第29話 小次郎ゲットだぜ!
沙魚丸はピシャリと両頬を打つ。
〈いつまでもウジウジしていてもしょうがないわ!〉
拳を天へ突き上げ、沙魚丸は気合を入れる。
現金実査の際、帳簿残高と手元現金が一致しなかった時のように・・・
「頑張れ、私。負けるもんか!」
「何をしているんですか。」
突然、背後から声をかけられた沙魚丸は変な声を上げそうになる。
だが、ギリギリのところで耐えた。
声の主は小次郎。
〈かろうじてセーフかしら。〉
みっともないところを見せられない沙魚丸は、ホッと胸を撫でおろす。
だが、どこか憐れむような目でこちらを見ている小次郎に気づき警戒を解くのは時期尚早と気を引き締める。
〈自分を鼓舞してましたって言うのは危険かも。軟弱! 軟弱ゥ!とか言って鞭を取り出しそう・・・〉
それは嫌だ、と沙魚丸は咄嗟に言い逃れを口にする。
「えーとですね、寝起きで体を伸ばしてました。」
「そうですか。組み討ちの稽古ならいつでもお相手いたしますので、仰ってください。」
ニッコリと微笑む小次郎だが、目がまったく笑っていない。
それどころか、ギラリと光っている様にも見える。
〈怖いよぉ。組み討ちって言葉だけで拒否なんだけど・・・〉
心の震えをおくびにも出さず、沙魚丸も微笑む。
「ありがとうございます。今は大丈夫です。それよりも、その馬は。」
「お忘れですか、沙魚丸様の馬ですよ。」
小次郎が馬の首をポンポンと叩くと、馬が沙魚丸のほっぺたをペロリと舐めた。
この瞬間、沙魚丸はハートを射抜かれた。
〈かわいい。この子、私を好きなんだわ。〉
沙魚丸がぽわぽわしていると、小次郎の無情な一言が飛んできた。
「塩分補給でお顔を舐めたのでしょう。ちゃんとお顔は拭きましたか。」
「しっかりと拭きました!」
むきになって沙魚丸は言い返す。
〈乙女に向かって、何てこと言うのかしら。この先、モテないわよ。あっ、いけない。私は男だったわ。でも、主君に向かって言うかしら? それとも、親密だから?〉
お前はどう思う、と沙魚丸は馬の体をさする。
サラブレッドよりもずっと小さいが、グッと引き締まった極上の体をしているのを手の平で確かめた沙魚丸はニヤリと笑う。
〈この子、いい体してる。〉
先ほどから、ちらほら見える荷運び用の馬とも明らかに体のシャープさ違う。
前世では競馬が大好きな母親に連れられてパドック通いしていた沙魚丸は馬の筋肉についても学んだことがあるのだ。
〈小次郎さんが何と言おうと、この子と私の相性は抜群よ。〉
ふっふっふ、と不敵な笑みをこぼす沙魚丸を小次郎は生温かい目で見守ることにした。
「父は雨情様と同行するよう命じられていますので、私と共に参りましょう。」
「分かりました。」
舌長鐙に足を置いた沙魚丸はひらりと馬に跨り、馬を進める。
きりっと引き結んだ口。
スッと伸びた背筋。
きらびやかな鎧。
誰が見ても、颯爽として凛々しい若武者と声を揃えて言うだろう。
この時、沙魚丸は心の中で嬉しさのあまり踊っていた。
〈私、鎧を着て馬に乗ってる。初めてなのに、こんなにスムーズに乗れるなんて・・・〉
もしかして、私は乗馬の天才かも!
ダメよ、と思っていても口角が勝手に上がる。
「沙魚丸様はそんな崩れた笑顔をしません。」
隣に並んだ小次郎が沙魚丸に冷たい声で話しかけてきた。
〈あれぇ。私に忠誠を尽くしてくれるって言ってなかったっけ。〉
小次郎の冷たい視線にくじけそうになる沙魚丸だが、乗馬のことなら褒めてくれるかも、と話題を切り替える。
「私の乗馬姿はどうですか。」
どうよ、よぉくご覧なさい、と目で訴える沙魚丸を一瞥した小次郎は
「素晴らしいです。」
ボソッと答えた。
その瞬間、沙魚丸は
おーほっほっほ!
