第11話 焚火
結衣はこみ上げて来る自己嫌悪と戦っていた。
〈カッコつけて英語で叫んだけど、秋夜叉姫様は英語大丈夫だよね。〉
仮にも女神様なんだし・・・、と一旦は納得した。
だが、もしも通じていなかったら、と考えた結衣の心は後悔でいっぱいになる。
英語のセリフはいいとしても、サムズアップは失敗だったかも・・・
暗闇に閉ざされそうになる結衣の心に、一筋の光が射す。
そう、秋夜叉姫の優しい笑顔を結衣は思い出したのだ。
〈秋夜叉姫様はできる女神様だから大丈夫!〉
結衣はあっさりと気持ちを切り替えた。
〈それにしても、時間がかかるわね。〉
結衣がラノベで蓄えた知識によれば、一瞬で転移しているはずなのだ。
こんなにも時間がかかるのは見たことも聞いたこともない。
しかも、目が開かないし、耳も聞こえない。
さらに、口も閉ざされたまま。
それどころか、腕も足も体のどこも動かないのだ。
能天気な結衣であっても、さすがに不安になってくる。
〈もしかして、転生に失敗したのかしら。〉
こういう場合は聞いた方が早い。
『秋夜叉姫さまぁ、出てきてぇ。』
大声を上げようとしたが、悲しいことに口が開かない。
〈もう、いいや。〉
結衣は不安がるのをやめた。
月詠様って上司がいるみたいだし、神様なんだから部下の尻拭いは絶対にするはず、と結衣は考えた。
坐禅に通ったことのある結衣は、心静かに己の内面を見つめることにした。(決して、坐禅後の抹茶とお菓子が目当てではない。)
ものの数秒で違和感を結衣は感じ取った。
〈あれ、私の記憶じゃない記憶がある。これは、沙魚丸君の記憶かしら。と言うことは、成功したのかな。〉
好材料の出現に沙魚丸の心に一斉に花が咲く。
不安から解放された結衣は、じわじわと魂が体に浸透しているのが分かった。
〈私の魂を沙魚丸君の体にインストール中ってことなのかな・・・〉
この状況を説明するのに、使い慣れているPCで例えてみたのだが、我ながらいい例えじゃない、とニンマリする。
〈でもねぇ、説明が無いのはしんどい。しんどすぎる!〉
今度、秋夜叉姫様に会ったら文句を言おうと沙魚丸が誓った時、突然、ドクンと心臓が大きく跳ね上がる。
ぐはぁ!!
動かせない体のまま、衝撃に貫かれた結衣は心の中で叫ぶ。
〈これって、血を吐くシーンに定番よね・・・〉
そのまま、結衣は気を失った。
少しして結衣は意識を取り戻した。
〈魂と体が合体すると衝撃が走るのね。こういうのは事前に教えてもらわないと困るわ。〉
そして、体を動かそうとするが、まだどこも動かない。
長いインストールだなぁ、と嘆いた結衣は、これからのことを考えることにした。
〈結衣のまま行くよりは、身も心も椎名沙魚丸になるべきね。沙魚丸って戦場で呼ばれて、ほんの僅かでも反応が遅れたら、致命傷になるかもしれないもんね。よし、誰が何と言っても、私は沙魚丸よ。心の声も全部、沙魚丸だから!〉
ここで立ち上がって拳を突き上げたいところだが、動かない身では何とももどかしい。
〈さて、沙魚丸君の記憶だと柿を取ってるところで終わっちゃったのよね。とりあえず、状況確認をしたいんだけどなぁ。あっ、目が動く。〉
よっしゃぁ、と勇む沙魚丸は目をうっすらと開く。
おおっ、と心の中で叫んだ沙魚丸は、ぱっちりと目を開けた。
〈すごい星空。宝石を散りばめたよう・・・。いえ、圧倒的な星空に潰されそうって言うのかしら。あっ、流れ星。キレイ!〉
