第31話 木蓮登場
目の前に見える城の名は、丸根城。
お城大好きな沙魚丸は、じゅるりとこぼれた涎を慌てて拭う。
〈あぁ、私、これから初めてを迎えるのね。現役バリバリのお城に入る初めての体験。転生最高!〉
丸根城は姫路城や松本城のような立派な天守を持つ城ではない。
木と土で造られた質素なお城である。
しかし、沙魚丸は丸根城を見上げ、おおっ、と小さな歓声を上げた。
〈何かに似てるなぁと思ってたんだけど、これ、間違いなく円墳だわ。古墳にお城を造るとは罰当たりな。でも、使えるものは何でも使う精神。うん、嫌いじゃないわ。むしろ、好き。〉
ぐふふと笑った沙魚丸は城の様子をしげしげと眺める。
山肌には申し訳程度に木々が生えているだけで、ほとんどは切株となっている。
伐採した木を使ったのだろうか、至る所に柵が張り巡らされ、所々に門や小屋が見える。
切株を引っこ抜くのも大変だから放置してるのかな、と想像している内に沙魚丸にはある疑問がむくむくと浮かぶ。
〈このお城、急ごしらえ感が漂っているんだけど、敵の三日月家がこの好立地をよく放置してたわね。戦をした様子も無いし・・・〉
鷹条家がいとも簡単に丘を手に入れ、短期間で丸根城を造れた謎を解き明かすべく沙魚丸は右に左に頭を傾ける。
だが、何も浮かばない。
フッと笑い、思考を放棄した沙魚丸は知恵袋の小次郎に頼ることにした。
「平野の中にポツンとあるこの丘はとても重要な地点だと思うんですが、あってますか。」
おずおずと自信なさげに沙魚丸が尋ねるのにも訳がある。
合戦の際、沙魚丸は高い所が有利だと思っている。
歩道橋の上と下に分かれての雪合戦を想像すればいい。
上に陣取った沙魚丸は下にいる者たちを見下して嘯くのだ。
圧倒的じゃないか、我が軍は、と。
眺望が良ければ、敵を発見しやすく、敵の状況も手に取るように分かる。
さらに、物理的にも精神的にも上から攻撃する方が有利なことは否めない事実だろう。
だが、下の方が有利な場合もある。
〈三国志の漫画で読んだわ。街亭の山頂に布陣した馬謖が、張郃に包囲され水を断たれて大敗したシーンを。〉
間違っていませんように、と沙魚丸は祈りながら小次郎の答えを待つ。
「はい、この丘は三日月家と鷹条家の境にあり、とても重要な地点です。昔、三日月家の支城があったようですが、三日月家が鷹条家に従属した時、従属の証として支城を壊したと聞いております。」
「三日月家は裏切りを決めたのに、この丘を放置したんですか。」
「上紗の国の守護大名、黒木家と三日月家は同盟したと父より聞いております。黒木家の援軍が到着するまでの間、三日月家は鶴山城で籠城することに決めたとも聞きました。三日月家は小さな国衆ですから、丘を獲って兵を二つに分ける愚を恐れたのだと思います。」
淡々と答える小次郎に沙魚丸は心から感動していた。
〈何て頼りになるのかしら。私が15歳の時なんて、漫画を読み漁っていたのに・・・。よし、小次郎さんに見捨てられないように頑張ろう!〉
誓いも新たに沙魚丸はウッキウキで丸根城の城門をくぐった。
城内に入った沙魚丸は待ちかまえていた雨情の使者に捕まる。
〈何も悪いことはしていないはずだけど、使者の人の顔が怖い・・・〉
使者に両脇を固められた沙魚丸は小次郎と共に雨情の元へ出頭した。
来たか、と男くさい笑顔を雨情は浮かべ、もっと近くに来いと手招きをする。
「喜べ。『矢つかみの儀』に選ばれたぞ。」
「何ですか、それは。」
初めて聞く言葉に沙魚丸は戸惑う。
ニヤリと笑った雨情は、
「儂も知らん。」
と言って、大きく伸びをした。
目をパチクリした沙魚丸は密かに思う。
〈何だろう、この既視感。自分が知らないことを平然と丸投げするオジサン・・・。まさか、血縁上の本当のオジサンだったとは。〉
心の動きをおくびにも出さない沙魚丸だが、不穏な佇まいに気づいた雨情が高笑いを始めた。
「なかなかいい面構えだ。知らんと言ったのは、鷹条家に伝わる儀式だからだ。くそ忌々《いまいま》しい鷹条家の儀式など儂が知っている筈がなかろう。」
吐き捨てるように言った雨情にそっと近づいたイケ爺が、これまたシブイ声で話しかける。
「若。興奮は体の毒です。冷静になって沙魚丸様に儀式のご説明をお願いいたします。」
「鷹条家の儀式の説明などやってられるか。お前に任せる。」
ふん、と鼻を鳴らして雨情はそっぽを向いた。
やれやれと肩をすくめたイケ爺が沙魚丸に顔を向ける。
