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沙魚丸軍記  作者: 藤城みゆき
本章
32/41

第32話 死に花

ことの重大さに気づいた小次郎の顔面は蒼白となっていた。

〈次五郎様の矢を打ち落とすなんて、亡き沙魚丸様にだって無理だ。〉

頭を抱える小次郎を見かねたのか、雨情が声をかける。


「おい、小次郎。何を一人でもだえている。」


ピクっと反応した小次郎。

幽鬼のようにゆらりと立ち上がる。

うつむいていた顔を上げると、その表情は困惑しきっていた。


「沙魚丸様が次五郎に射殺されるのですよ。皆様はどうして平然としていられるのですか。」


雨情はかすかに眉を動かし、深いため息をついた。


「そうか。小次郎は沙魚丸に死んで欲しくないのだな。」


「当たり前です。昨日の今日で再び死なれては耐えられません。」


「何を言っているか分からんが、主君を思うお前の気持ちはよく分かった。」


そう言うと、雨情は木蓮に耳を貸すように命じる。

小声で何かを告げる。

木蓮は、はい、はいと頷き

「お心のままに。」

と言って、小次郎の方へ向き直った。

優しい微笑みを浮かべた木蓮は、詳細をお聞きください、と話を始める。


「先ほど、私は本物の弓を使うと言いました。儀式とは言え、戦勝を祈願するための神事です。偽矢を使っては戦神も興ざめてしまいます。」


「おっしゃることは分かります。せめて、射手の変更をお願いできませんか。」


「龍禅様が許可を下された以上、無理です。100歩離れた場所から柳の葉を連続で射抜くと言われる次五郎殿が放つ矢です。小次郎殿のご懸念通り、沙魚丸様は射殺されるでしょう。」


さらりと絶望の言葉を述べる木蓮を前にして小次郎はギュッと唇をかむ。

その口元の端からは一筋の血が垂れていく。

血が地面にポタリと落ちた時、小次郎は雨情にキッと顔を向けた。


「戦神への生贄いけにえならば、私がなります。西蓮寺様も鷹条様も沙魚丸様のお顔をご存じ無いはず。どうか私にこの御役目をお与えください。次五郎様の矢と言えど、1本目は必ず打ち払い、この命が果てようと椎名家の面目を施してみせます。どうか私に御役目を。」


