入学式
よろしくお願いします。
校長先生の声は相変わらず単調で、眠気を誘う。
──入学早々、試練とはこのことか。
儂――岩村レイは、そんなことを考えながら校庭の椅子に腰掛けていた。
周囲を見渡せば、同じようにぐったりした新入生たちの姿。目を閉じて完全に寝落ちしている奴までいる。
「~であるからして諸君のこれからの~」
ようやく話が終わりに近づいている気配を感じた時だった。
「レイ。まだ終わらないのかな?」
右隣から囁き声。
聞き慣れた声に視線を移すと、幼馴染のアキラ――水沢アキラが、頬杖をついて明らかに退屈そうにしている。
肩まで伸びた黒髪がさらりと揺れ、わずかにふくれっ面をしているのが妙に可愛らしい。
そんな表情を見るのは珍しくもないが、今日は一段とだるそうだ。
「もう少しだ。我慢して」
そう答えながらも、内心では同意していた。
儂も限界だ。
「~この素晴らしき日々を~」
儂も思わずため息をつきそうになったが、何とかこらえる。
アキラがこちらをじと目で見てくる。
「もう少しって言ったのに、全然終わりそうにないじゃん」
小声とはいえ、若干責めるようなニュアンスが混じっている。
そりゃそうだ。儂だって騙された気分だ。
「……申し訳ない」
なんで儂が謝ってるんだろう、と思いながらも、現状打開すべきは先生方だ。
壇上に目を向けると、校長先生はまだまだ絶好調で話し続けている。
──しかし、先生方の反応が違う。
「ああ、またか……」とでも言いたげな顔をしており、副校長がすでに準備に入っている様子だった。
何の準備かは知らないが、彼女の表情には「仕方ない、止めるか」とでも書いてある。
──なるほど、これはもう前例があるな。
儂は確信した。
おそらく毎年のように、校長先生の話が止まらなくなるのだろう。
その証拠に、副校長はポケットから小さなベルを取り出し、壇上に向かってわずかに掲げると、まるで合図するように軽く鳴らした。
「チリン」
その音が校庭に響いた瞬間、校長先生の口が止まる。
まるで魔法のようだった。
「……では、最後に諸君の健闘を祈り、これをもって式を終えるとしよう!」
急に締めくくられた演説に、体育座りで眠りかけていた新入生たちが驚いた顔をする。
そして数秒の沈黙の後――
「終わった……!」
誰かが安堵混じりにつぶやいたのを皮切りに、校庭のあちこちから「やっとかよ……」という声が漏れた。
アキラもようやく緊張の糸が切れたのか、ぐったりと背もたれに寄りかかる。
「ねぇ、来年もこれあるのかな?」
「……たぶんな」
儂は疲れ切った声で返した。
こうして、長すぎる校長の挨拶は幕を下ろしたのだった。
「では校長先生の長い上、中身のない話は以上で終わります」
副校長の初老の女性が、容赦なく厳しい口調でそう言い放った。
壇上に微妙な空気が流れる。
儂は思わず目をぱちくりさせた。
──これ、毎年恒例なんだな。
そう確信しつつ、ちらりと校長先生を見る。
しょんぼりと肩を落としている姿に、少しだけ同情の念が湧いた。
校長……儂も長いとは思ったが、ちょっと気の毒だよ。
そんなことを思っていると、副校長は早く次に進めとばかりに手元のメモを確認し、冷静に告げる。
「では、生徒会長の水木ジーク君による歓迎のご挨拶に移ります」
その瞬間、ざわっと周囲が小さくざわめいた。
「ジークだって」
「あのジーク先輩が……」
そんなひそひそ声が聞こえてくる。
儂は「誰だ?」と首をかしげるが、隣のアキラが小声で説明してくれた。
「レイ、知らないの? ジーク先輩ってめっちゃ有名だよ。成績も運動も完璧で、生徒会長になった時も満場一致だったって」
「へぇ……すごい奴がいるもんだな」
そんな会話を交わしていると、壇上に一人の男子生徒が歩み出た。
スラリとした長身に、整った顔立ち。
まるで絵に描いたような優等生――いや、英雄然とした雰囲気すらある。
彼がマイクの前に立つと、校庭のざわめきが自然と静まった。
誰もが彼に注目している。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」
低く落ち着いた声が響き渡る。
その一言だけで、校庭に集まった新入生たちからため息混じりの「かっこいい……」という声が漏れた。
儂は――というと、そんな周囲の空気に少しだけ反発心が湧いていた。
「完璧すぎる男」ってのは、どうにも眩しすぎて苦手だ。
スラリとした長身に、端正すぎる顔立ち。
姿勢も仕草も隙がなく、声まで良いとなれば、そりゃ人気も出るだろう。
だが、そういう完璧超人みたいなやつを見ると、どうにもこそばゆい気持ちになる。
ちらりと隣を見ると、アキラはというと、案の定――
「……ふぅん」
興味津々といった様子で、じっと壇上のジーク先輩を見つめていた。
目がキラキラしてる。
こういうタイプ、案外好きなのかもしれないな……なんて、余計なことを考えていると、不意にアキラが小声で呟いた。
「あのジーク会長。絶対に女を泣かせてるわね。私にわかるわ」
耳元でヒソヒソと、それでいて妙に確信めいた口調。
そして、儂にだけ聞こえるように言いながら、唇の端をにやりと持ち上げ、実に悪い顔をしている。
その表情に思わず笑いそうになるが、何とか耐えて聞き返す。
「……どういうこと?」
「見ればわかるのよ、そういうの」
ドヤ顔で胸を張るアキラ。
こいつ、こういう時だけ妙に自信満々なんだよな。
壇上ではジーク先輩が淡々と挨拶を続けている。
だが、儂の頭の中は、いつの間にかアキラの言葉の真意を探る方向に切り替わっていた。
──完璧すぎる男ほど、裏があるってことか?
