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沙魚丸軍記  作者: 藤城みゆき
本章
30/34

第30話 下房の国

前立てに金色こんじきのトンボを付けた鉄地六十二間小星兜(こぼしかぶと)を被り、紅色の鎧をまとった沙魚丸はスラリと刀を抜いた。


刀を正眼に構え、

「いざ、参れ!」

と声を張り上げる。


沙魚丸の若く瑞々《みずみず》しい声を聞いた茄子次郎五郎はため息混じりに呟く。


「憐れな小僧、せめてもの慈悲だ。苦しまないよう殺してやる。」


空穂うつぼから矢を1本取り出すと弓につがえる。

そして、キリキリと弓を引き絞り沙魚丸の喉元に狙いをつけた次郎五郎は、『南無阿弥陀仏』と念じ、ヒョウと放った。


◆◆◆


話は沙魚丸が野営地を出発したころに戻る。

馬を並べた小次郎が沙魚丸にこそっと話しかける。


「椎名家のこととか説明しましょうか。」


「お願いします!」


亡き沙魚丸の記憶を呼び戻しても、情報量が多すぎてげんなりしていた沙魚丸にとって、小次郎の申し出はまさに天の助け。


「敬称は一部省略しますが、お許しください。」


そう言って、小次郎は話し始めた。


「椎名家は西蓮寺さいれんじ家の家臣です。この点は大丈夫ですか。」


念のため聞いては見たが、大丈夫と言う返事が戻って来ると予想していた小次郎は完全に虚をつかれた。

なんと、沙魚丸が大真面目な顔でブンブンと首を横に振っているではないか。

思わず小次郎から表情が抜け落ちる。


「それは困りましたね。誰かに質問されたら危険です。間違いなく、沙魚丸様の出自を疑われます。」


「そんなこと聞く人いますか?」


「聞く人だらけです。××の戦いで先祖が共に戦ったとか、○○様に太刀を下賜されたとか。沙魚丸様は庶子とは言え直系です。椎名家累代のことをサッと答えれなければいけません。戸惑ったり、忘れたなどと言おうものなら、相手は傷つき恨みを抱きます。」


