ビーズクッションではありません
昼食を終えた儂たちは、指定された場所で待つ田中軍曹の元へ向かい、改めて挨拶をしようと歩き出した
教室を出てすぐの廊下。
自然と背筋が伸びる。
隣のアキラも、いつもの気楽さは鳴りを潜め、少し緊張した面持ちだった。
――まぁ、当然だな。
これから俺たちのパイロット人生に大きく関わる教官との、本格的な顔合わせだ。
否が応でも身が引き締まる。
――さて、しっかりやるか。
そう自分に言い聞かせながら歩いていると、廊下の突き当たりに田中軍曹が立っていた。
腕を組み、姿勢良く直立している。
その表情は厳しいが、冷静で落ち着いた雰囲気もある。
近づくにつれ、背中にじんわりと汗がにじむのを感じた。
「軍曹!本日よりご指導いただく岩村レイと申します! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」
儂はできる限りはっきりと声を出し、姿勢を正して頭を下げる。
隣でアキラも、少し遅れて慌てて頭を下げた。
「水沢アキラです! よろしくお願いします!」
田中軍曹はしばし沈黙し、じっとこちらを見つめる。
鋭い眼差しに、一瞬で体温が下がるような感覚になる。
まるで心の奥まで覗かれているようだった。
「……こちらこそ」
短いながらも、低く響く返答。
「特機型は、想像以上に厄介だ。性能に甘えて思考を止めれば、死ぬ。お前たちは、自分たちの手で機体を『乗りこなす』意識を持て」
重く、しかしどこか期待を含んだ言葉だった。
「はい!」
儂とアキラは息を合わせるように返事をする。
「では、個別訓練室に向かう。ついて来い」
田中軍曹が踵を返し、無駄のない動きで歩き出す。
「行くぞ」
儂はアキラに軽く目配せし、二人で後を追う。
廊下に響く靴音だけが、しばらくの間、儂たちの会話だった。
妙に静かで、息を潜めるような時間。
それでも、胸の奥には確かな鼓動があった。
不安と期待が入り混じった、熱い鼓動。
やがて、鉄扉が並ぶエリアに到着した。
無機質な金属光沢が辺りを覆い、訓練設備特有の冷たい空気が漂っている。
その中でも、一際頑丈そうな扉の前で田中軍曹が足を止めた。
「ここだ。これからお前たちは基本的にここに通うことになる。教室での座学は免除だ。ここで行う」
「え?」
アキラが思わず声を漏らす。
「お前たちは特機型だ。他の量産機と違い、パイロットの感覚に合わせた“調整”が必須になる。逆に言えば、お前たちには他の者たちと歩調を合わせる必要はない。むしろ、一般課程に混ざると効率が落ちる」
「つまり……」
儂が言葉を探していると、軍曹が淡々と続けた。
「お前たちはもう、『別枠』だ。他と同じではない。そして――特機型の役割を理解しろ」
田中軍曹の目が鋭くなる。
「特機型は、現場では“最後の切り札”だ。通常部隊が押し切れない場面で投入され、必ず結果を出す存在。言ってみれば、お前たちは特別扱いじゃない。“勝って当たり前”と見られる枠に放り込まれたんだ」
その言葉に、儂もアキラも思わず息を呑んだ。
――特別扱いじゃない。
――勝って当たり前。
その意味が、じわじわと体に染み込んでいく。
「甘い気持ちで乗るな。期待されていると思うな。お前たちは、結果を出すことを『義務付けられた』存在だ。失敗すれば――ただ無能と烙印を押されるだけだ」
静かな声だった。だが、その一言一言が重く、儂の胸に突き刺さる。
「……はい」
自然と返事が出た。
アキラも「はい」と強く頷いている。いつもの軽さは完全に消えていた。
「よし」
田中軍曹が端末に手をかざし、重厚な扉がゆっくり横にスライドする。
その向こうに広がっていたのは、驚くほど広い空間だった。
しかし、広いだけで何もない。
「……何にもない?」
アキラがぽつりと漏らした声が、がらんとした空間に響き渡る。
儂も思わず同じ感想を抱いた。
てっきり前世で見たロボットアニメよろしく、シミュレーターや訓練機が所狭しと並んでいるのを期待していたが、現実はこれだ。
「今からお前たちに合うコックピットの製作に入る」
