第34話 蒼天に誓う
幼いころに弓の才能を認められ、茄子家の養子になった次五郎は過酷な修行に励み、齢30にして弓の名人と言われるようになった。
だが、その次五郎をもってしても、十六夜の気配に気づけなかった。
海徳と二人きりと思い込んでいる次五郎にしてみれば、不意に現れた十六夜に驚愕すると共に己の目を疑うのは当然のことだった。
〈こいつ、どこにいた。〉
次五郎の青ざめる顔を楽しむかのように十六夜はしゃなり、しゃなりと次五郎に近づいて来る。
〈アオサギみたいな歩き方しやがって。こいつ、音一つ立てずに歩けるのかよ。〉
化け物め、と呟く次五郎は前々から十六夜を疑っていた。
何を、と問えば、そんなもの決まっている、と次五郎は口角を上げて言うだろう。
十六夜のすべてだ、と。
〈頭が良くて、見目麗しい男がこの世に存在していいものか。そんな不条理が許されれば、世の男が悲惨すぎる。しかも、こいつ、武芸まで一流ときてやがる。〉
神様の馬鹿野郎、と悪態を吐いた次五郎は十六夜に目をやる。
華奢な体つき。
透き通るような白い肌
男とは思えない整った顔立ち。
妖しいほどに魅力的な目。
艶やかでたおやかな髪。
次五郎は思わずため息をつく。
〈こいつと比べると、旭は男だな。〉
旭の容姿を思い出し、次五郎は遠い目となる。
憐れな妹よ、と胸を痛めた瞬間、旭の辛辣な言葉が胸に突き刺さった次五郎は眉をしかめる。
『十六夜様の謎めいた神秘さが素敵って分からない兄者は憐れね。そんなことだから、婚約すらできないのよ。お・わ・か・り?』
〈分からねぇよ。十六夜は神秘的じゃなくて、賢い美男子なんだよ。畜生、海徳も海徳だ。こんな男を重用すれば、家臣に軋轢が生じるぐらい分かるだろう。〉
先代の治世中、海徳がどこからともなく連れて来た男。
それが、十六夜である。
謎めいた魅力と秀でた実務能力で、奥向きの者たちの心はすっかり奪われてしまった。
あれよ、あれよと言う間に出世し、現在は奏者を務めている。
『奏者』とは、主君と家臣の間を取次ぐ重要な役目である。
なぜ重要かと言えば、奏者に取次いでもらわないと、家臣は主君に会えないのだ。
もし、主君に讒言する邪な奏者がいれば大変なことになる。
奏者に敵対する家臣を失脚、追放または切腹と何でもありなのだから。
但し、愚かな主君とその寵愛が必要となるけれど。
ゆえに、奏者の地位にある者には誰もが気を遣う。
数年もすると、賄賂や付け届けで屋敷に幾つも蔵が建つほどに・・・
どこに行くのも海徳様と一緒、と羨まれる十六夜である。
自然、家臣は十六夜に媚び諂うようになった。
しかし、一部の家臣は十六夜に媚びることを潔しとしなかった。
次五郎もその一人なのだが、悲しいことに、当の十六夜は次五郎のことを羽虫程度にしか思っていない。
「次五郎様、お話がございます。」
その十六夜が次五郎に軽く頭を下げた。
そして、形の良い口を開く。
「いつもながら、惚れ惚れする弓の腕前。思わず見惚れておりました。」
十六夜の誉め言葉を聞いた次五郎は、
〈褒めるなよ、照れるじゃないか。〉
とウキウキしてしまう。
だが、目の前で微笑む十六夜に気づいた次五郎は、
〈俺の馬鹿、お世辞だ、お世辞!〉
と自らに活を入れる。
そして、浮かれ気分を排除すると、気を静めるために十六夜の憎まれ口を心中で述べることにした。
〈フン、相変わらず、鈴を転がすような声で話しやがる。〉
次五郎に褒めているつもりはない。
「いかがされました。」
「何でもない。」
十六夜は目を細めた。
次五郎の心の動きを楽しむかのように・・・
クスリと笑った十六夜は柔らかな声で次五郎に話しかける。
「次五郎様におかれましては、もうお気づきだと思いますが、『矢つかみの儀』などと言う儀式は鷹条家にはございません。つまり・・・」
「はぁぁぁ?」
素っ頓狂な声を出して驚く次五郎の顔がよほど間抜けだったのか、海徳が声を立てて笑った。
〈この野郎・・・〉
次五郎は目を据えて海徳を睨みつける。
但し、刀の柄を握るのはギリギリのところで思いとどまった。
