61 嘘発見薬再び
セルマ嬢がギルロス殿下の婚約者として内定してすぐ、待ちに待った一報がもたらされた。
ノルマン男爵の身柄が、いよいよ騎士団に拘束されたのである。
その罪状は、違法な魔法薬の生成及び販売への加担。
我がリネイセル王国は、魔法薬が身分を問わず国の隅々にまで普及・定着し、また魔法薬の開発と流通によって発展してきた国である。人間の心身に直接的な影響を及ぼし得るものだからこそ、「薬」と名のつくものには自ら厳しいルールや制約、規制といったものを設け、安心と信頼を積み上げてきた歴史がある。
そうした法の目をかいくぐる違法な魔法薬は、だからこの国ではご法度中のご法度なのである。
最も手を出してはいけない犯罪に手を出したノルマン男爵だったけど、拘束された直後はなぜか余裕の表情を浮かべ、騎士団の取り調べにも知らぬ存ぜぬを通していたらしい。充分な証拠が揃っていたというのに、である。
不可解なその態度に、取り調べをしていた騎士団員たちも首をひねっていたという。でもその理由は、すぐに判明する。
「どうやら、私が味方になってくれると思っていたらしくてね」
お父様が、珍しく可笑しそうにふん、と鼻で笑う。
「アルヴァーとマリーナとの婚約を理由に、宰相である私がノルマン男爵家を擁護してくれると思っていたらしい。まったく、救いようのない馬鹿だよ」
……お父様ってば、容赦がない。
ノルマン男爵夫妻の身柄拘束を受けて、私とディーンは事の顛末について話を聞くべく、フォルシウス侯爵邸を訪れていた。
応接室にはお母様やアルヴァーはもちろん、マリーナも同席している。
「まあ、向こうが勝手に私を頼みの綱と勘違いしてくれたおかげで、『噓発見薬』の使用について了承させることができたわけだが」
お父様がどこか誇らしげな目をするから、妙にこそばゆい。
実は、ここに来て『嘘発見薬』の効果と有用性が好評を博し、需要が高まっている。
セーデン伯爵と某有力貴族の政治的な癒着を暴いたことで、『嘘発見薬』の存在は広く世の中に知られることとなった。そして、主に犯罪捜査や不正の追及に際して『嘘発見薬』の使用が求められるようになり、私とディーンは手元に残っていた『噓発見薬』を騎士団に提供したのである。
厄介な問題に頭を悩ませていた少年少女のために開発した魔法薬が、まさか犯罪捜査に活用されることになるとは。夢にも思わなかったけど。
「『噓発見薬』のおかげで、ノルマン男爵もしゃっくりが止まらなくなってね。嘘に嘘を重ねようとするからどんどんしゃっくりが止まらなくなって、ひどい有り様だったよ」
「この期に及んで、しょうもない人ですね」
「まったくだ。しかし最終的には、罪を認めるに至ったらしい。おまけに自棄を起こしてゴート商会の内部事情まで余すことなく暴露したそうだ」
「ゴート商会って、ノルマン男爵と一緒に拘束された商会のことか?」
ディーンが尋ねると、お父様はすかさず「そうだ」と首肯する。そして、アルヴァーの隣に座るマリーナに目を向ける。
「マリーナ、君はゴート商会の存在についてはもちろん知っているだろう?」
「は、はい。平民の間ではわりと有名な商会です。ゴート商会にないものはないと言われているほどさまざまな商品を取り扱っていますが、メインの商品はなんといっても魔法薬です。どこかの貴族から優先的に仕入れているとかで……あ!」
「そうだ。その『どこかの貴族』というのが、ノルマン男爵だったのだ。まあ、ノルマン男爵が直接的に魔法薬を生成していたわけではないが、何かと融通を利かせることはできる。特に、魔法薬素材の調達に関してはな」
「もしかして、ノルマン男爵が魔法薬の素材を独自に入手してゴート商会に引き渡し、ゴート商会がそれを使って違法に魔法薬を生成していたのか?」
「そういうことだ」
不意に、以前マリーナが魔法薬素材について話していたことを思い出す。
平民にとって魔法薬そのものはとても身近な存在でも、魔法薬の材料になる素材に関しては馴染みのないものが多いという。だから平民が自らの手で魔法薬を生成するというのは、ほぼ不可能に近い。材料になる魔法薬素材の知識に乏しく、入手も困難なのだから当然のことだろう。
ゴート商会は、そうした状況を巧みに利用した。無許可あるいは無認可の魔法薬を違法に生成して平民に販売し、利益を得ていたのだ。捕縛されて当然である。
