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沙魚丸軍記  作者: 藤城みゆき
本章
21/34

第21話 稲葉、泣く。

ダン、ダン、ダン、ダン

稲葉が廊下を踏み鳴らし始めた。

おおっ、と沙魚丸は目を輝かせる。

〈こっ、これは、足ダン? 兎が足ダンするのは、お腹がペコペコな時だったよね。〉


沙魚丸はピピーンと閃いた。

〈ご飯をあげれば、私も顔モフモフさせてもらえるかも。〉


よこしまな考えに憑りつかれた沙魚丸は懐の物を取り出し、じっと見る。


〈これ、食べるかしら・・・〉


だが、悩んだところで今の沙魚丸には、これしか持ち合わせがない。

意を決した沙魚丸は、おずおずと稲葉に差し出した。


「稲葉さん、これ食べる?」


差し出したのは、なんと因幡の白うさぎ饅頭。

そう、八上姫に突っ込まれた、あの饅頭である。

あの後、空腹用にと八上姫は手持ちの饅頭を渡していたのだ。


沙魚丸の手の上にチョコンと乗ったうさぎを見た稲葉はピキピキッと額に青筋を立てた。

そして、白いモフモフの前足をビシッと沙魚丸に向ける。


「貴方、頭、大丈夫ですか。私はお腹が空いて足ダンしているんじゃありません。貴方にイライラしているんです。何度呼んでも、ニンジンがどうのとブツブツ言って返事もしない。そもそも、人間ごときが女神様と一緒にいるって分かってます。」


早口でまくし立てる稲葉をヒョイと八上姫が抱きかかえ、頭をよしよしと撫でる。


「ダメよ、稲葉。ここは異世界。しかも、沙魚丸君は月詠様から招待されているのよ。」


ギョッとした顔になった稲葉がしげしげと沙魚丸を見つめると、へッ、と肩をすくめた。


「話には聞いていましたが、何とも頼りない魂ですね。このような者に秋夜叉姫様の命運を託して大丈夫なのですか。」


命運?と沙魚丸が首を傾げていると、八上姫の叱声が走った。


「こら。沙魚丸君に謝りなさい。この子は生者なのよ。今からドンドン成長する可能性を秘めているの。それにね、稲葉こそアッキーの決定に異を唱えているじゃない。」


そう言って、八上姫は稲葉を地面に置いた。

やっちゃった、と口を押さえた稲葉がペコリと頭を下げた。


「言い過ぎました。すいません。」


「いえいえ、全然、大丈夫です。気にしないで下さい。」


手を左右に振りながら答えた沙魚丸に八上姫がニコッと微笑む。

じゃぁ、行きましょうか、と八上姫は歩き始めた。


「実はね、貴方を神界に呼んだのは、謝罪するためなの。」


「はい?」


キョトンとする沙魚丸に八上姫が続ける。


「下界では、先に言っておいて欲しいと思うことがあった?」


「はい、ありました。」


そうよねぇ、と頬を押さえた八上姫は、ため息混じりにかくかくしかじかと秋夜叉姫が葬魂の儀を忘れたことを説明した。


なるほど、と納得しかけた沙魚丸だが、

〈もしかして、葬魂の儀を秋夜叉姫様が忘れたのは、私のせいかも・・・〉

と悩む。


黙りこくってしまった沙魚丸を心配した八上姫が

「大丈夫? お腹痛い?」

と聞いてきた。


「あっ、違うんです。ちょっと考え事をしただけで・・・」


八上姫に相談しようと考えた沙魚丸だが、

「そう、なら、よかったわ。」

とホッとした表情を浮かべた八上姫に見惚れてしまい、タイミングを失ってしまう。

そして、真面目な表情になった八上姫がポツリと言う。


「月詠様は貴方に謝れないの。月詠様だけじゃなく、こちらの神々は貴方に頭を下げることはできないの。」


「でも、私は謝罪のために呼ばれたんですよね。」


意味が分からない、と言う顔をする沙魚丸に八上姫は苦笑する。


「神が謝罪するのは神に対してだけよ。それが不変の真理。太陽が東から昇り、人は必ず死ぬのと同じこと。天地を創造した神が易々と真理を覆す訳にはいかないわ。」


でもね、と八上姫は手を合わせた。


「貴方に謝罪をしなければいけない理由がある。と言うことで、私が呼ばれたの。私は地球の神で、こちらのことわりとは無関係だから。」


「謝罪とかいいんですけど・・・」


「そうもいかないの。貴方にお願いをすることがあるから、謝罪をしないと始まらないの。という訳でね。」


ごめんなさい、と八上姫が深々と沙魚丸に頭を下げた。

この瞬間、沙魚丸は頭が真っ白になった。

八上姫の背後でショックを受けた稲葉が泣き崩れている姿に更に動揺した。


社会人経験のある沙魚丸は知っている。

偉くなればなるほど、人はなかなか頭を下げないことを。

下げたとしても、本気で謝罪をする人は極々少数であることを。

まして、今、目の前で頭を下げているのは女神なのだ。


ここで沙魚丸は社長がよく言っていたことを思い出した。

「本当に偉い人ほどキッチリと頭を下げることができる。『実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな』ってやつだな。」と。