ほわぁー、と満天の星に心を奪われた沙魚丸。
しばらくして、全く活動していなかった耳が復活していることに気づいた。
〈何だろう、パチパチって音がする。聞いたことがあるわね。〉
音の正体を確かめようと沙魚丸は目をぐりんと動かした。
傍から見ると、目だけをぎょろぎょろと動かす少年と言うのは、ホラー映画そのものなのだが、幸い誰も沙魚丸の間近にはいない。
沙魚丸の目が捉えたのは、赤々と燃える炎だった。
〈焚火が爆ぜる音だったのね。焚火の炎が揺らめいてロマンチックね。あら、誰かいるわ。〉
焚火の向こうで二人の男たちが何やら話している。
〈頭が動かせないって、もどかしいわね。〉
可動域一杯に目を動かした沙魚丸は、男たちの顔を識別することに成功した。
〈えーっと、あれは誰だ。〉
沙魚丸は二人が誰なのかを記憶に求める。
〈シブオジの方は・・・。何か言われた記憶があるわね。どれどれ。〉
『赤子の頃に会ったではないか。儂を覚えておらんのか。』
〈うわぁ・・・、ドン引きだわ。覚えてる訳無いでしょ。沙魚丸君は、叔父上って言ってるから、お父さんの弟なのね。〉
名は、常盤木雨情。
沙魚丸君のお父さん、椎名春久の実の弟。
姓が違うのは、婿養子にいったから。
椎名家重臣の常盤木紅雨の次女、有紀を娶り紅雨の跡を継いだ。
〈まぁ、こんなとこかしらね。おや、記憶の奥底から何か言われた内容が出て来たわ。〉
雨情からの言葉を紐解いた結衣は、じじぃ、と心の声を漏らしてしまう。
〈うん。記憶の奥底に沈めた理由が分かったわ。この叔父上はしんどい。〉
雨情とは距離を取ろう、と心のメモに書いた沙魚丸は、もう一人の人物のことを考える。
〈えーっと、この人は傅役なのね。だけど、あんまり家にいなくて滅多に会えないのかぁ・・・。〉
名は、千鳥ヶ淵源之進。
沙魚丸の母、百合の幼馴染であり、父、春久より沙魚丸の傅役を命じられた。
〈一番頼りにしたい人か・・・〉
なるほどね、と沙魚丸は心の中で頷いた。
イケオジだしね、とコッソリ思う沙魚丸だった。
パキ
会話をしている二人の近くで木の枝を踏む音がした。
源之進の前で立ち止まった人物が誰なのかすぐに分かった。
〈この子が沙魚丸君の心の友ね。本人には伝えてないみたいだけど。〉
名を千鳥ヶ淵小次郎と言う。
源之進の次男である。
更なる記憶を得ようと沙魚丸が頑張ろうとした時、小次郎のういういしい声を聞いた沙魚丸は耳に全神経を集中する。
「父上、只今、戻りました。」
「すまなかったな。それでは、沙魚丸様を頼む。」
「はい。」
二人に一礼した小次郎が沙魚丸の方へやって来る。
〈ヤバい。〉
沙魚丸は慌てて目を閉じた。
心臓の音がやけに耳につく。
〈心臓うるさい。ちょっと止まって。意識があるのがバレたらどうするのよ。〉
本当に止まったらどうするのかなど考えもせず、自らの心臓に文句を言う沙魚丸の横に小次郎が静かに座った。
辛そうなため息を一つ漏らし、小次郎は沙魚丸の額の手拭いを交換した。
〈あぁ、ひんやり。〉
気持ちのよさに、声を漏らしてしまいそうになる。
「早く目をお開け下さい。」
小次郎の声は、弱々しく悲痛に満ちていた。
〈どうしよう。おはようって、飛び起きた方がいいのかな。〉
どんな起き方をするか悩む沙魚丸の耳に雨情の渋い声が届いた。