「ゴート商会が違法に生成した魔法薬の中には効果が不十分だったり、病気や怪我を治すどころかむしろ人体に害を及ぼしたりするようなものもあったらしい。数年前、平民の間でとある流行り病が蔓延した際にもゴート商会は治療薬を販売していたそうだが、実はその薬が眉唾物だったのではないかという疑惑すら浮上している」
「え……?」
お父様の説明を聞いて、マリーナの表情から一瞬ですべての感情が抜け落ちる。
「あ、あの……、それって……」
「君のご両親が感染した流行り病のことだろう」
「……う、うちも、あの、ゴート商会から薬を買って……。も、もしかして、そんな……」
衝撃的な事実に、マリーナはそれ以上意味のある言葉を続けることができない。顔色を失い、視線は救いを求めて虚空を彷徨う。
そして言葉にならない思いは、やがてとめどない涙と嗚咽の声になって溢れ出る。
今マリーナの中に渦巻いているのは、後悔なのか自責の念なのか。その怒りや悔しさは、きっとゴート商会にではなく自分自身に向けられているのだろう。もちろん、正確な真実など今となっては知りようがない。でも両親が病に倒れたとき、ゴート商会の薬を使わなかったら。あの薬に頼らなければ。もしかしたら二人の命を救えたかもしれないという可能性は、マリーナを無慈悲なまでに責め立てる。
しかもよりによって、両親の命を奪ったかもしれない犯罪に加担していたノルマン男爵の提案をも受けてしまったのだ。いくら路頭に迷っていたとしても、手を取っていい相手ではなかった。
残酷な事実に打ちのめされ、マリーナは悲痛な声を上げて泣き続ける。その慟哭に、私たちは沈黙するよりほかなかった。
……ただ一人、泣きじゃくるマリーナを抱き寄せて慰めるアルヴァーを除いては。
◇◆◇◆◇
「なんなんですかね、あいつは」
帰りの馬車の中。
どうにも納得いかない感情を持て余し、つい悪態をついてしまう。
「あいつ?」
「アルヴァーですよ。なんですか、あれ。ちゃっかり抱き寄せちゃったりして」
「そこ、怒るとこか?」
「だって、マリーナのこと散々毛嫌いして突き放して、無視しまくってたくせに。いざってときにはおいしいところを持っていくなんて」
「なんだそれ」
ディーンは口元をほころばせる。言いたいことは、充分察してくれているらしい。
「まあ、今回のことであいつも態度を改めるんじゃないか? どっちにしろ、タイムリミットはノルマン男爵の身柄が拘束されるまでだったんだ。これでマリーナはノルマン男爵からも偽装婚約からも解放されて、晴れて自由の身になる。自分のもとに引き留めておけるかどうかは、アルヴァー次第だろ」
「ほんと、素直じゃないっていうかなんていうか。我が弟ながら情けないっていうか不甲斐ないっていうか」
ぶつくさ言い募る私に、「ほんと困った弟だな」とディーンが笑う。
偽装婚約に不満しかなかったアルヴァーは、それでも学園の中ではしっかりと真面目に婚約者を演じていた。マリーナに優しく接しながら連れ立って歩く姿をよく見かけたし、ちょくちょく研究室に顔を出すマリーナをしょっちゅう迎えに来ていたし、ちょっとでもマリーナが見当たらないと慌てた様子で研究室に探しに来ることもたびたびあった。
つまりは、そういうことである。
とっくに、メロメロだったのである。
ただ、自分の気持ちには自覚がなかったのだろう。
だから家に帰ると素っ気ない態度になって、マリーナには見向きもしなかったのだ。マリーナはマリーナで「仕方ないですよ」なんて笑っていたし、アルヴァーの気持ちになど微塵も気づいていない。「嫌で嫌で仕方がないのに、律儀に任務を遂行しようとする義理堅い人」くらいにしか思っていない。はあ。
それにしても。
「肝心なときにマリーナを慰めるのは、私の役目だったのになあ」
ぽそりとつぶやいたらいきなり腕が伸びてきて、信じられないほどがっちり拘束されてしまう。
「ルー?」
「え?」
「お前には、俺がいるだろ?」
至近距離でにこやかに微笑んでいるけど、目が笑ってない。え、ちょ、ちょっと怖い。
「よそ見ばっかりするルーには、ちゃんとわからせないとダメかな?」
不穏すぎるそのセリフに、今夜も存分に翻弄されるのだろうと覚悟するのだった。ああ……!
次回、最終話です。