義を唱えつつ、早く死にたいと思っておりました。そうすれば、亡き沙魚丸様に再びお仕えできるのだと信じていたのです。亡き沙魚丸様はお叱りの意を込めて、私の足下に矢を置いたのですね。〉


この日、小次郎は新たな誓いを立てた。

泉下の沙魚丸が安心して家族で過ごせるように、今の沙魚丸に心の底から忠誠を尽くし、力の限り生き抜く、と。

そうすれば、亡き沙魚丸と会った時、笑顔で会えるから。

沙魚丸に歩み寄った小次郎は、気を失っている沙魚丸を感謝の気持ちを込めて無言で抱きしめた。



沙魚丸の介抱を始めた小次郎を無言で見ていた雨情は思わず目を押さえた。

〈兄者の兜が沙魚丸を守ったか・・・〉

雨情はかすかに口の端を上げ、迷いを吹っ切るかのように刀のつかをトンと叩いた。


「おい、木蓮、死に損なったぞ。」


「残念そうなお言葉ですが、お顔はとてもほころんでいらっしゃいますよ。」


くるっと振り向いた雨情はニヤリと笑う。

いつも無機質な笑みをたたえている木蓮が穏やかな笑みを浮かべているではないか。

〈どの口が言う。しかし、酒が無いのが残念だ。今なら美味い酒が呑めるのだがな。〉

肩をすくめた雨情が困り顔で言う。


「仕方あるまい。儂の愛する甥っ子は色々と愛されていることを実感したのでな。」


「はっはっは。そう考えたのは若と私だけのようです。ここにいる常盤木家の者たちは狐につままれたような顔をしておりますよ。」


何だと? 

ぐるりと顔を回した雨情は、

「お前の言う通りだ。」

と笑い出した。


死に花を飾ろうと心に決めていた雨情の家臣は、激しく闘志を燃やしていた。

〈沙魚丸様に矢が突き刺さった瞬間、疾風迅雷、海徳へ槍を突き立てやる。〉

静かな顔をしつつも、内心ははやる気持ちを押さえるのに大変な雨情の家臣だった。


だと言うのに、沙魚丸が矢を全て止めると言うまさかの展開。

生き残ったことへの喜びが湧き上がる。


いや、そんな生易なまやさしいものでは無い。


首を左右に振った雨情の家臣は、

〈あの沙魚丸様が・・・〉

予想外の出来事を目にして、衝撃を受けたのだ。


椎名家の者ならば、誰もが言う。

沙魚丸と言えば、不吉の代名詞である、と。

椎名家の首都とも言うべき野々山城では、沙魚丸の名前を口にすることすら忌避されているのだ。


今回の出征の大将は沙魚丸と聞いた雨情の家臣は揃って眉をひそめた。

出陣式では、沙魚丸に対してほとんどの者が冷ややかな目を向けるほどだった。


それが、まさか、まさかの神業に全員が声を失った。

不吉どころか、福招きじゃないか・・・

まさに、椎名家と鷹条家の姿は逆転していた。


静まり返る椎名兵。

歓喜する鷹条兵。


そんな両対称な両家を見比べた雨情は木蓮に語りかける。


「海徳のつらを見たか。」


「ええ、傑作なお顔をされております。」


「あいつ、龍禅様に儀式が無事に終わった祝儀を述べるのを忘れておるようだな。大口を開けてアホ丸出しではないか。どれ、一つ冷やかしに行くか。」


そう言って、ウキウキと雨情が立ち上がろうとする。

だが、木蓮がはっしと雨情の肩を押さえて立ち上がることを許さない。


「なりません。沙魚丸様のおかげで丸く収まったと言うのに、雨情様が事を荒立ててどうするのですか。」


「そう言うな。海徳に今、どんな気持ちか聞きに行くだけではないか。」


はぁ、と大きなため息を木蓮が吐いた。


「もし、雨情様が海徳様に同じことをされたら、どうなされます。」


ふむ、と雨情は小首を傾げる。

しばらく、目を泳がせた雨情はポンと手を打ち、ニッコリと毒気の無い笑顔で木蓮に答えた。


「二度と喋れんように、一刀両断にしてくれる。」


「でしょう。」


「分かった。では、愛すべき甥っ子を褒めてやるとするか。」


そう言って、立ち上がった雨情は正面に目をやった。

しかし、眼前の光景に驚いた雨情は、

「これは面白くなってきたぞ。」

そう言って、満面の笑みを浮かべるのだった。



一方、謀略を企んだ海徳は目の前が真っ暗になっていた。

次五郎は殺したいほど、いや、今回の儀式で殺すことにしたぐらい憎らしい男である。


とは言え、次五郎の弓の技量は天下一品なのは動かしがたい事実。

己の感情で、事実を捻じ曲げるほど海徳の器量は狭くない。


旭の弓に変えさせたが、次五郎の技量からすれば些細なことのはず。

弘法筆を選ばず、と言うではないか。

〈弘法大師の爪の垢を煎じて飲ましても次五郎の傲岸不遜ごうがんふそんな性格は治らないだろうがな。しかし、技量だけは間違いなく、天下一・・・〉


いや、天下一は言い過ぎた。

三国一ぐらいにしておこう。

性格が最悪だからな・・・


そう呟いた海徳だが、次五郎の矢を防げるかと聞かれれば、1本も無理だと自信満々で答える。

それを大将とは言え、子供がやってのけたのだ。

曇り切った海徳の目をしても次五郎が手を抜いたようには見えなかった。


〈3本とも、矢の勢いは凄まじかった。儂にはとても防げん。〉


だが、防がれた。

いや、3本目は防いだとは言わない。

あれこそ、神の御業に違いない。


謀略を好む者の多くは神罰を恐れる。

ぞわりと海徳の背を冷たいものが走った。

恐怖に駆られた海徳は思わず叫んだ。


「神が椎名の小僧に味方するなど、あってたまるか。こんな儀式は無効だ。」


取り乱した声を聞いた十六夜が海徳の耳元に囁く。


「こうなっては致し方ありません。この儀式は当家が勧めたものでございます。急ぎ龍禅様に言祝ことほぎなされませ。」


「馬鹿を言うな。次五郎の愛弓で儀式をやり直すのだ。」


「無理でございます。ご覧ください。当家の者ですら小躍りして、戦神の降臨を喜んでおります。」


何を馬鹿な、と海徳は周囲を見渡した。

すると、何と言うことだろう。

鷹条家の兵が総立ちで、槍を上げ下げして、ときの声を上げているのだ。

椎名家が唖然として、静まり返っているのとは対照的に。


海徳はぎりっと歯ぎしりするが、こうなっては認めざるを得ない。

神が沙魚丸に味方したことを。


「口惜しいのは私も同じでございます。ですが、このままでは当家に何か意図があると疑われます。海徳様。私にはまだ別の策がございます。さぁ、くなされませ。」


十六夜が改めて海徳に言祝ぐように勧める。


「よし。」


十六夜の策と言う言葉に安心した海徳は立ち上がった。

だが、正面を見て動かなくなった。

その横で、海徳の視線を追った十六夜が、まさか、と呟いて唇を噛む。


なんと、龍禅が祭場へと躍り出て来たのだ。


「両名とも、天晴れじゃ。」


爽やかな秋空に相応しい朗々たる声と共に。

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