「大げさな気がしますけど・・・」


「武士は体裁を気にする生き物です。面子を潰されたと思えば、例え主君であろうと反旗を翻します。」


そうかもしれない、と沙魚丸は腕を組む。

〈主君、織田信長に面目を潰され続けた明智光秀による本能寺の変がいい例よね。上に立つ人は言動に気をつけないと・・・〉


謀反で死ぬのは嫌だなぁ、と思った沙魚丸はハッとした。

うっかり失言を沙魚丸にさせないようにと気を遣う小次郎の優しさに胸がいっぱいになる。


〈感謝します、小次郎さん。誰かと話す時は相手の立場を十二分に配慮します。まぁ、当面は一言も喋れないかな、あはは。〉


いや、それじゃダメでしょ、と自分の頭をこつんと叩いた沙魚丸は

「頑張ります。」

と力強く頷く。


「一先ず、概略を説明いたします。細かいところは、屋敷に戻ってから詰めましょう。それでよろしいですか。」


もちろん、沙魚丸に否やは無い。

無駄にきりっとした表情を作った沙魚丸は快活な声で答える。


「はい。お願いします!」


一瞬、キョトンとした小次郎がクスッと笑い、馬の首筋を優しく撫でてから話し始める。


「西蓮寺家は将軍の縁戚です。幕府創設に尽力した功績で3ヶ国を与えられました。」


「3ヶ国とはすごい。」


「はい。幕府の有力な守護大名の一つです。ところで、在京制はご存じですか。」


在京制、と呟いた沙魚丸はポンと手を鳴らした。


「あれです。守護大名は都に住まなければいけないって言う原則です。」


「その通りです。例外もありますが、西蓮寺家は都に住むよう義務付けられました。ただ、そうなると困ったことが起きました。お分かりになりますか。」


小次郎の問いかけに沙魚丸はニヤリと笑う。

〈ふっふっふ。日本史の勉強はできなかったけど、戦国の知識だけはちょっと自信あるのよね。ズバッと答えるわよ。〉

沙魚丸は鼻息も荒く答える。


「領国の治政でしょう。」


「お見事です。亡き沙魚丸様の記憶をしっかりと引き継がれているようで安心いたしました。」


ニッコリと笑う小次郎に沙魚丸は目をパチクリとする。

〈あれぇ、沙魚丸君のお手柄になっちゃった。でも、違いますって言うのも、なんか悲しいよね・・・。しかし、承認欲求が私の心を攻め立てる!〉

沙魚丸が葛藤している姿を肯定と捉えたのか小次郎は説明を続ける。


「西蓮寺家は領国の治政を信頼する家臣に任せることにしました。すなわち、家臣の中から守護代を選び、領国に送り込んだのです。ここ下房(しもふさ)の国には、椎名伸久(のぶひさ)様を守護代とされたのです。」


我が事のように誇らしげに語る小次郎を見て、沙魚丸は頬を緩めた。

〈わぁ、小次郎さん、かわいい。〉

ニコニコと笑みを浮かべる沙魚丸に気づいた小次郎は赤面して、少し声がうわずる。


「ちゃんと聞いて下さい。」


「聞いてますよ。」


余裕の表情で答える沙魚丸から小次郎はプイッと顔をそらした。


「本当は下房の国の守護代は椎名家だけでした。ですが、後から鷹条家と佐和家が送り込まれ、3家での治政を命じられたのです。」


「椎名家が何かやらかしましたか?」


「どうでしょう。椎名家は西蓮寺家とは血縁も何もない家柄なのですが、戦では無類の強さを誇り、当時の西蓮寺家当主の頼宗よりむね様に大変可愛がられました。ですが、頼宗様が突然、病死してしまうのです。」


「ええっ。と言うことは、ここからどんでん返しが始まるのですか。」


「はい。西蓮寺家の次期当主は頼宗様がご当主の時から椎名伸久様を蛇蝎だかつのように嫌っていたそうです。」


小次郎は話を止めると、チラリと沙魚丸を見た。

〈おや、どうしてここで話を止めるのかしら。ご先祖様は優秀っぽいし、優秀な人ほど敵も多い。そう、嫌われることも多々あるわ。〉

沙魚丸はコテンと首を傾げると、小次郎はコホンと一つ咳払いをする。


「椎名伸久様のことを悪く言うつもりはないのですが、話の都合上、どうしても・・・」


「大丈夫ですよ。続けてください。」


「ありがとうございます。とは言え、言いにくいのですが、椎名伸久様にも問題があったようです。次期当主をだいだい武者と言って馬鹿にしたり、命令違反をして武功を上げたりしたので、次期当主から大変憎まれていたようです。」


あはははは、と沙魚丸は乾いた笑い声を上げた。

〈いやぁ、予想の斜め上が来たわ。まるで、後藤又兵衛ね。ご先祖様、ダメでしょ。主君しゅくんを馬鹿にしちゃ。そんなんでよく守護代を続けられたわね。〉


「ご先祖様はよほど優秀だったのですね。」


「比類なき御方だったようです。守護代を交代させる訳にもいかず、西蓮寺家は血縁のある鷹条家と佐和家を椎名伸久様の監視役として送り込んだのです。」


「もしかして、下房の国は2対1で対立しているのですか。」


「はい。時に武力に訴えるほど・・・」


〈ご先祖様さぁ、やんちゃすぎない。でも、世の中にはいるのよねぇ。自分の上司が馬鹿なことを許せない人が。サクッと転職できればいいけど、この時代は永久就職どころか子孫も継続就職だしねぇ。まっ、ご先祖様がやらかしたとしても、私たちが頑張っていけばいいのよ。〉