田中軍曹の低い声が、静まり返った空間に重く響く。
「制作……?」
思わず反復するように問い返すと、軍曹は淡々と頷いた。
「そうだ。特機型は、その性能を最大限に引き出すため、パイロットごとに操縦系統を最適化する必要がある」
軍曹の目がこちらに向けられる。
「お前たちの身体データ、神経反応、姿勢癖、力の入れ方、思考操作――それらすべてを踏まえた上で、専用コックピットを造る。既製品ではない。お前たち二人にしか扱えない、完全オーダーメイドだ」
完全オーダーメイド。
その言葉に、儂の胸が熱くなる。
――俺たちだけの、俺たちにしか扱えない機体。
「この空間は、今からお前たちの測定と適応調整を行い、その後、専用訓練ルームとして改修されることになる。つまり、ここはお前たちだけの場所になる。ここからが始まりだ――覚悟しておけ」
田中軍曹の低く響く声に、儂もアキラも自然と背筋が伸びた。
専用訓練ルーム――俺たちだけの場所。
言葉にすれば特別感があるが、それは同時に逃げ場のない責任の重さも意味していた。
「はい!」
儂とアキラは声を揃えて返事をする。
――これで、完全に腹を括るしかない。
そう思った時だった。
背後の扉が再び開き、作業服姿の技術者たちが次々と入ってくる。
彼らは無言のまま、慣れた手つきで測定装置やら見たこともない精密機械を運び込み、広い空間に配置していった。
「なんか……すごいね」
アキラが目を丸くして呟く。
儂も頷くしかない。
本格的、というか、もう完全に「俺たち専用」という空気になってきた。
一歩引いて冷静になれば緊張もあるが――やっぱり胸が高鳴っていた。
「岩村」
田中軍曹が儂を呼ぶ。
視線を向けると、技術者の一人がスーツらしきものを差し出していた。
「これに着替えて来い。奥に更衣室がある」
差し出されたのは、全身密着型の薄手のスーツ。
黒地に細かく銀色のラインが走っており、いかにも計測用といった雰囲気だ。
「はい!」
儂は受け取り、奥へと進む。
更衣室は簡素だったが、鏡とロッカー、それにベンチがある。
着替えを始めながら、ふと鏡に映る自分の顔を見て、気づいた。
――めちゃくちゃ楽しそうな顔してるな、儂。
いや、もちろん真剣にやるつもりだ。
でも、やっぱり男のロマンってやつが抑えきれない。
「……よし」
気持ちを切り替え、スーツを着込み、再び広間へ戻る。
「準備できました!」
軍曹と技術者たちが振り返る。
「よし、測定に入る。座れ」
「座れ」と言われて指さされた先にあったのは――なんか、でっかいマシュマロみたいなやつだった。
「……え?」
一瞬、頭が追いつかなかった。
ふわふわで、白くて、妙に丸っこい。
ハイテクな機械類が並ぶ中で、そこだけ異様に柔らかそうな物体が鎮座している。
「すみません、田中軍曹。これですか?」
思わず確認してしまう。
もっとこう、鉄とコードが絡み合ったゴツいコックピットか、せめて未来的な計測装置を想像していた儂にとって、この見た目はあまりにギャップがありすぎた。
軍曹は眉一つ動かさず、淡々と答える。
「そうだ」
「……そうですか」
儂はがっくりと肩を落としつつ、恐る恐るその“マシュマロ”に腰を下ろした。
「うわ、柔らけぇ……」
ふにっと体が包み込まれる感触。完全にマシュマロだ。
アキラが後ろで肩を震わせて笑っているのがわかったが、今は無視だ。
「それは感触記憶型測定シートだ」
軍曹が説明を始める。
「パイロットの座り癖、姿勢、微細な筋肉の動きまでデータとして読み取る。一見ふざけた見た目だが、最新式だ」
――なるほど、すごいやつなのか。
儂は納得しつつ、体を少し揺らしてみる。
確かに、この柔らかさなら細かい姿勢の違いまで感知できそうだ。
「動くな。そのまま自然に座っていろ」
軍曹の声に従い、儂は深く座り直した。
「測定開始」
低い電子音とともに、体を包むマシュマロ――いや、測定シートがじわりと沈み込む。
「おお……」
妙に落ち着く。悲しいことに、座り心地は最高だった。