地に伏して願う小次郎を見て、沙魚丸は茫然としていた。

誰かのために一命をすような人間など、この世にいる筈がないと思っていたのだ。

そう、小説や漫画の中だけの話だと・・・

しかし、その人間が最も身近にいた。

しかも、自分の代わりに死ぬと言っているのだ。

いつの間にか、沙魚丸の頬に涙が伝う。

沙魚丸はうずくまっている小次郎の肩にそっと手を掛けた。

そして、涙で濡れた顔を雨情へ向ける。


「叔父上、私がやります。小次郎さんは将来、椎名家の柱石を担う存在。今ここで失ってはいけません。」


沙魚丸は本気で思った。

ここで小次郎が死んではいけない、と。

〈人のために死ねる人は、必ず立派な人物になるわ。秋夜叉姫様には悪いけど、この退廃した時代には小次郎さんのような人が必要なのよ。〉

涙で洗い流されたせいなのか、キラキラとした曇りなき瞳を向けられた雨情はこれまでの人生の中で最も深く大きなため息をついた。


「木蓮、お前が悪い。さっさと話せ。」


「失礼いたしました。」


雨情に詫びた木蓮が沙魚丸と小次郎に手を貸し、二人を立たせる。


「この儀式は龍禅様の前で行われるのです。血を見ることはあり得ません。名人の次五郎殿のことですから、沙魚丸様が弓を払える程度に手加減を下さいます。」


この木蓮の言葉を咀嚼そしゃくした二人は愕然がくぜんとした。

〈えっ、何。もしかして、私、やらかした・・・〉

泣きながら、小次郎のことを訴えたシーンを思い出した沙魚丸は、ぐはぁ、と血を吐き出しゴロゴロと地面をのたうち回りたくなる。

一方、小次郎は小次郎で頭を抱えて意味不明なことをブツブツと呟いている。


「私の説明のせいですね。申し訳ございませんでした。」


「そうだ、全部、木蓮が悪い。さぁ、二人ともさっさと冷静になれ。」


木蓮が全て悪いことになったため、沙魚丸と小次郎は落ち着きを取り戻した。

とは言っても、多少の痛みが心に残るけれど・・・

沙魚丸は思う。

これは黒歴史になるなぁ、と。

やれやれと肩をすくめた雨情は、ふと沙魚丸の頭を見た。


その視線に気づいた沙魚丸は、えへへ、と愛想笑いを浮かべてみた。

だが、全くの逆効果。

その笑みが不快だったのか、チッと雨情が舌打ちし眉が吊り上がったのだ。


「お前の鎧は龍久様が元服の時に造ったものだろう。なぜ、兜を着けん。あのご大層な兜なら、次五郎の矢と言えども耐えられるはずだ。」


あー、と言って、沙魚丸は押し黙った。

〈言ってもいいのかしら。茜御前様の命令とか、小役人のこととか。でも、沙魚丸君も言わなかったことを私が言うのはなぁ・・・〉

どうしよう、と沙魚丸が悩んでいると、源之進の声がした。


「前立てが椎名家の家紋と言う理由でお借りできませんでした。」


「何を言っておる。沙魚丸は兄上の子、さらに、現当主、龍久様の弟ではないか。椎名家の家紋を用いて何が悪い。」


そこまで言って、雨情は源之進の顔を見た。

何とも言えない表情をしている源之進に気づいた雨情は、

「茜か・・・」

と言って、頭をガリガリと掻く。


「源之進、まさか兜無しで来たのではあるまい。もし、持参した兜が貧弱なものなら、代わりの兜を用意せねばならん。ほら、見せろ。」


せっつかれた源之進は慌てて、鎧櫃よろいびつから兜を取り出し、雨情へ差し出した。

これか、と言って、手に取った兜を雨情はためつすがめつ眺める。

一通り見終わった雨情は上機嫌な口調で話し出す。


「これはまた、えらいものを持ってきたな。」


「どういうことですか。」


「なんだ、源之進はこの兜を知らんのか。」


「その兜が何か?」


源之進の思いつめた表情を見た雨情は高らかに笑い出した。

兜を木蓮に渡した雨情は

「木蓮は覚えているよな?」

と尋ねる。


「もちろんでございます。これは、春久様が初陣で勝利を飾られた際にかぶられた兜でございます。雨情様が春久様にお贈りになった兜ですから、忘れるはずがございません。」


「木蓮が見立てた兜だからな。いや、懐かしい。誰か知らんがこの兜を沙魚丸に用意するとは意気なことをする。戻ったら褒美をやるか。」


なぜか源之進は押し黙ってしまった。

ん、と雨情は首を捻る。


「何だ。言いたいことがあるならハッキリ言わんか。」


雨情に強く言われても源之進は口を閉ざしたまま。

〈源之進さんは告げ口をするような人じゃないもの。よし、ここは私の出番よ。〉

意を決した沙魚丸が一歩前に出る。


「叔父上、その兜を持ってきた役人は、蔵の片隅でほこりまみれになっていた兜を持ってきた、と言っておりました。」


「何だと。」


そう短く呟き、雨情は静かに目を閉じる。

そして、眉間に皺を寄せたかと思うと、カッと目を見開いた。

その時、沙魚丸は怒りの炎が周囲を一気に焼き払ったように感じ、ぶるっと体を震わせる。


「兄上の兜の管理不行き届き、沙魚丸への不遜な行い、その他諸々で戻ったら串刺しにしてやるわ。木蓮、源之進からその役人の名前を聞いておけ。」