沙魚丸が気合を入れていると、小次郎がどこからか一枚の紙を取り出し、サッと広げた。


挿絵(By みてみん)


「この絵は、守護大名の西蓮寺家と守護代3家の関係を家紋入りで描いたものです。」


えっ、と沙魚丸は驚いた。

このタイミングで小次郎が適切な絵を出してきたことにビックリしたのだ。


「その絵はいつも持っているのですか?」


すると、小次郎はニッコリ笑った。


「これからもままありますので、説明用の絵図をどこから出したとかは一切つっこまないで下さい。」


「了解です。」


頷いたのはいいものの、小次郎の絵を見ている内に、徐々に頭が傾いていく。


「でも、今回の椎名家の役割は援軍だったはず。しかも、鷹条家からの依頼ですよね。」


「そのお答えの前に、鷹条家のことをお話します。鷹条家は数年前に先代が亡くなり、鷹条海徳(かいとく)様の代となっております。海徳様は、椎名家とほこを収めると宣言し、現在、両家は同盟を結んでおります。」


「その同盟に基づいての出陣ですか?」


フルフルと小次郎は首を横に振った。


「今回の出征は西蓮寺龍禅様の御命令によるものです。」


「あれ、でも、西蓮寺家は都にいるんですよね。」


「はい。西蓮寺家自体は都にいます。数年前に西連寺家ご当主の庶子である龍禅様が下房の国に下向されました。今は鷹条家の領内で屋敷を構えていらっしゃいます。」


在京制はどうなったとか、なぜ鷹条家の領地とか、他にも色々と尋ねたいことが浮かぶが、沙魚丸は小次郎の言うことを最後まで聞くことにした。

沙魚丸に続きを目で促された小次郎は一つ首を縦に振る。


「守護代3家ともに西蓮寺家への納税を怠ったり滞らせたりしております。税収の少なさに業を煮やした西蓮寺家が下房の国の支配権を取り戻そうとしているのです。」


もう一つ重要なことがあります、と言って小次郎が人差し指を立てた。


「沙魚丸様のお父上、春久はるひさ様がご当主の時、鷹条家と佐和家をコテンパンに叩きのめし、一時期は下房の国を統一しかけたのです。道半ばでお亡くなりになったため、残念ながら元の版図に戻されてしまいました。名目上、3家のいざこざを仲介する。実質は椎名家を抑制するために龍禅様は鷹条家の領地に入ったのです。」


途中から沙魚丸は話を聞いていなかった。

沙魚丸は嬉しかったのだ。

父、春久が凄い武将だと小次郎が言ってくれたことが。


「そうですか。父上の勇姿を見たかったなぁ。」


「私もまだ小さかったのですが、春久様の凛々しいお姿はしっかりとまぶたに焼き付いております。沙魚丸様には春久様の面影がある、と父はよく申しております。」


えへへ、と照れ笑いした沙魚丸は妙に気恥ずかしくなり話題を変えることにした。


「西蓮寺家だけではなく、守護大名は領国から上がって来る税収を元にして都で豪奢(ごうしゃ)な生活をしていると聞きました。領国であくせくと頑張っている守護代が税を送るのが馬鹿らしくなるのも当然だと思います。」


「はい。沙魚丸様の曾祖父、清久きよひさ様は都へ税を送る途中で盗賊に襲われたことにして、ある年の税を一文も送らなかったそうです。」


いやぁ、実に爽快なお話です、と楽しそうに笑う小次郎に少々驚いた沙魚丸だが、

〈前世でも上流国民とか言ってたし、税金で遊び歩いている奴がいたら腹が立つわよね。〉

と納得した。


「この戦、龍禅様の御命令ですが、実際は鷹条家の内紛です。海徳様が戦費を出し惜しんで、椎名家に援軍を頼んだと聞いておりますが、鷹条家に何か企みがあるかもしれません。ご油断しないようお願いします。」


「了解です。」


そんなやり取りをしている内に、二人の目の前に城が見えて来た。

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