〈神友のために心から謝罪できる八上姫様、ステキ!〉

沙魚丸が感動していると、ビシンバシンと何かを叩く音が聞こえて来た。

その音にあわせて女性の怒る声も聞こえる。


どうやら、前方の座敷で何かが起きているようだ。

〈ヤバい、絶対、あの音はヤバい。何か泣いてる女の人の声も聞こえるし、もしかして、拷問中とか・・・〉


「あらまぁ、まだ続いていたのね。」


稲葉を慰めていた八上姫が、どうしようかしら、と困った声を漏らす。

引き返すわけにもいかないし、と呟いた八上姫は唇を尖らせ、腕を組んだ。


ふうっ、とため息をついた八上姫は、

「まっ、いっか。」

と言うと、その座敷の襖の前に座った。


そして、ちょいちょいと沙魚丸を手招きし、自分の隣に座らせると小声で囁く。


「お説教中だから、ちょっと待とうね。」


「えっと、いいんでしょうか。」


「お説教はとっくに終わってるはずなの。終わるまで、ここで待つしかしょうがないわ。」


「いえ、あの、そうではなくて、誰か怒られてるみたいだし、私が聞いていてもいいんですか。」


あぁ、そういうことね、と頷いた八上姫が、もちろん、と微笑んだ。


「だって、怒られてるの、アッキーだから。」


ええっ、と沙魚丸は驚いた。

〈嘘でしょ。あの泣き声って秋夜叉姫様なの。修羅場じゃない。ちょっと、帰りたいんですけど。〉

沙魚丸はここから離れて別の所で待ちましょう、と提案しようとした。


しかし、沙魚丸は自分の目を疑った。

八上姫が息を殺して襖をほんの少し開けようとしているのだ。

〈なっ、何してるの!〉

ビビり散らかす沙魚丸にお構いなしに八上姫は、あそこよ、と指し示す。


「ほら、アッキーが怒られてるわ。」


〈神様には倫理観がないのかしら。〉

と疑問に思うものの、覗きは人のさが

いけないと思いつつも沙魚丸は座敷内を覗き見た。


二人の女性がいる。

上座に座るのは、なんと幼女。

キラキラと光る銀髪の上にアホ毛が揺れる可愛らしい外見。

しかし、愛くるしい幼女は手に和鞭を持ち、畳をビシンバシンと叩いているではないか。

〈こわい!〉

沙魚丸が震えると、八上姫が解説を始めた。


「上座にいらっしゃるのが月詠様よ。で、下座にいるのがアッキーね。」


むせび泣く秋夜叉姫を見た沙魚丸は胸が張り裂けそうになった。

しかも、なぜか秋夜叉姫はおびただしい水の中に座っているのだ。


「あの水は?」


沙魚丸の疑問に八上姫が何とも言えない表情となった。


「あれは、アッキーの涙ね。」


沙魚丸はくらくらと眩暈めまいがした。

なぜなら、月詠にどれだけ怒られようとも、秋夜叉姫は言い訳をしないのだ。

これ以上、沙魚丸は見ていられなかった。

沙魚丸の頬をスーッと涙が伝い、自然と言葉がつむがれる。


「八上姫様。全部、私のせいなんです。秋夜叉姫様が葬魂の儀を忘れたのは、私が秋夜叉姫様に執着したのが原因なんです。」


涙ながらに訴える沙魚丸の頭をポンポンと八上姫は叩いた。


「アッキーはね、戦女神よ。どういう理由があろうと言い訳なんてしないわ。それが彼女の生き方だから。アッキーが泣いているのはね、月詠様の期待を裏切った自分の情けなさが悔しいからなの。」


八上姫の言葉が沙魚丸の胸を激しく打った。

あたかも、雷の矢が突き刺さったかのように・・・

〈私のせいなのに。ごめんなさい、秋夜叉姫様。全てを月詠様にお話しします。〉


沙魚丸は涙を拭うと、目に強い光を宿した。

そして、立ち上がろうとしたところを八上姫に止められた。


「ダメよ。アッキーは望んでいないわ。」


でも、と言いかけた沙魚丸の口をそっと指で押しとどめた八上姫は沙魚丸の耳に囁く。


「何があっても、アッキーは貴方を庇うわ。どういう経緯だろうと、アッキーは貴方を自らの使者として選んだの。もう貴方はアッキーの身内なのよ。」


そう言って微笑んだ八上姫は座敷内へ声を上げる。


「月詠様。八上姫でございます。ただいま、沙魚丸君を連れて参りました。」


その瞬間、先ほどまでの騒々しさが嘘のように消え去り、静寂だけが残った。

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