次五郎の剣呑な眼差しに気づいた海徳の表情が一気に険しくなる。
〈こいつ、家臣の分際で・・・。いつも、儂が優しい主君だと思うなよ。〉
祝福すべき日となる今日を穏便に終わらせたいと考えていた海徳だが、蓄積された怒りのせいで、ついつい余計な一言を放ってしまう。
「目が血走っておるぞ。何か獲物でも見つけたか?」
あぁん、と馬鹿にするように顎を上げた海徳は、なんと、刀の鯉口を切ってしまう。
それを見た次五郎の全身がカッと熱くなる。
〈面白え。この場でぶち殺してやる。〉
このままでは殺し合いになる。
この二人が話をすると喧嘩になるので、2人だけの機会を無くして下さい、と某家老からの忠告を思い出した十六夜がスッと前に出た。
十六夜の後姿を見て、海徳はハッとする。
〈いかん、いかん、十六夜に全て任せるよう言われておったことをすっかり忘れておった。次五郎をいい気にさせておくのだったな。〉
「冗談だ、冗談。儀式前に緊張を解いてやろうとしたのだ。」
わっはっは、と白々しい高笑いを上げた海徳は、十六夜と次五郎のやり取りを見守ることにした。
「では、『矢つかみの儀』を創作した理由を説明いたしますね。」
そう言った十六夜が一瞬、口をすぼめた。
チクッ、と微かな痛みを首筋に次五郎は感じる。
〈なんだ!〉
次五郎はなぜか指一本動かせない。
微動だにできない次五郎の顔を覗き込んだ十六夜は何が楽しいのかクスクスと忍び笑うと、次五郎の耳元にそっと濡れた口を近づけ囁く。
「この儀式の目的は、現当主の椎名龍久様と常盤木雨情様のお二人を討ち取ることでございます。」
「なっ、何。」
十六夜の言葉の凄まじさに次五郎は驚いて飛び下がった。
「おや、もう動けるのですか。さすが、次五郎様は歴戦の猛者でいらっしゃますね。まぁ、それはさておき、残念なことに、龍久様はご病気のため、代理として庶子の沙魚丸様がお見えになりました。せめて、御次男の桔梗丸様がお越し下されば良かったのですが。」
次五郎には衝撃の連続だった。
正直なところ、体が動かなくなった理由を問いただしたかったが、今はそんなことはどうでもいい。
〈十六夜の企てか。それにしても、海徳が他人の策を採用するとは。いや、驚いた。あんな頑なだった海徳がなぁ。そうか、俺も海徳を見直してやるべきだな。せめて、殿と呼んでやろう。〉
次五郎は海徳にニッコリと微笑んだ。
有難く思えよ、と言う思いを込めて。
一方、その笑顔を贈られた海徳は背筋に冷たいものが走る。
犬猿の仲の相手から意味不明な微笑みを向けられたのだ。
得体の知れない恐怖しか感じないだろう。
さて、海徳の気持ちなど露知らず、きりっと表情を引き締めた次五郎は十六夜に話しかける。
「具体的にはどうするのだ。龍禅様の目の前で騙し討ちができるとは思えんが。」
「その通りです。ですから、戦神に捧げる儀式での失敗を演出するのです。龍禅様が見守る神事を血で穢した廉で椎名軍には全滅していただきます。」
「だが、俺の矢を防げる者など滅多におらんぞ。失敗前提では龍禅様もお認めになるまい。」
「ですから、旭様の弓を使っていただくのです。難易度を下げたのにも関わらず、椎名家の大将が失敗。しかも、この戦は龍禅様主宰の鷹条家と椎名家、初の合同軍。命で贖っていただくしか無いでしょう。」
「なるほど。雨情様が死ねば、椎名家の力は格段に落ちる。そして、当家が椎名家を滅ぼすのか。雨情様をここまで招き寄せ、常盤木の強兵を全滅させる。いや、見事な謀略だ。」
「まさか、次五郎様にお褒めいただくと思いませんでした。」
はにかむ十六夜に次五郎は人差し指を立てる。
「一つ質問がある。」
「何でございましょう。」
「仮の話。この企みが雨情様に露見した場合、椎名軍は算を乱して逃げ出すのではないのか。」
おやまぁ、と十六夜は驚いた。
次五郎は弓しか能がない、と考えていた十六夜にとって、次五郎の発言は予想外だった。
〈海徳様は次五郎様のことを脳筋野郎としか仰いませんが、知性もあるではないですか。〉
だが、その驚きをいささかも表情に出すことなく、笑顔で十六夜は答える。