「沙魚丸様、お久しぶりです。と言っても前にお会いしたのは、沙魚丸様が赤ん坊の時でしたので、改めてご挨拶を。冬堂木蓮と申します。どうぞ、木蓮とお呼びください。一日遅れで軍に合流いたしましたので、ご挨拶が遅れましたことお詫びいたします。」
「あっ、いえ、全然気にしないで下さい。」
イケ爺、木蓮からのほんわか笑顔のもとに繰り出された丁寧な挨拶に面食らった沙魚丸は両手をワタワタさせて答える。
すると、雨情が横から口を出してきた。
「木蓮は儂の傅役から執事となった。あーだこーだと何かにつけて口うるさくてかなわんが、儂の最も信頼する男だ。儂に何かあったら、木蓮に相談するといい。」
時候の挨拶をするようにサラリと語る雨情。
だが、沙魚丸は苦悩する。
返事がしにくいのだ。
〈最も信頼する男で止めてよ。そうしたら、感動のお話でよかった、よかったなのに。源之進さんも傅役だから木蓮さんみたいになってくれると嬉しいです、って明るく答えることができるわ。でも、儂に何かあったらって、どう答えればいいのよ。〉
「若、何かあったらなどと不吉なことを言ってはいけません。」
「万が一のことを考えるのが大将の役目ではないか。儂は沙魚丸に教えてやったのだぞ。」
二人の言い合いを固唾を飲んで見守っていた沙魚丸は
〈頑張れ、木蓮さん〉
と心の中で応援する。
「そう言えばよろしいでしょうに・・・」
木蓮は呆れた表情で呟くと、コホンと咳払いをした。
「若が失礼いたしました。久しぶりに沙魚丸様に会えたので喜んでいるのです。」
〈あれで喜んでるの。どんだけ偏屈なのよ・・・〉
スンとなった沙魚丸の表情に何かを察したのであろう木蓮が笑い声を上げそうになったが、慌てて口を押さえ事なきを得た。
普段の表情となった木蓮が、お聞きくださいと口を開く。
「『矢つかみの儀』とは、戦の必勝を祈願するための儀式です。射られた矢を刀で払うことで、戦で起きる不吉なものを祓えると説明を受けました。沙魚丸様は矢を払う稚児に選ばれました。」
「稚児ですか?」
「神のお使いとされます。椎名軍の大将であり、両軍内で一番お若いので稚児と選ばれたのです。」
「そう言うことですか。頑張ります!」
元気よく返事をした沙魚丸は思い浮かべる。
矢を刀で払うことを。
〈神社の破魔矢みたいな安全な矢を使うのかしら。それとも、儀仗用の矢を使うとかかしら。まっ、スローな矢なら私でも払えるよね。なんたって、沙魚丸君の体だもの。へなちょこの矢ごとき一刀両断にしてやるわ。〉
任せなさい、と鼻息荒く沙魚丸は胸を叩く。
しかし、続く木蓮の言葉に沙魚丸は耳を疑った。
「矢は本物を使います。射手は、鷹条家の茄子次郎五郎殿が務めます。」
ええっ、と声を揃えて叫んだ沙魚丸と小次郎。
だが二人が声を上げた内容は全く別のものだった。
沙魚丸は本物の矢を使うことに対して。
死んだらどうするのよ、と非難の意を込めて。
片や、小次郎は茄子次郎五郎が射手と聞いて嬉しさのあまり叫んだのだ。
鷹条家の茄子家と言えば弓の名門として世に聞こえている。
長男の茄子太郎を筆頭として、次男の茄子次郎五郎、紅一点で末妹の茄子旭の三人を茄子の三弓と言う。
一度、茄子家が戦場に出れば、血の雨が降ると恐れられている。
中でも、茄子次郎五郎は小次郎の憧れなのだ。
沙魚丸に向き直った小次郎は早口でまくし立てる。
「茄子次郎五郎。通称、次五郎。次五郎に狙われた者で無事に帰れなた者はいない、と言われております。」
沙魚丸はうんうんと頷いた。
〈次五郎って人が小次郎さんの憧れの人なのね。嬉しそうに話してる姿がかわいいわ。けどね。けどね・・・〉
沙魚丸は小次郎の肩にがっしりと手を置いた。
「小次郎さん、ちょっと落ち着いて。憧れの人ってことは分かったから。」
「なっ、何を言うのです。憧れなどではありません。敵将に憧れるなど、そんなことは許されません。」
などと、顔を赤くしてのたまう小次郎の頭をよしよしと撫でたい気分になる。
だが、それどころでは無いのだ。
沙魚丸は小次郎の目を見る。
〈あのね、今から本物の弓で私は射られるの。小次郎さんが敬慕する弓の名人、次五郎って人によ。危機一髪って気づいて欲しいなぁ。〉
みっともないから口に出す訳にいかない言葉を沙魚丸は目に力を込めて訴える。
その思いが通じたのか、小次郎は愕然とした表情となり、声すら上げることなくその場に崩れ落ちた。




