女性体への慣れ
アキラが更衣室から出てきた。
測定スーツ姿――うん、正直よく似合ってる。
普段は制服姿ばかりだから新鮮だ。体にぴったり密着していて、意外とスタイルが良いのがわかる。
――まぁ、とはいえ、女性体の儂の方がちょっとスタイル良いけどな。
……あ、いかん。思考が完全に女視点になってる。
最近、この体でいる時間が増えてきたせいか、時々こうやって意識が引っ張られることがある。爺だったころの儂はどこへ行った。
「レイ。顔に出てるわよ」
ぴしゃりと指摘された。視線を合わせると、アキラが腕を組んでこちらをじとっと睨んでいる。
――しまった。絶対、今の脳内ダダ漏れだったやつだ。
「いや、あれだ、その……」
誤魔化そうと口を開いたが、妙にしどろもどろになってしまう。
「似合ってるなって……!」
――あ。余計なことを言った気がする。
案の定、アキラの眉がぴくりと動く。
「……ふぅん?」
――これはまずい。
「違う違う! ほら、儂もさっき着たけど、こう、なんていうか、身体のラインが出るから、誰でもそれなりに――」
「レイの方がスタイルがいいって言わんばかりの顔してたけど?」
アキラがぴしゃりと切り込んでくる。その目は笑っていない。
「……っ!」
図星を突かれた儂は、一瞬で言葉を失った。
――バレてる!?
思わず視線が泳ぐ。すると、ますますアキラの目つきが鋭くなる。
「ほら、今の目! 絶対思ってたでしょ!」
「いや、あの……その……!」
否定しようにも、焦りでうまく言葉が出てこない。汗が背中を伝う感覚。
――やばい。
「素直に認めなさいよ」
詰め寄られ、儂はとうとう根負けした。
「……ごめん、ちょっとだけ思った」
「やっぱり!」
アキラが腰に手を当て、呆れたようにため息をつく。
「まったく、もう……。でもまあ、レイが女の時のスタイルいいのは認めるけどさ」
「だろ?」
「そこ、調子に乗らない!」
バシッと軽く頭を叩かれる。
「……すまん」
苦笑しながら頭を掻く。
それでも、アキラの口元がほんの少し緩んでいるのを見逃さなかった。
「おしゃべりはそこまでだ」
田中軍曹の冷ややかな声が飛んでくる。
「す、すみません!」
二人して背筋を伸ばして謝る。――危なかった。
「水沢も座れ」
田中軍曹の指示に、アキラは少し緊張した面持ちで背筋を伸ばし、はきはきと返事をする。
「はい!」
一歩踏み出し、例のマシュマロ――測定シートに腰を下ろした。
瞬間、アキラの肩の力がふっと抜けたのがわかった。
そして――
「……これ欲しい」
ぽそっと、本当に無意識に漏れたんだろう。小さな声だったが、儂にははっきり聞こえた。
――お前もか。
儂は思わず口元を押さえた。笑いをこらえようとするが、どうしても耐えきれず、肩が小さく震えてしまう。
「な、何よ!」
すぐさまアキラが小声で抗議してくる。
「いや……わかる。すげぇわかる」
「でしょ?」
思わず二人して笑いそうになる。
「貴様ら、私語は慎め」
田中軍曹の冷ややかな声が飛んできて、二人そろって背筋を伸ばす。
「す、すみません!」
とはいえ、表情の奥にまだ笑いを引きずっていた。
「測定開始」
電子音が鳴り響き、アキラの測定が始まる。
儂は深呼吸し、気を引き締めた。
この時間も、俺たちにとって必要な一歩。――ここからだ。
儂たちだけの機体に乗るために。
そう心に刻みながら、アキラの測定が終わるのを静かに待った。
暫くして、測定が終わったみたいだ。技術屋が田中軍曹に無言で合図を送っている。
「水沢。終了だ」
軍曹の声が響く。
……が、返事がない。
「水沢?」
少しトーンを落としながらもう一度呼びかける軍曹。その瞬間、儂は「え?」と違和感を覚えた。
――まさかトラブルか?