そんな考えが頭をよぎる中、儂はまた長くなりそうな挨拶に備えて、そっと背筋を伸ばしたのだった。
「この世界は今、外宇宙からの侵略者危機に瀕しています。それを守るのは、私たちの先輩方であり、未来の私達です。これからの未来の為、人類の為、切磋琢磨していきましょう。以上をもちまして、歓迎の挨拶とさせていただきます」
水木ジーク会長が、そう締めくくると同時に、校庭に拍手が湧き上がった。
けれど、その拍手にはどこか義務感が混ざっているようにも感じる。
儂も手を叩きながら、頭の片隅ではさっきのアキラの言葉がこびりついて離れない。
「女を泣かせてる」とまで言い切る根拠は何だったんだろうか。
「……どう見ても、爽やかで真面目そうな先輩だったけどな」
思わず小さくつぶやくと、隣でアキラが肩をすくめる。
「そういうのが一番タチ悪いんだから。レイ、男は顔だけで判断しちゃ駄目よ?」
なんて偉そうに言うけど、さっきまでは『かっこいい』って目を輝かせてたくせに、と内心で突っ込む。
「……はいはい」
適当に流しながら、壇上を見上げる。
ジーク会長は既に一礼し、凛とした姿勢で壇を降りていた。
その後ろ姿までやたらと絵になるのがまた憎らしい。
──まあ、何にせよ、式は終わった。
儂は小さく息を吐いた。
長かった、いや、無駄に長すぎた。
「さ、これで解放ね!」
アキラが椅子から立ち上がり、伸びをする。
黒髪がさらりと揺れて、なんだか妙に楽しそうだ。
どうやらジーク会長の話も、校長先生ほどの苦痛ではなかったらしい。
「とりあえず教室か?」
「うん。でも、まずはトイレ行きたいかも」
女子らしい発言に、儂は「そりゃそうだ」と苦笑した。
入学式の緊張感から解き放たれ、ようやく日常が始まる気がしてきた。
──これから先、どんな日々が待っているのか。
そんなことをぼんやり考えながら、儂はアキラと一緒に人の波へと溶け込んでいった。
肩まで伸びた黒髪がさらりと揺れ、わずかにふくれっ面をしているのが妙に可愛らしい。
そんな表情を見るのは珍しくもないが、今日は一段とだるそうだ。
「もう少しだ。我慢して」
そう答えながらも、内心では同意していた。
儂も限界だ。
「~この素晴らしき日々を~」
儂も思わずため息をつきそうになったが、何とかこらえる。
アキラがこちらをじと目で見てくる。
「もう少しって言ったのに、全然終わりそうにないじゃん」
小声とはいえ、若干責めるようなニュアンスが混じっている。
そりゃそうだ。儂だって騙された気分だ。
「……申し訳ない」
なんで儂が謝ってるんだろう、と思いながらも、現状打開すべきは先生方だ。
壇上に目を向けると、校長先生はまだまだ絶好調で話し続けている。
──しかし、先生方の反応が違う。
「ああ、またか……」とでも言いたげな顔をしており、副校長がすでに準備に入っている様子だった。
何の準備かは知らないが、彼女の表情には「仕方ない、止めるか」とでも書いてある。
──なるほど、これはもう前例があるな。
儂は確信した。
おそらく毎年のように、校長先生の話が止まらなくなるのだろう。
その証拠に、副校長はポケットから小さなベルを取り出し、壇上に向かってわずかに掲げると、まるで合図するように軽く鳴らした。
「チリン」
その音が校庭に響いた瞬間、校長先生の口が止まる。
まるで魔法のようだった。
「……では、最後に諸君の健闘を祈り、これをもって式を終えるとしよう!」
急に締めくくられた演説に、体育座りで眠りかけていた新入生たちが驚いた顔をする。
そして数秒の沈黙の後――
「終わった……!」
誰かが安堵混じりにつぶやいたのを皮切りに、校庭のあちこちから「やっとかよ……」という声が漏れた。
アキラもようやく緊張の糸が切れたのか、ぐったりと背もたれに寄りかかる。
「ねぇ、来年もこれあるのかな?」
「……たぶんな」
儂は疲れ切った声で返した。
こうして、長すぎる校長の挨拶は幕を下ろしたのだった。
「では校長先生の長い上、中身のない話は以上で終わります」
副校長の初老の女性が、容赦なく厳しい口調でそう言い放った。
壇上に微妙な空気が流れる。
儂は思わず目をぱちくりさせた。
──これ、毎年恒例なんだな。
そう確信しつつ、ちらりと校長先生を見る。
しょんぼりと肩を落としている姿に、少しだけ同情の念が湧いた。
校長……儂も長いとは思ったが、ちょっと気の毒だよ。
