第14話 誓い
沙魚丸と源之進・小次郎の間に沈黙の帳が下りる。
さっきからパチパチと爆ぜる焚火の音が耳について仕方がない。
スーッと背中を冷たい汗が落ち、ドクドクと血管の音まで聞こえだす。
〈うぅっ、辛い。おしゃべりな私には、この沈黙は拷問だわ。〉
これ以上は無理、と音を上げた沙魚丸が口を開こうとするが、いざとなると言葉が思い浮かばない。
そう、元沙魚丸がどんな風に話していたのか分からないのだ。
〈うーん、ちっちゃいころの話し方しか記憶にないわね。こうなったら、時代劇の侍風に話す? とは言っても、ござる、しか出てこない。あー、私の時代劇の記憶、使えねぇ・・・〉
何かいい話し方はないかと悩む沙魚丸だが、ニンニンとかナリとか、殴られそうな口調しか浮かばない。
もはやこれまで、と覚悟を決めた。
〈慣れない話し方をしてもボロが出るに決まってるわ。そうね、普段通りが一番よ。丁寧語で話せば、男も女も関係ないわ。うん、社会人らしい話し方で乗り切ろう!〉
とは言っても、マナー研修など受けたことのない沙魚丸は、敬語はもちろんのこと、社会人スキルに自信を持ったことなど一度もないのだが・・・
「そこへ座って下さい。」
〈さぁ、どうよ。〉
頼むからスルーして、と念じながら沙魚丸は二人の反応を盗み見る。
なんという幸運。
二人とも沙魚丸の話を聞こうと姿勢を改めているではないか。
〈イヤッフー! 私の口調など気にならないのね。〉
思わず、パチンと指を鳴らしそうになる沙魚丸は、慌てて握り拳をつくり手の平をパンと打つ。
その音で勘違いしていることに気づいた。
〈あぁ、そっか。沙魚丸君は何年間も話してないんだから、私の話し方がデフォルトになるんだ。〉
悩んで損した、と沙魚丸が安堵していると、一難去ってまた一難。
沙魚丸様、と叫んだ小次郎が手を伸ばせば届く距離に詰め寄り、堰を切ったように話し始めた。
雨情や源之進の手前、ずっと我慢していたのだろう。
怒涛の勢いで話す小次郎に、ちょっと待って、と沙魚丸はのけぞる。
だが、小次郎は止まらない。
「理由をお聞かせください。我が家にいらっしゃって以来、一言も話さず、誰にも頭をお下げにならなかった沙魚丸様が・・・」
ポカリ!
小次郎の頭を源之進が軽く叩いた。
「落ち着け。」
「父上、何を・・・」
訝し気に源之進を見上げた小次郎がようやく我に返った。
冷静さを欠いていたことに気づいた小次郎はサッと平伏する。
「申し訳ございません。」
小次郎が恐縮し切っている様子に沙魚丸はチクチクする良心の痛みに耐えつつ、こちらこそごめんなさい、と心の中で謝罪する。
〈秋夜叉姫様が悪いんです。沙魚丸君が話さないとか謝らないとか何にも教えてくれなかった秋夜叉姫様がぜんぶぜーんぶ悪いんです。だから、小次郎さんのせいではありません、って言えないのが、もどかしい。〉
まぁ、教えてもらっていても、いい感じで対応するなんて私には無理だけどね、と沙魚丸は苦笑する。
とは言え、ここは張本人の秋夜叉姫様に解決してもらうべきよね、と沙魚丸は決めた。
〈秋夜叉姫様。見てますよね。何とかしてください。リセマラしてもいいんじゃないでしょうか。私はもう一回やってもらってオッケーですよ。さぁ、リセットボタンをお願いします!〉
準備万端です、と沙魚丸は心の中で訴える。
だが、何も起きない。
神界から光も声も届かない。
〈無視かぁ・・・〉
ガックリと肩を落とした沙魚丸は、むぅ、っと口を尖らせる。
〈秋夜叉姫様。私、決めました。こんなきっつい場面に転移させた秋夜叉姫様のせいにしますからね。10だけ待ってあげます。今なら、まだ間に合いますよ。〉
心の中で10数え終わった沙魚丸は、ふーっと息を吐く。
よし、と呟き、二人に向き直る。
「源之進さん、小次郎さん。聞いて下さい。」
さぁ、何でもお話しください、と二人はごくりと唾を飲み込む。
今から二人に話す内容は、前世であれば間違いなく額に手を当てられ、頭大丈夫? と言われる内容だ。
〈こういう時は、オドオドしたらダメ。自信を持って話すのよ。プレゼンよ、プレゼンと一緒!〉
きりり、と表情を引き締めた沙魚丸が静かに話し出す。
「木から落ちて気を失った時、私は女神様にお会いしたのです。」
沙魚丸の言葉を聞き終わった二人は、身じろぎ一つせず、沙魚丸をじっと見つめている。
焚火のパチパチと爆ぜる音が真っ暗な森へと吸い込まれていく。
〈あぁ、何か言って。でも、『頭、大丈夫ですか?』は無い方向で・・・〉
これ以上の沈黙に耐えかねた沙魚丸が、次の言葉を重ねようとした時、源之進が口を開いた。
「それで、どうなったのでしょうか?」
沙魚丸は、ポカンとする。
〈どうなった、って言ったのよね・・・〉
予想外の返事に沙魚丸は少し声に詰まった。
沙魚丸は源之進の目を見た。
春の日差しのような優しい眼差しが沙魚丸を見つめている。
沙魚丸は震える声で尋ねる。
「信じてくれるんですか。」
「我ら親子が沙魚丸様のお言葉を疑う日が来ることなどございません。」
優しい微笑みを浮かべた源之進は、そうだな、と小次郎に同意を求めるように背中を叩く。
待ってました、と小次郎が瞳を輝かせる。
「父上のおっしゃる通りでございます。私は沙魚丸様の乳兄弟でございます。沙魚丸様は主君とは言え、私の弟。弟の言うことを信じ守る者、それが兄なのです。」
その時、沙魚丸の涙腺は崩壊の危機を迎える。
〈何て言う優しい世界。修羅の世界と覚悟して来たのに・・・。こんな、こんな、素晴らしい人たちがいるなんて。〉
涙が落ちないよう星が瞬く夜空を見上げた沙魚丸は、あぁ、そうか、と呟いた。
〈『人は鏡』なのね。沙魚丸君が誠実に生きて来たからこそ、二人の今の言葉があるんだわ。〉
沙魚丸は心に誓う。
亡き沙魚丸に恥ずかしくない生き方をする、と。