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沙魚丸軍記  作者: 藤城みゆき
本章
33/35

第33話 重藤弓

雨情たちが死に際を飾る決意を固めていた頃、射手に選ばれた次五郎は『矢つかみの儀』に備えて、弓の肩慣らしをしていた。


どうにも狙いが定まらない。

〈儀式までに慣れるしかないな。〉

重藤弓ならば、と次五郎は唇を噛む。


そう、今、次五郎が手にしているのは、手に馴染んだ愛用の重藤弓ではない。

儀式での重藤弓の使用を禁じる、と主君、海徳から直々に命じられたからだ。


その時のことを思い出した次五郎は苦虫を嚙み潰したような表情となり、切株の上に置いた袋の中に手をつっこむ。

そして、手一杯につかんだ煎り豆を口に放り込むと、ばりぼりと音を立てて食べ始めた。


◆◆◆


「次五郎、お前に『矢つかみの儀』の射手をやってもらう。」


海徳に命じられた時、次五郎は思わず耳を疑った。

〈マジか。殿が俺を選ぶだと。天地が裂ける前兆かもしれん。〉


だが、こぼれんばかりの笑顔を浮かべている海徳を見た次五郎は己の狭量さを大いに恥じ入る。

己は何と浅はかな人間なのか、と・・・

穴があったら入りたい、と・・・

皆の前で弓を射ると言う儀式と教えられた次五郎は目頭を熱くする。

〈反抗的な俺にこのような栄誉の機会を与えてくれるとは・・・。殿、すまなかった。俺は貴方様を誤解していた。これからは素直で立派な家来となろう!〉


次五郎が興奮するのも無理はない。

鷹条家と椎名家の猛者たちの前で弓を射るだけではない。

西蓮寺家が仮守護として下房の国に送り込んで来た龍禅の御前でもあるのだ。

武士の誉と言っていい。


だが、それらは次五郎にとってオマケでしかない。

〈皆から名将と慕われる雨情様がいるのだ。気合を入れるしかない!〉

雨情に己の弓を披露すると考えただけで、次五郎のウッキウキが止まらない。


鷹条家を最も苦しめ続けた男は、鷹条家の者にとって最も忌み嫌われる男である。

だが、鷹条家の中で猛者と呼ばれている武将ほど、雨情に強い憧憬しょうけいの念を抱いているのも確かなのだ。

次五郎もまさしく、そんな猛者の一人である。


そんな次五郎の浮かれ気分も海徳の一言で瞬時に終わりを告げる。


「重藤弓を使ってはならん。」


海徳の一言は、次五郎の舞い上がっていた気分を一気に奈落の底へ突き落とす。

聞き間違いかと海徳の顔を見た次五郎は愕然とした。

〈おい、さっきまでの朗らかな笑顔はどうした。何だ、そのしてやったと言う笑顔は。こいつ、気が狂ったのか。いや、あの目はどう見ても本気だ・・・。〉


本当に重藤弓以外の弓を使うのか、と呟いた次五郎は黙り込んだ。

〈戦場なら分かる。だが、儀式で別の弓を使えだと・・・〉

やってられるか、と次五郎すっかり馬鹿々々しくなった。


しかし、やっぱりやりません、などと言えるわけもない。

その時、次五郎は閃いた。

そうだ、海徳を怒らせよう、と。

海徳が怒った時、必ずと言っていいほど使う言葉を次五郎は思い出した。


『もうよい。貴様などには頼まん。別の者にやらせる。目の前から失せろ!』と海徳は決まって言う。

何度となく面罵された記憶がよみがえる。

いつもは、いつか殺す、と思うのだが、なぜか今はとても心地よい。

〈ふっふっふ。見てろよ。今回は意図的に言わせてやるからな。〉

次五郎は口の端を吊り上げた。


仮にも二人は主人と家来なのに、なぜ仲たがいをするのだろう。

その答えは簡単だ。

海徳と次五郎は自他共に認める犬猿の仲なのだ。

喧嘩するほど仲がいい、なんてことは全くない。

もしかすると、お互いのことを不倶戴天ふぐたいてんの敵とすら思っているかもしれない。


事あるごとに角突き合わせる二人だが、事あれば誰かしら仲裁に入る。

直情的な性格ではあるが、いや、だからこそなのか、次五郎を可愛がってくれる者が多いのも事実なのだ。

その事実もまた、海徳が機嫌を損なう理由の一つなのだが・・・


仲裁に入った者は次五郎の首根っこを押さえると、有無を言わさず次五郎に頭を下げさせる。

その度に、仲裁者は『君臣上下の秩序を守れ。』と口を酸っぱくして言う。

仲裁者は次五郎のために言っているのだが、次五郎にとっては余計なお世話でしかない。

何度も繰り返されるお説教に次五郎は心の底から辟易へきえきとしていた。

〈馬鹿々々しい。主君と言うだけでホイホイと従うことなどできるか。主君と言うなら、俺が心底惚れるような男でなければいかん!〉

などと、次五郎は自分のことをものすごく高い棚の上に上げてしまう。


幸か不幸か今回は仲裁する者がいない。

海徳と次五郎の静かな戦いが始まった。