そんなことを思っていると、副校長は早く次に進めとばかりに手元のメモを確認し、冷静に告げる。
「では、生徒会長の水木ジーク君による歓迎のご挨拶に移ります」
その瞬間、ざわっと周囲が小さくざわめいた。
「ジークだって」
「あのジーク先輩が……」
そんなひそひそ声が聞こえてくる。
儂は「誰だ?」と首をかしげるが、隣のアキラが小声で説明してくれた。
「レイ、知らないの? ジーク先輩ってめっちゃ有名だよ。成績も運動も完璧で、生徒会長になった時も満場一致だったって」
「へぇ……すごい奴がいるもんだな」
そんな会話を交わしていると、壇上に一人の男子生徒が歩み出た。
スラリとした長身に、整った顔立ち。
まるで絵に描いたような優等生――いや、英雄然とした雰囲気すらある。
彼がマイクの前に立つと、校庭のざわめきが自然と静まった。
誰もが彼に注目している。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」
低く落ち着いた声が響き渡る。
その一言だけで、校庭に集まった新入生たちからため息混じりの「かっこいい……」という声が漏れた。
儂は――というと、そんな周囲の空気に少しだけ反発心が湧いていた。
「完璧すぎる男」ってのは、どうにも眩しすぎて苦手だ。
スラリとした長身に、端正すぎる顔立ち。
姿勢も仕草も隙がなく、声まで良いとなれば、そりゃ人気も出るだろう。
だが、そういう完璧超人みたいなやつを見ると、どうにもこそばゆい気持ちになる。
ちらりと隣を見ると、アキラはというと、案の定――
「……ふぅん」
興味津々といった様子で、じっと壇上のジーク先輩を見つめていた。
目がキラキラしてる。
こういうタイプ、案外好きなのかもしれないな……なんて、余計なことを考えていると、不意にアキラが小声で呟いた。
「あのジーク会長。絶対に女を泣かせてるわね。私にわかるわ」
耳元でヒソヒソと、それでいて妙に確信めいた口調。
そして、儂にだけ聞こえるように言いながら、唇の端をにやりと持ち上げ、実に悪い顔をしている。
その表情に思わず笑いそうになるが、何とか耐えて聞き返す。
「……どういうこと?」
「見ればわかるのよ、そういうの」
ドヤ顔で胸を張るアキラ。
こいつ、こういう時だけ妙に自信満々なんだよな。
壇上ではジーク先輩が淡々と挨拶を続けている。
だが、儂の頭の中は、いつの間にかアキラの言葉の真意を探る方向に切り替わっていた。
──完璧すぎる男ほど、裏があるってことか?
そんな考えが頭をよぎる中、儂はまた長くなりそうな挨拶に備えて、そっと背筋を伸ばしたのだった。
「この世界は今、外宇宙からの侵略者危機に瀕しています。それを守るのは、私たちの先輩方であり、未来の私達です。これからの未来の為、人類の為、切磋琢磨していきましょう。以上をもちまして、歓迎の挨拶とさせていただきます」
水木ジーク会長が、そう締めくくると同時に、校庭に拍手が湧き上がった。
けれど、その拍手にはどこか義務感が混ざっているようにも感じる。
儂も手を叩きながら、頭の片隅ではさっきのアキラの言葉がこびりついて離れない。
「女を泣かせてる」とまで言い切る根拠は何だったんだろうか。
「……どう見ても、爽やかで真面目そうな先輩だったけどな」
思わず小さくつぶやくと、隣でアキラが肩をすくめる。
「そういうのが一番タチ悪いんだから。レイ、男は顔だけで判断しちゃ駄目よ?」
なんて偉そうに言うけど、さっきまでは『かっこいい』って目を輝かせてたくせに、と内心で突っ込む。
「……はいはい」
適当に流しながら、壇上を見上げる。
ジーク会長は既に一礼し、凛とした姿勢で壇を降りていた。
その後ろ姿までやたらと絵になるのがまた憎らしい。
──まあ、何にせよ、式は終わった。
儂は小さく息を吐いた。
長かった、いや、無駄に長すぎた。
「さ、これで解放ね!」
アキラが椅子から立ち上がり、伸びをする。
黒髪がさらりと揺れて、なんだか妙に楽しそうだ。
どうやらジーク会長の話も、校長先生ほどの苦痛ではなかったらしい。
「とりあえず教室か?」
「うん。でも、まずはトイレ行きたいかも」
女子らしい発言に、儂は「そりゃそうだ」と苦笑した。
入学式の緊張感から解き放たれ、ようやく日常が始まる気がしてきた。
──これから先、どんな日々が待っているのか。
そんなことをぼんやり考えながら、儂はアキラと一緒に人の波へと溶け込んでいった。