挨拶
「ギリギリだったな」
肩で息をしながら、儂はぼそりとつぶやく。
「大丈夫よ。まだ10分前よ」
アキラは涼しい顔でそう返してきた。
「いや、ギリギリはギリギリだろ……」
小声で突っ込みながら、儂は教室のドアに手をかけた。
カチャリ。
扉を開けると、すでに教室には八人ほどの新入生たちが揃っていた。
皆、席に座ったり、立ち話をしたりと、それぞれリラックスした様子で待機している。
──みんな、早いな。
初日から気合い入ってる奴ばかりか、それとも単純に余裕を持って来ただけか。
どっちにせよ、遅刻しなかっただけマシだろう。
「あ、空いてる席あった」
アキラが教室の奥、窓際の並びに二つ空いている席を見つける。
「よし、あそこ行くか」
儂も頷き、並んで歩き出す。
ちらっと周りを見ると、みんなこちらに一瞬視線を寄越したが、すぐに各々の会話に戻った。
どうやら「こいつらが噂の強化人間だ」とか、「あいつは異世界人らしい」みたいな特殊な目線は、今のところは感じない。
そうだよな。
今日はみんな“ただの新入生”だ。
心の中で少し安堵しながら、儂はアキラと並んで席に着いた。
「ふう、なんとか無事着いたな」
椅子に腰を下ろし、儂は一息ついた。
アキラも隣で、鞄を机の脇に置きながら軽く伸びをしている。
「ほんとね。ねえレイ、今日って座学だよね? 操縦訓練とかはまだないよね?」
少し不安そうに尋ねてくる。
まあ、そりゃそうだ。
初日から操縦席に座らされるようなことになれば、誰だって緊張する。
「いや、授業は明日からだぞ……さすがに初日からはないだろ。今日はパイロット科の説明と、これからの授業内容の説明だろ」
儂がそう返すと、アキラは「だよねー」と安心したように笑った。
「でも、この学園、結構スパルタって噂も聞いたんだけど」
「まあな。でも、さすがに今日からロボ乗れってことはないだろ……たぶん」
儂は言いながら、自分でも少しだけ不安になる。
確かに、このパイロット科は“実戦を見据えた教育”を掲げているとかで、有名らしい。
座学はもちろん、シミュレーター訓練に始まり、いずれは実機を使った模擬戦まで叩き込まれるって話だ。
「今日ぐらいは平和でいてくれよ」
小さくそう呟き、儂は教室を見回した。
他の新入生たちも、まだ少し緊張した様子で談笑している。
──今日ぐらいは、平穏に。
そんな願いを込めつつ、儂は背もたれに軽く寄りかかった。
暫くして、校内に響くチャイムの音。
「――来たな」
儂が小声で呟いた直後、教室のドアが開いた。
入ってきたのは、五人の教師たち。
一歩前に出たのは、鋭い目つきの中年男性だった。
短く刈り込まれた髪、引き締まった体つき。
無駄な肉が一切ない、まさに軍人そのものといった風貌だ。
後ろに続く四人も、いかにも現場叩き上げといった雰囲気で、皆ピシリとした空気を纏っている。
一目でわかった。──厳しいやつらだ。
教室内に、自然と緊張が走る。
誰もが無言で背筋を伸ばし始める。
そして――
「……立ちなさい」
静かだが、腹に響くような低い声が教室に落とされた。
儂を含め、生徒全員が慌てて立ち上がる。
椅子を引く音すら、やけに大きく響いて聞こえた。
アキラも隣で「うわ、怖そう……」と小さく漏らしている。
儂も同感だった。
初日から、これは思った以上に気を抜けない場所に来てしまったかもしれん──
そんな予感が、じわじわと胸に広がっていった。
全員が「おはようございます」と挨拶をし、教師たちは頷き着席を命じた。
「よろしい。では、まず自己紹介だが、簡潔に頼むぞ。まずは……岩村! お前からだ」
教壇に立つ、あの鋭い目つきの教師が指名する。
どうやらア行の最初は儂らしい。
「えっ、儂?」
反射的に声が出そうになったが、ここで下手に気を抜くと印象が悪くなりそうだ。