「いや、さすがは我が主。天才と何とかは紙一重と申しますが、矢を手で投げると言う発想は浮かびませんでしたな。あっ、もしかして、打根うちねを使うのですか。」


そう言って、次五郎はえびらから打根を取り出した。

全長60センチぐらいで、先っぽに槍の穂先をつけた和風の大きなダーツ矢を次五郎は、恭しく海徳に向かって差し出した。


しかし、打根をチラリと見た海徳は額に青筋を立てるのみ。

いつもの海徳なら、ここでぶちぎれるはずなのだ。

〈おかしいな。煽りが足りなかったか。〉

本当に手間のかかる主君だ、とため息を漏らしつつ、海徳を怒らせるべく次の行動に移る。


「こうすれば、よろしいでしょうか。」


次五郎はヒョイと打根を宙に放り投げ、先後の位置を変えて持った。

それから、後部の矢筈やはずから投げる真似をしたのだ。

矢の後部が的に刺さる訳がない。


見え見えの挑発行動だが、海徳の忍耐はとっくの昔に限界に達していた。

見る見るうちに海徳の顔色が赤色から青色へと変わっていく。

怒涛の怒りをぶつけようとした時、海徳はハッとした。

〈こんなバカ猿の挑発に乗せられる儂だと思うなよ。〉

驚くべきことに、海徳はギリギリのところで自制心を保ったのだ。


「打根は神器でもあるから、貴様にしてはよい考えだ。褒めてつかわす。」


これには、次五郎はすっかり意表をつかれた。

〈怒らない? いや、俺を褒めた? えっ、どういうこと?〉

目を点にした次五郎は口ごもりながら、

「どうも。」

と答えるのが精一杯だった。


次五郎の様子を見て、

〈ざまあみろ、この勝負、儂の勝ちだ。〉

と悦に入る。

そして、ニヤリと黒い笑顔を浮かべる。


「儂はな、お前にもっと目立って欲しいのだ。当家でも屈指の弓使いを龍禅様にも椎名家にも教えてやりたいのだ。分かるか。これは儂の親心なのだ。」


「あっ、えーと、どうも。」


人間と言う者は、自身が大嫌いな相手から優しい言葉をかけられた場合、脳がストップするものらしい。


攻防においての禁忌。

次五郎は無防備の受け身に転じてしまった。

それを見透かすように海徳が微笑む。


「1矢で敵2人を射抜くほどの強弓使いとして名を馳せるお前であれば、妹の旭が使う弓でも十分であろう。」


やられた、と次五郎はほぞを噛む

人の弓だろうと何だろうと細かいことに気にする次五郎ではない。

だが、旭は女。

あまりにも弓の強さが違うと、普段の実力を発揮するのは難しい。

〈こいつ、俺に失敗させて笑いものにする魂胆か。〉


この時、次五郎の不屈の心に火がついた。

売り言葉に買い言葉。

負けず嫌いで通った次五郎は、やってやろうじゃないか、と目の中に炎を宿す。

そして、虚勢を張った次五郎は敢えて馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて答える。


「殿のご命令とあらば、旭の弱弓と言えど、見事にやってのけましょう。」


「武士に二言は許されんぞ。」


「失敗した時は、何なりと命じられよ。」


吐き捨てるように答えた次五郎は海徳から憎々し気に睨まれる。

〈これは失敗したら、腹を切らねばいかんな。〉


だが、そんなことは起きる訳がないと次五郎は考えていた。

旭の弓とは言え、弓は弓。

心静かに放てば、失敗などありえない。

幼いころから、弓一筋に鍛錬を積んで来たのだから。


しかし、またしても海徳が暗い顔で微笑む。

その悪辣さに次五郎の全身がぞわりと粟立つ。


「貴様の誓いは、今、戦神も聞いたからな。では、『矢つかみの儀』の説明を行う。」


「戦神?」


〈おいおい、いつもと違い過ぎるぞ。武士に二言はない、とか、戦神、とか何なんだ。〉

意味不明、と肩をすくめた次五郎の前に海徳の腹心、十六夜いざよいが前に出て来た。


◆◆◆


そんな訳で、次五郎は旭の弓で肩慣らしをしているのだが、旭に弓を借りた時のことを思い出し、心中、穏やかではない。

〈旭め。殿の命令だと言っておるのに、何だ、あの言い方は。ちゃんと頭を下げて、『貸してください。お願いします。』と言わないと私の弓は貸さない、と言いやがった。〉


凶悪な笑顔を浮かべた旭が次五郎の頭に浮かぶ。

旭を頭から追い出そうとすればするほど、凶悪な笑顔と共に邪悪な笑い声が次五郎の頭を占拠する。


チッ、と舌打ちをした次五郎は矢を放つのを止めた。

〈今回の企みは見事だ。しかし、海徳が気に食わん。あの野郎、マジでいつか殺す。〉


もはや、殿と呼ぶ気もない。

あんなカス野郎は呼び捨てで十分だ、と。

そして、次五郎は歯ぎしりしながら、十六夜から説明された『矢つかみの儀』の詳細を思い出すのだった。

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