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沙魚丸軍記  作者: 藤城みゆき
本章
36/41

第36話 秋風

祭場に立った沙魚丸の中を秋風が吹き抜けていく。

「あはれ秋風よこころあらば伝へてよ・・・」

ポツリと呟いた沙魚丸は、ポンと手を打った。

こころ・・・、そうよ、心を空にすればいいのよ!〉

この詩から、どうしてそんな考えになるのか不思議でしかないのだが、今はそっとしておこう。

問題は、にわかに無の境地に達することができるか、なのだ。

答えは、無理に決まっている、しかない。

だが、沙魚丸の試みは、結果的に良かったのかもしれない。


沙魚丸に過去の記憶がふと浮かんだのだ。

それは、亡き沙魚丸と小次郎の思い出。

小次郎が語った、矢をつかむ修行の話だった。

正直なところ、沙魚丸には驚きしかなかった。

〈私を元気づけるための嘘じゃなかったのね。〉

疑ってごめんなさい、と沙魚丸はコッソリと小次郎に謝るのであった。


◆◆◆


ミンミンゼミの鳴き声が普段よりうるさい。

とてつもなくうるさいのだ。


小次郎の視線の先にいるのは、抜刀した沙魚丸。

〈狙うは、沙魚丸様の心臓。〉


念のため、防具は着けている。

だが、小次郎の放つ矢であれば、間違いなく防具を貫通し、心臓へ到達する。

〈私の弓が沙魚丸様を射殺すかもしれない。いっそのこと、手を抜こうか、いや、ちょっと外せばいいのでは・・・〉


小次郎は迷う。

だが、沙魚丸に本気でやらねば意味が無い、と念を押されている。

それに、矢を放つのは、これが初めてでは無いのだ。

沙魚丸に向けて矢を射ることは、もう何度もやっている。

昔に比べれば、百発百中とは言わないまでも、小次郎の技量も相当に上がっている。

だからこそ、沙魚丸は小次郎に射手を任せているのだ。


小次郎とて、それは分かっている。

やじりをつけた矢で沙魚丸の心臓めがけて放つのが初めてと言うだけなのだ。

〈今までと違って、当たれば死んでしまう。〉

目を閉じた小次郎は己の心の弱さを叱咤する。


ふうぅぅ、と小次郎は息を長く吐いた。

〈沙魚丸様を信じろ。〉

空穂うつぼから矢を取り出した小次郎は弦に矢をかけた。

なぜだろう。

セミの鳴き声が全く耳に入らなくなった。

それだけではない。

一切の音が聞こえなくなり、沙魚丸の胸当てだけしか見えなくなった。


矢を引き絞った小次郎が矢を放った。

沙魚丸の胸めがけ、矢はまっしぐらに飛んでいく。

小次郎は思わず叫んでいた。


「沙魚丸様!」


だが、心配は無用だった。

顔色一つ変えずに、沙魚丸は矢をつかんでいた。

憎らしいほどの余裕の笑みを浮かべて。


「お見事です、沙魚丸様。」


小次郎が嬉々として叫ぶ。

これぐらいのことでギャーギャー喚くな、とでも言うかのように手を左右に振った沙魚丸は矢を傍らに置く。

そして、人差し指を小次郎に向けると、クイクイッと動かす。

さぁ、次だ。次を早く放て、と。


それから、小次郎は何本もの矢を放った。

沙魚丸を射抜く勢いで・・・

しかし、沙魚丸は全ての矢を平然とつかみ切った。


小次郎の暴走がここから始まる。

沙魚丸があまりにも楽々と矢をつかんでしまうので、小次郎の何かが壊れてしまったのかもしれない。