儂は、複雑な気持ちのまま測定が進むのを待った。
技術屋の一人が田中軍曹に向かって、無言で測定終了の合図を送っていた。
肩の力を抜きながら、儂は内心で思う。
――これ、欲しいな。
かなり気持ちいいぞ、このマシュマロ椅子。
そんなことを考えていた矢先だった。
「よし。次は――女になれ」
「……は?」
一瞬、思考が止まった。
いや、耳を疑ったわけじゃない。確かに聞こえた。
でも、まさかここでそれを言われるとは思わず、たぶん、儂はものすごく間抜けな顔をしていたと思う。
「何だ、その顔は」
軍曹が鋭く睨む。
「いや、その……」
言葉に詰まる。だって、こっちでは性転換できるなんて、誰にも言ってないはずだ。
入学時の書類にも、性別は「男」としか書いていない。
「変な顔をするな!」
ピシャリと叱咤され、背筋が伸びる。
「パイロット科の生徒全員、入学時に病院の通院記録までこちらに提出されている。お前の特異体質も、とっくに把握済みだ。今さら隠しても無駄だ」
――マジか。思わず天を仰ぎたくなる。
そんな個人情報まで丸裸だったとは。
「お前の能力は、極めて特殊だ。それが機体操縦にどう影響するか、こちらも把握しておく必要がある」
軍曹の言葉は淡々としていたが、そこに偏見も蔑みも感じられない。ただ、パイロットとして最大限の能力を引き出すために、当然知っておくべき情報として扱っている――そんな印象だった。
「……分かりました」
覚悟を決めるしかない。
この世界に来てから何度も性別が変わることに悩まされてきたが、今日ほど「避けられないもの」として突きつけられたことはない。
――なら、やるしかない。
儂は一度深呼吸し、意識を集中させる。身体の奥底にある“スイッチ”を入れるように、そっと意識を傾けた。
じわり、と身体が熱を帯びる感覚。骨格が微妙に軋むような違和感と、皮膚の張りが変わる独特の感覚。
――変わる。
「……よし、できました」
視線を上げると、田中軍曹も技術者たちも、特に驚いた様子もなく淡々と受け止めていた。
「座れ。女性状態でも測定する」
「はい」
儂は、再び“マシュマロ”に座る。さっきとは微妙に感覚が違う。
やはり体つきが変わることで、座り方も無意識に変わるのだろう。
「測定開始」
機械音が響き、儂はただじっと座り続ける。
どうでもいいが――やっぱり変わり始めは気持ち悪いな。
骨が軋むような、皮膚が馴染むまでの違和感。慣れたとはいえ、毎回「うわぁ」って思う。
「レイ。大丈夫?」
不安げな声が横から届く。アキラだった。
ちらりと目を向けると、少し眉を下げてこちらを見ている。
「……大丈夫だよ」
儂はできるだけ平静を装って返した。
だが、アキラの目は真剣だった。心配してるのが伝わってくる。
「よし、岩村。立っていいぞ」
田中軍曹の声に、儂は名残惜しさを抱きつつも、気持ちいいマシュマロからゆっくりと立ち上がる。
――ふう。女性体での測定も終わり、ようやく一息つける。
変わったばかりの体にまだ少し違和感は残っているが、無事に済んでほっとしていた。
しかし、立ち上がった瞬間、すぐにあることに気づく。
――あれ、田中軍曹、デカくないか?
いや、違う。儂が小さくなってるんだ。女になったことで、身長も若干低くなっている。
そのせいで、田中軍曹がやけに大きく見えた。
「……なんか、圧迫感あるな」
思わず小さく呟くと、軍曹がちらりとこちらに目をやったが、特に突っ込んでくる様子はない。
「次、水沢。着替えてこい」
「はい!」
アキラが測定スーツを受け取り、更衣室へ向かっていく。
背筋を伸ばして歩いているが、わずかに高揚しているのがわかる。
「岩村、お前はそのまま待機だ。女性体のままでいい」
「え?」
思わず声が出る。
「実戦ではいつ体質が発現するかわからん。その状態で操作系統にどれだけズレが出るか、試す必要がある」
――なるほど。そりゃそうだ。
儂は少し納得しながら、再びマシュマロに視線を落とす。
――また座ってもいいんだろうか。
そんなくだらないことを考えながら、アキラの番を待った。