と心の中で高らかに笑った。
〈よぉし、小次郎さんに認められたわ。私って天才なのね。〉
だが調子に乗っていたのもここまでだった。
続く小次郎の言葉に沙魚丸は肩を落とす。
「亡き沙魚丸様そのものの乗り方です。体がしっかりと覚えているのですね。ですが、それも暫くの間だけです。体が覚えたことも、修行を怠るとどんどん忘れていきますから、これからもビシビシと修行をいたしましょう。」
「はい。もちろんです。」
沙魚丸は動揺を必死で包み隠し、小次郎に笑顔で答えた。
〈私が天才な訳ないよね。そうよね、沙魚丸君の修行の成果が体に染みついているのよね。イラストレーターも同じだし。〉
悲嘆にくれつつも納得した沙魚丸だが、ぞわりと背筋が凍りつく。
思い出したのだ。
この二人がやっていた修行内容を。
それ、死んじゃうよ、と言いたくなるような激しい修行を・・・
〈このまま乗馬の話を続けていると、弓や刀、槍の修行まで話が広がりそうだわ。ウィリアム・テルのリンゴ射ちみたいなこともしてるし、急いで話題を変えよう。〉
そこで、沙魚丸は気になっていたことを尋ねることにする。
「源之進さんには、転生のことは話しますか?」
「いいえ、父には話しません。父に今までのことを話すと、あなたの首と胴はまず間違いなく離れ離れになるでしょう。」
「そっ、そうなんですか・・・」
「父は、きっとこう思うでしょう。邪法により沙魚丸様の命を奪い、悪霊が沙魚丸様の体を乗っ取ったのだと。私が何を言おうが、私もあなたに騙されていると言うはずです。そうなると、私も父の手により亡き沙魚丸様の後を追うことになるでしょう。それでもいいのですが、それでは亡き沙魚丸様との命令に反しますので、今は避けようと思います。」
何かこう小次郎の返事にモヤモヤするものを感じる沙魚丸だが、
〈沙魚丸君とのことは、そんな簡単に割り切れるものではないよね。〉
と考え小次郎に疑問をぶつける。
「邪法ですか?」
「はい。父はそう言うと思います。」
「女神様の御業と言えば、どうですか。」
沙魚丸の言葉にフルフルと小次郎は頭を振る。
「忠義を尽くす御方の魂を女神様が入れ替えたと? 女神様がそんな惨いことをなされますか・・・」
〈でも、沙魚丸君も寿命ってことだったし・・・〉
しかし、寿命だから仕方がなかったとは言いにくい。
沙魚丸の表情が歪んだのを見て取った小次郎の口調がわずかに暗くなる。
「沙魚丸様が寿命だったこともお聞きしました。であれば、なおさら父は言うでしょう。女神様ならば、なぜ寿命を延ばしてくれないのか、と。」
確かに、そうよね・・・
返答に困った沙魚丸に小次郎は微笑む。
「あなたを困らそうようと思ってはいません。ですが、転生のことを父に言えないことはお分かり下さい。それに、父に言わなくても大丈夫です。亡き沙魚丸様に命じられましたから、今世はあなたを沙魚丸様と思いしっかりとお仕えいたしますので、ご安心ください。」
自らの胸をポンと叩いた小次郎を沙魚丸はキラキラした瞳で見つめる。
〈秘密は二人の仲を強固にすると言うから、これで良かったのよね。最強の味方が誕生したってことで、乾杯したい気分よ。この先、転生のことを誰にも言えずに一人孤独に頑張るなんて、私には絶対に無理だもの。〉
今にも笑い出しそうな表情を浮かべた沙魚丸に気づいた小次郎はため息を漏らす。
「あなたが亡き沙魚丸様に相応しくない言動や行動を取った時は、ビシビシと指摘させていただきます。」
「指摘ですか。まぁ、そのお手柔らかにお願いします。」
「あなた次第です。体で覚えなければいけないときは修行あるのみです。ご安心ください。小次郎も共に修業いたします。」
「あっ、ありがとうございます。」
引きつった笑みを浮かべることしか沙魚丸にはできなかった。
〈戦場で死ぬより、小次郎さんに殺される方が早いかもしれないわね・・・〉
ごくりと喉を鳴らした沙魚丸に小次郎は苦笑する。
「そう言えば、眷属のダイフク様と沙魚丸様は楽しそうにお話されていました。あなたは間抜けだが、大物になると。」
〈くっ、ダイフクさんと沙魚丸君めぇ。私のいないところで悪口を言うなんて。いや、褒めてくれたのかな。だけど、やることはただ一つ!〉
そして、沙魚丸は小次郎に微笑んだ。
「頑張るので、よろしくお願いします。」
「はい、精一杯、お支えいたします。」
小次郎も爽やかに微笑んだ。
とにもかくにも、新しい主従の誓いがここに生まれた。
そう、沙魚丸は戦国時代を生き残るための力強い仲間を手に入れたのだ!
◆◆◆
「なんてことを考えていたこともありました・・・」
刀の手入れをしながら沙魚丸は半泣きで呟くのだった。