「沙魚丸様、新しい修行方法を思いつきました。」


そう言うと、小次郎は枝を使って地面に何かを描き始めた。

ガリガリと大きな木を描いた小次郎は不安げな表情を沙魚丸に向ける。


「これが何かお分かりになりますか。」


画力に小次郎は自信が無かった。

しかし、全然、大丈夫と言う風に沙魚丸はしっかり頷いた。

ぱぁっと表情を明るくした小次郎が次々と地面に絵を描いていく。


その大きな木に人をぐるぐると人間を縛り付けた。

それから、弓を構えた人間を描く。

そして、放たれた矢が縛られた人間の頭上に突き刺さる。


小次郎の大作は描き上げられた。


まさに狂気。

これには、さすがの沙魚丸もたじろいだ。

〈これは修業とは言わない。〉

喋らないと誓った沙魚丸は黙って首を左右に振った。

絶対にやらない、と。


「お互いの恐怖を克服する修行になると思ったのですが、ダメですか。」


子犬のように目をウルウルさせた小次郎が訴える。

〈お互いって、私が失うものが大き過ぎるんだが・・・〉

はぁ、とため息を吐いた沙魚丸が、地面に文字を書いた。


「私はお前の弓の腕前を信じている。よって、却下だ。」


「ありがとうございます。」


そして、顔を見合わせた二人は楽しそうに笑いあうのだった。


◆◆◆


記憶を覗いていた沙魚丸は独り言ちる。


「リンゴを頭の上に乗せたら、ウィリアム・テルじゃない。こんな修行を素で考えつくなんて、小次郎さん考案の修行には要注意ね。」


やばいやばい、と呟いた沙魚丸はとんでもないことを思い出した。


「小次郎さん、私を沙魚丸君レベルにするって言ってたわね。この修行をやれってこと・・・」


〈これぞまさしく、『前門の虎、後門の狼』〉

沙魚丸の体に戦慄が走る。

だが、二人の楽しそうな笑い声を思い出した沙魚丸は心がポカポカするのだった。

もう大丈夫、と沙魚丸は顔を上げる。

〈女は度胸。足も震えてない。やってやろうじゃない!〉

気合を入れようと沙魚丸は頬を両手でぴしゃりと叩く。


「いざ!」


雄々しく声を張り上げ、沙魚丸は腰の刀をスラリと抜いた。



さて、一方の次五郎だが、死を覚悟したとは言っても、ただで死ぬ気はもちろん無い。


「沙魚丸様は言いにくいな。もう小僧でいいか。」


小声で次五郎はボソッと呟いた。

次五郎は自らの主君ですら、海徳と呼び捨てにするような男である。

椎名家の総大将と言っても、見かけはただの子供でしかない。

初対面だし、瞠目どうもくするような話も聞いたことが無い。

それに、これから射殺す相手なのだ。

敬称をつけるのも馬鹿々々しい、と次五郎は舌打ちをした。

〈さてと、小僧の首と目を狙うのだったな。問題はその後だが・・・〉


矢は3本に減らされたが、幸いなことに打根うちねは残っている。

弓に打根を装着すれば、槍として戦える。

だがなぁ、と次五郎は口を尖らせた。

問題は弓なのだ。

そう、この弓は、妹、旭の弓。

つまり、強度はあまり無い。


ちらりと椎名家を見た次五郎は、

ははっ

と口の端を上げた。

〈おい、おい。どいつもこいつも涼しい顔してやがる。なるほど、雨情様も死に花を飾るためにかしら級の者を集めたのか。惜しい。惜し過ぎる。俺の弓ならば、折れる心配をすることも無いのだが・・・〉