すぐに飲み込んで、軽く息を整えた。
儂は前に出て、教壇の横に立つ。
視線が集まる。
慣れているはずなのに、こういう場はやっぱり緊張する。
「岩村レイです。パイロット志望です。よろしくお願いします」
できるだけ簡潔に、無駄なく。
そう心掛けて言い切った。
「以上です」
軽く頭を下げ、席に戻る。
ちらりとアキラを見ると、小さく親指を立てて「ナイス」とでも言いたげな仕草をしていた。
──まあ、無難に切り抜けられたか。
教師は特に何も言わず、すぐ次の生徒に目を向けた。
「次、ガドル!」
教師の声が響く。
「はいっ!」
力強い返事とともに立ち上がったのは、大柄な少年だった。
深い茶色の肌に、刈り込まれた短髪。
見るからに鍛えてますと言わんばかりのガッチリした体つきだ。
一歩前に出るだけで、床が軽く揺れたように感じたのは気のせいじゃないだろう。
「ガドル・バスークです! パイロットになって最前線で戦います! よろしくお願いします!」
声もでかい。
まるで戦場にでも立っているかのような自己紹介だった。
「よろしい、席に戻れ」
教師も特に咎めることなく、次々と指名していく。
その後も、順々に新入生たちが前に出て自己紹介をしていった。
みんな緊張しながらも、それぞれの熱意や個性が垣間見える。
ここに集まった連中は、全員が「世界を守る」という強い意志を持って入学してきているのだろう。
そんな様子を眺めながら、ふと隣のアキラに目をやると――案の定、気を抜いてのんびりしていた。
椅子にもたれて、「ふわぁ」と欠伸までしている。
「少し緊張感を持ってくれ」
思わず小声で注意すると、アキラはちらりとこちらを見て肩をすくめた。
「大丈夫よ。挨拶だけだし、普通で良いわよ」
相変わらずのマイペースぶりに、儂は小さくため息をつく。
「そういう油断してる時に、名前呼ばれて慌てるんだぞ」
「はいはい。ちゃんとやる時はやるから」
気楽そうに言うが、まぁアキラは大丈夫だな。
昔からそうだ。
普段は適当なくせに、ここぞという場面ではきっちり決める。
そんなやりとりをしているうちに、自己紹介は順調に進んでいく。
緊張で声が震えている奴、やたら気合いの入った奴、妙に落ち着き払っている奴――
それぞれ違うが、皆どこかに「これから始まるんだ」という熱が宿っている気がした。
──ここにいる全員が、同じ“スタートライン”に立っているんだな。
儂はそんなことを考えながら、ちらりと教師に目をやる。
そろそろ、アキラの番だろうか。
「次。最後、水沢!」
教師の低く響く声が教室を満たした。
「おっと、来た」
アキラが小さく呟いて立ち上がる。
いつもの気楽そうな表情は変わらないが、その瞬間だけ、ピンと背筋が伸びた。
──やっぱりな。
こういう時、アキラはちゃんとやる。
昔から、そういうやつだ。
「水沢アキラです。パイロット志望です。よろしくお願いします」
無駄のない簡潔な自己紹介。
それでも声は通っていて、妙に印象に残る。
本人は自然体でやっているだけなんだろうが、そういうところで得するタイプなんだよな。
「よろしい、座れ」
教師の短い指示に、アキラは「ふう」と安堵の息をつきながら席に戻ってきた。
儂は小声で尋ねる。
「どうだった?」
アキラは得意げににんまり笑って、親指を立ててきた。
「楽勝!」
──肝が据わってるというか、こいつは本当に強いよな。
まぁ、そこがアキラらしいんだけど。
これで全員の自己紹介が終わり、教室内にふっと静けさが戻る。
みんな、一仕事終えたような表情でホッとしている。
でも――儂はここからが本番だと思っていた。
教壇に立つ教師の目は、まだ鋭さを失っていない。
きっとこの後、パイロット科としての現実が突きつけられるんだろう。
「さあ、始まるぞ」
儂は心の中でそう呟きながら、改めて背筋を正した。