一瞬、測定機器の不具合とか、体調不良とか、悪い想像が脳裏をよぎる。
けれど――ふとよく見ると。
「……寝てるわ、あいつ」
思わず小声で呟いた。
アキラは、例のマシュマロ――測定シートに包まれるように座ったまま、完全に脱力していた。
目を閉じ、穏やかな寝顔。
「マジかよ……」
儂、びっくり。
いや、気持ちはわかる。あれは確かに座り心地が良すぎる。リラックスしすぎて、寝落ちするのも無理はない。
でも、ここで寝るか?さすがアキラ。儂の幼馴染ながら、やっぱり肝が据わってるというか、なんというか。
田中軍曹も、一瞬だけ「は?」という顔をしたように見えたが、すぐに無表情に戻る。
「水沢!」
軍曹が少し声を張る。
「ん……あ、終わりですか?」
アキラがハッと目を覚まし、状況を理解していない寝起き特有の顔をしている。
「……終わりだ。立て」
「す、すみません!」
慌てて立ち上がるアキラ。
だが、その後ろで儂は必死に笑いを堪えていた。
――いや、お前、度胸ありすぎだろ。それとも単に、天然なのか。どっちにしても、今日一番和んだ瞬間だった。
「水沢。初めてだぞ。寝た奴は」
田中軍曹が、呆れ半分、困惑半分といった表情でそう告げた。
儂は隣で思わず頭を抱えたくなる。――アキラ……お前ってやつは。
アキラはというと、寝ぼけが抜けきっていないのか、頭をかきながら苦笑いを浮かべている。
「す、すみません……あまりに座り心地が良くて、つい……」
「つい、じゃない」
軍曹の言葉に、周囲の技術屋たちも微妙に肩を震わせている。多分、笑いを堪えてるんだろう。
それでも軍曹は表情を崩さず、淡々と言い放つ。
「まぁ、リラックスできるのは悪いことじゃない。だが、次からは気を引き締めろ」
「はいっ!」
ようやくシャキッと返事をするアキラ。
いつもなら「はいはい」なんて軽く流すくせに、こういう時だけは素直なのが、逆に面白い。
「岩村、水沢。次はこれに着替えて来い。岩村はそのままだぞ。その後、思考データと身体測定に入る」
田中軍曹がそう言って、技術屋から受け取った衣類を差し出してくる。
受け取ってみれば、なんてことはない――白と紺の、ごく普通の体操服だった。
「……体操服?」
思わず儂は首を傾げる。てっきりもっとすごいスーツとか、パイロット専用装備みたいなものを期待していたんだが。
――まぁ、今はまだそこまでじゃないってことか。
「動きやすい服装で測定する方が、細かい筋肉の動きが正確に取れるからな」
田中軍曹が淡々と説明を加える。
「わかりました」
儂は素直に返事をし、アキラと一緒に更衣室へ向かった。
そう、今は儂、女性体なんだよな。必然的に、アキラと同じ更衣室で着替えることになる。
――まぁ、もう慣れた。慣れるしかない。
更衣室は相変わらず簡素なつくりだ。鏡とロッカー、そしてベンチがあるだけ。
儂はアキラと並んで、体操服に着替え始める。
「レイ、なんかさ……いつも思うけど、妙にスタイル良いのって嫌味?」
横目でチラチラこちらを見ながら、少しムッとした声色。どうやら本気で気にしてるらしい。
「……知らんよ。儂、もうどっちが本体かわからんくらいだし。母さんも父さんも最近、女物ばっかり買ってくるしな」
苦笑混じりにそう返しつつ、体操服に袖を通す。
最初は、この体になった時、いちいち気にしてたんだが――もう慣れた。いや、諦めたと言ったほうが正しいか。
自分でもたまに「こっちの方が楽かも」なんて思う時があるくらいだ。
特にアキラ相手だと尚更どうでもいい。子供の頃から家を行き来して、一緒に風呂も入ってきた仲だ。
こいつの前で今さら意識しても仕方ない。
……いや、正直言えば、完全に意識してないわけじゃない。そこは儂も一応男だからな。
ただ、もういちいち気にしてたら生活できん。
「でもさ、こうやって並んで着替えてると、ホント“女友達”って感じだよね~」
アキラがニヤニヤしながら冗談めかして言う。
「からかうな」
「はいはい」
ケラケラ笑いながら、アキラはさっさと着替え終わっていた。こういう時だけ妙に早い。
儂も着替え終えて、ふと鏡を見る。
――うん、まぁ、普通に似合ってるな。
男だった頃の儂からしたら、「似合ってる」と思うこと自体、屈辱なはずなんだが――もう、そんなこともどうでもよくなってきた。
「……完全に引きずられてるよな、儂」
小さく呟いて肩をすくめる。
「ほら、行くよ」
「了解!」
二人そろって更衣室を出る。
廊下に出ると、田中軍曹がすでに腕を組んで待っていた。
「行くぞ。測定に入る」
短く、それでいて重い言葉。
儂とアキラは一瞬で背筋を正し、無言でその背中に続いた。
――男でも女でも、もう関係ない。ここからは、“パイロット”として生きていくんだ。
儂は静かにそう自分に言い聞かせた。