次五郎の頭の中には、もはや沙魚丸のことは無かった。

目の前の猛者を何人、地獄の道連れにすることができるか一色に染まっていた。

〈最高の花道だな。〉

たぎって来た、と次五郎は透き通るような笑みを浮かべた。


ドーン


始め、の太鼓が鳴った。

思考を中断された次五郎は、やれやれ、と視線を沙魚丸に向け直す。

年の割には、しっかりとした構えだが、それでも子供でしかない。

〈だが、手は抜かん。〉

ゆっくりと息を吐きつつ、次五郎は弓を構え、沙魚丸の首に狙いを定める。


〈初陣で大将代理か。せっかく、12歳まで生き延びたと言うのに、なんとも運の無いことよ。よし、武士の情けだ。苦しまないよう成仏させてやるからな。〉

ギリギリと引き絞った矢を次五郎は、ヒョウと放つ。

矢は吸い込まれるように沙魚丸の首めがけて飛んで行く。

沙魚丸を見つめ、次五郎は呟いた。


「南無阿弥陀仏」


念仏を口ずさんだ次五郎は、2本目の矢を射る準備に入る。

一瞬たりとも1本目の矢からは目を離してはいない。

矢が刺さった沙魚丸の姿勢がどう崩れるかを見極めなければいけないのだ。

〈面倒だが、十六夜とは約束したからな。〉

さて、どっちへ倒れる、と観察していた次五郎だが、次の瞬間、ええっと目をみはった。


カン


鋭い金属音が鳴り響く。

沙魚丸が矢を刀で弾いたのだ。


「・・・」


自分の矢が弾かれるなど思ってもみなかった次五郎は絶句し、立ちすくんだ。

それこそ、次の矢を射ることすら忘れて・・・


「「「「「うおおおおおっ」」」」」


怒涛の喚声が両軍から巻き起こる。

どの男たちも1本目の矢で、沙魚丸は射殺されると確信していた。

何と言っても、次五郎の矢だ。

相手が悪い、と誰もが思っていたのだ。

しかし、蓋を開ければ、どうだ。

年端も行かない子供が次五郎の矢を細腕で防いだのだ。

今や、両軍は興奮のるつぼと化し、次も防げと歓声を沙魚丸に送り始める。


地鳴りのような声に次五郎は我に返った。

〈いかん、俺としたことが・・・〉


「次で殺す。必ず殺す。」


自分に言い聞かせるように次五郎は独り言ちる。

そして、狙いを沙魚丸の目につけた次五郎は先ほどよりも強く引き絞り、矢を放った。

二度と刀で弾かせるものか、と言う強い思いを乗せて。



1本目の矢を次五郎が構えた時から、沙魚丸は矢だけを見ていた。

沙魚丸の動体視力が凄いこともあっただろう。

だが、ここ一番の沙魚丸の集中力も凄かった。

前世では、駆け込みのイラスト仕事を幾つも受けて来たのだ。

無茶な依頼で鍛えられた集中力は伊達ではなかった。

なんと、沙魚丸には飛んで来る矢がゆっくりと迫ってくるように見えていた。


ずばり、沙魚丸はゾーンに入っていた。

〈あれ、これ、楽勝じゃないかしら。〉

そう思った時には、既に体が動いていた。

飛んで来た矢の鏃を刀で受け止めたのだ。


だが、これが間違いでもあった。

〈よっしゃー!〉

喜んだのも束の間。

矢の威力に刀もろとも両腕は吹っ飛ばされた。


『剛弓の使い手、鎮西八郎為朝の生まれ変わり』、とも噂される次五郎の矢をまともに受けてしまったのは、人生最大のしくじりであった。

〈詰んだ?〉

今、沙魚丸は、万歳をしている姿なのだ。

しかも、刀を持つのは右腕のみ。

ここから刀を振るうなど、よほどの膂力りょりょくがなければ無理だろう。


2本目の矢を次五郎が放ったのを目にした沙魚丸の心はまだ折れていなかった。

ここで、亡き沙魚丸の鍛錬が幸いする。

バランスを崩されたのは上半身であって、下半身はまだ踏ん張ることができたのだ。

〈刀で受けれないなら、こうしてやる。〉

ふん、と鼻息荒く、沙魚丸は頭を突きだす。


ガン


見事に2本目の矢を兜で受けた沙魚丸。

さすがは父、春久の逸品。

次五郎の矢を受けても見事に耐えた。


またもや、次五郎の矢を防いだことに両軍の兵士からは、大きなどよめきが巻き起こる。

刀ではなく、頭で受けた。

みっともない、と言う者もいるだろう。

だが、男たちは感動していた。

その見苦しいまでの生への執着力に。

『死んでたまるか!』

男たちの気持ちを代弁するかのような沙魚丸の姿に男たちは密かに声援を送る。

〈よし、次も防げ! 生きろ!〉と。

そして、男たちは自身を沙魚丸に重ね合わせ、一斉に黙り込んだ。


だが、何かおかしい。

沙魚丸の様子がおかしいのだ。

だらりと両手を下げて立つ沙魚丸の目を見た男たちは、あぁ、と声を漏らしその場に座り込んでしまう。

白目を剥いて立つ沙魚丸を見て、男たちは気づいた。

矢の衝撃の強さに脳震盪を起こしたのだ、と。

万事休す。

男たちは、沙魚丸の死をしっかりと見守ろうと、歯を噛みしめた。


当然、次五郎も気づいていた。

次五郎の矢を頭で止めたのだ。

正気でいられる訳が無い。

〈どうする、気がつくまで待つか。〉

一瞬、次五郎は矢を構えるのを躊躇ちょうちょした。


だが、戦場で気絶したからと言って、待つ馬鹿はいない。

らねば、られるのだ。

気がつけば、次五郎は柔らかな笑みをこぼしていた。

〈沙魚丸様、小僧などと馬鹿にしたこと許されよ。気絶しようとも前を向いて死ぬ。猛き武士もののふらしくよき死に様。さあ、これが最後の矢、しっかりと御受け止め下されい!〉


幽鬼のように立つ沙魚丸に次五郎は渾身こんしんの矢を放つ。

十六夜との約束通り、左目を狙い・・・


誰もが、沙魚丸は死んだと思った。

「「「「「惜しや」」」」」

男たちの贈る言葉を乗せて矢は沙魚丸へと飛んで行く。


その時、一陣の風が吹き込んだ。

ピタリ、と矢は空中に止まった。

沙魚丸を害するのを許さない、とでも言うかのように風が矢を空中にとどめたのだ。

そして、勢いを失った矢は、なぜか空へと舞い上がる。

クルクルと宙を舞った後、矢は小次郎の足下にぽとりと落ちた。

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