「御意。是非、私に殺らせて下さいませ。」


「却下だ。カスの始末は本家の者にやらせればよい。」


「それは残念。」


雨情と木蓮の間で繰り広げられた会話は淡々としていた。

だのに、沙魚丸の背筋に冷たいものが走る。

〈ヤバい、あの二人が包丁を研ぐ悪魔に見える。あの小役人、あっさりと死ねないわ。きっと罰が当たったのね。〉

地獄でも頑張れ、と沙魚丸はこっそりエールを送る。


「期せずして兄上の、いや、お前にとっては父の縁起のいい兜をかぶるのだ。いいところを見せろよ。」


「はい、お任せください。」


朗らかな顔で沙魚丸が胸をドンと叩く。

その姿に思わず雨情は目を細めた。


「よし、では、小次郎と儀式の支度を始めい。」


一礼した二人はその場を離れ、支度に取り掛かった。


二人が去った後、雨情は眉間を押さえる。

木蓮が差し出した水をグビリと雨情は飲んだ。


「木蓮、咄嗟とっさに作り話をさせてすまなかったな。」


「そうお思いなら、私だけを悪者にするのはお止めください。」


「許せ。」


少ない言葉だが、この主従にはこれで十分なのだろう。

微笑みを浮かべる木蓮をちらりと見た雨情は言葉を続ける。


「さて、二人にはああ言ったが、お前たちはこの儀式をどう思う。」


「間違いなく、沙魚丸様をあやめるつもりでしょう。」


木蓮が答えると、沈んだ声で源之進が続く。


「私もそう思います。」


「海徳め、随分と小賢しいマネをする。儂が憎いからと言って、龍禅様を巻き込んで芝居を打つとは考えもせんかった。」


「春久様ご存命の頃、雨情様は海徳様を何度も敗走させましたから、骨の髄まで恨まれているのでしょう。」


当時を思い出したように木蓮が語ると、雨情はいっそう顔をしかめる。


「お前も散々打ち破ったくせに他人事のように言うな。」


「私は目立たぬよう暴れましたので大丈夫です。お可哀そうなのは沙魚丸様ですね。ご病気の龍久様の大将代理として初陣を飾ってみれば、次五郎殿に射殺される運命とは。武士の情けで、一矢で殺してくれればいいのですが。」


「噂では、次五郎殿は子供好きとか。きっと、一矢で命を絶ってくれるでしょう。」


苦悶くもんの表情で源之進はどうにか言葉を吐き出した。

同じく、雨情が苦虫を嚙み潰したような表情で口を開く。


「あの二人にこの話を打ち明け、共に一矢報いる道もあったと思うが・・・。儂は無理だと判断した。すまんな、源之進。」


「いえ、私も同じ考えです。あのように動揺していては無理でしょう。小次郎に至っては、沙魚丸様に矢が突き刺さった姿を見て、気を失うかもしれません。」


「私も同意見なのですが、私どもが騙されたせいで、主従仲のよろしいお二人があたら無駄死にをするのは耐えられません。」


源之進の言葉に同意を示しつつ、木蓮が無念の表情に変わる。

木蓮と源之進を交互に眺めた雨情はゆっくりと立ち上がると、2人の肩に手を置いた。


「沙魚丸のことは良い。あれは次五郎の手にかかり華々しく散るのだからな。それよりも、儂らのことを考えるぞ。」


「そうでした。沙魚丸様が失敗した時、海徳様はこう言うでしょう。『神聖なる儀式を血でけがした愚か者たちをほふれ!』と。そこで、私たちを取り囲んだ鷹条の兵が一斉に襲い掛かって来る、と言う段取りでしょうか。」


木蓮の言葉に雨情と源之進が頷いた。

さらに、源之進が雨情に疑問をていす。


「龍禅様もご存じなのでしょうか。」


「いや、龍禅様は知るまい。儂らが死ねば、椎名家も弱体化する。海徳に命じられるまま、龍禅様は儂らの討伐を命じたと言い、椎名家も首肯するしか無いだろう。」


「そうなると、一兵残らず生かして帰す気は無いでしょうね。」


「悲しいかな、儂らの兵は少ない。その上、兵をバラバラに配置されてしもうた。」


海徳ごときにめられるとはなぁ、と雨情が苦笑すると、木蓮がしみいるような笑顔を浮かべた。


「ここは一つ、最後に一花咲かせましょうか。」


「真っ赤な花をな。」


ニヤリと雨情が笑う。

そこへ、源之進がゴホンと咳払いをした。


「私をお忘れではないですか。」


「槍の源之進の暴れ具合、沙魚丸に代わり、儂がとくと見ていよう。」


「お願いいたします。」


源之進が深々と頭を下げた。

うむ、と答えた雨情が木蓮に命じる。


「せめて、組頭くみがしらだけでも集めよ。あやつらも死に花を咲かせるなら儂の前がいいだろうからな。」


「ごもっとも。では、早速。」


木蓮はサッと身をひるがえし、組頭に伝令を飛ばすべく近習たちを招き寄せる。

残った雨情はボソッと呟いた。


「沙魚丸が3本の矢を見事に払ってくれれば、文字通り、儂らから死を祓ってくれるのだがな。」


だが、木蓮の言葉は源之進の耳に届く前に秋風が青空へと運んで行ってしまった。

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