「御心配には及びません。この儀式の祭主は龍禅様です。ここで逃げ出せば、龍禅様の命に背いた謀反人とみなされます。」
「分かった。では、俺は弓に集中すればいいのだな。」
「よろしくお願いいたします。」
深々と頭を下げた十六夜は心の中で笑う。
〈惜しいですねぇ。合戦では、次五郎様は兵を率いて大活躍なさるでしょう。ですが、海徳様は椎名家と共に次五郎様を亡き者にしろと命じられました。〉
とは言え、十六夜が次五郎の処罰を考え直すように海徳に進言するかと言われれば、黙って首を横に振るだろう。
なぜなら、十六夜ほど、海徳の苦悩を知っている者はいないからだ。
「儂はまだまだ死なん!死んでも死なん!」
と豪語していた先代が急死する。
家督相続の準備を怠っていた先代のせいで、鷹条家を掌握するのに海徳は大変な労力を要した。
中でも、忠臣と言われる者が海徳のやることなすこと反対し、二言目には、先代様ならこうした、とか、先代様とは違う、と文句をつけて来るのだ。
「父はもう死んだのだ。今は儂が当主と言うことがあの馬鹿者どもには分からんのか。」
腹立たし気に漏らす海徳だが、真に心を許せる家臣は数名しかいない。
その数名も要職にあるため、なかなか会うことができない。
「どいつも、こいつも・・・」
と言うのが海徳の口癖だった。
だが、十六夜を得てからは
「お前だけだ。儂を理解してくれるのは・・・」
と口癖が変わった。
〈雨情様が死ねば、次五郎様の弓はもはや不要とのこと。雨情様に忠義を尽くさない者は、鷹条家から除去します。主君にただ反対するだけの家臣など、ゴミ以下。〉
表情を歪めそうになるのを必死でこらえる十六夜に次五郎が声をかける。
「他に注意点はあるのか。」
「そうですね、沙魚丸様を惨たらしく射殺して下さい。首に一射。両目に一射ずつがよろしいか、と。」
「造作も無いが、理由を教えてくれ。」
「雨情様の兵が強者ぞろいと言えども、大将が惨たらしく死ねば、怖気づく者もいるでしょう。」
「ふむ。で、沙魚丸様のお年は。」
「確か、12歳かと。」
「もしかして、元服前か。」
「そのようですが、何か。」
12歳かつ元服前と聞いて、次五郎は明らかに嫌そうな顔をする。
口を尖らせ、考え込んだ次五郎は十六夜から目を反らして言う。
「子供を射るのは気が進まん。だが、役目は必ずやる。で、相談だが、惨いのは無しにしないか。」
「ダメです。」
あっさり否定された次五郎は頭を捻る。
子供を惨く射殺すなど勘弁して欲しいの一念で・・・
「そうだ、旭がいい。旭の弓も凄いぞ。それに、女の弓を防げなかった、と言うのも、武で鳴らす椎名家としては恥だぞ。あと、旭は惨いのが大好きだ。」
どうだ、名案だろう、と朗らかな顔の次五郎を見た十六夜は露骨にため息を漏らす。
そして、次五郎の顔をじっと見る。
どこまで分かっているのだろう、と言う思いで。
〈次五郎様が沙魚丸様を惨たらしく射殺すことで、椎名家の者たちは悲憤し死兵と化すのです。そして、彼らに真っ先に狙われるのは次五郎様。次五郎様が粘る間に私たちは防御態勢を取ります。ですから、旭様が射手になるなどあり得ません。これを分かって言っているのなら、私の一命を賭して海徳様に助命を願いますが・・・〉
ドヤ顔の次五郎を見た十六夜は、ボソッと呟く。
どうやら買い被りですね、と。
「この儀式は大将同士と言う取り決めがございます。ですが、椎名家の大将は代理の沙魚丸様。もし、海徳様が出れば、当家が軽んじられます。そこで三国一と謳われる次五郎様を当家の代表とするのです。旭様では役不足です。」
「そうか。そうかぁ、俺しかいないのだな。」
まんざらでもない次五郎の様子に十六夜はダメ押しとばかりに付け加える。
「それに、弓の名人、次五郎様に射殺されるのです。沙魚丸様とて名誉の戦死でございましょう。であればこそ、椎名家の方々も納得されるのです。」
「よし、委細承知した。沙魚丸様の命、我が弓にて惨たらしく散らせてやろう。」
次五郎は蒼天に拳を振り上げ、誓うのであった。




