58 猩狒の骨
実はここ何日も、私は古今東西の『嘘を見破る系の昔話』について探し回っていた。
アルフリーダの本にも幾つかそういうおとぎ話が載っていたけど、世界には嘘を見抜く、見破る系の話が複数存在する。いろいろ読んでみると、だいたい二つのパターンに分類されることがわかった。
一つは、嘘を見破るために何らかの道具を使うパターンである。魔女にもらった不思議なランタンとか、善悪や真偽を映し出す魔法の鏡とか、そういう特別な道具の超常の力で真実を浮かび上がらせるものが多い。
もう一つのパターンは、そもそも嘘を見抜く力を持つ者の話である。魔眼で真偽を見極める女神スールもそうだし、東方の小国シェイロンに伝わる神獣『猩狒』は人の心を読んで嘘を見抜くらしい。
そう。
この、『猩狒』である。
『猩狒』はシェイロンの昔話に登場する、伝説の神獣である。だから実在したのかどうか、定かではない。でも実は、同じ名前の哺乳動物が今もシェイロンには普通に生息している。
「というわけで、必要な素材は『猩狒〈ショウヒ〉の骨』です」
「いやいや、唐突すぎるだろ」
ディーンのツッコミなど物ともせず、私は腰に手を当ててしたり顔をする。
「そうですか? 今の説明で充分だと思うんですけど」
「何言ってんだ、ツッコミどころしかねえよ」
容赦ないひと言に、「もう……!」とわざとらしく不貞腐れると途端に相好を崩す夫。ちょろい。
「大体な、伝説の神獣『猩狒』とシェイロンに生息する哺乳動物『ショウヒ』は別物だろ?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えます」
「は?」
「言い伝えとか伝承とか昔話って、嘘か本当かわからない、もっと言えば多分作り話だろうと思われてるものが多いと思うんです。例えば不思議なランタンとか魔法の鏡なんてのは、現実には存在し得ない絵空事の話じゃないですか?」
「そうだな」
「でも特定のものとか人とか場所とかに結びついて語り継がれているうえに、現代にも残っているもの、いまだ存在しているものについては、単なる作り話や偶然の産物だと一蹴できないものも多いと思うんです。『七色サンゴ』もそうだし、『リッセの石』や『ラザルの実』だってそういう類のものだと思いませんか?」
「あ……」
「そう考えると、伝説の神獣『猩狒』と同じ名前の哺乳動物『ショウヒ』もまったくの無関係とは言い切れないのではと。だって、ただの哺乳動物にわざわざ神獣と同じ名前をつける必要はないわけですから」
「……イコールではないにしても、何らかの関係性があるんじゃないかということか?」
「はい。もしかしたら、神獣『猩狒』の秘めたる力の片鱗を『ショウヒ』が有している可能性も捨てきれません」
「いやでも、そんな荒唐無稽な話……」
「そもそも、嘘を見抜く薬なんて荒唐無稽なものを作ろうとしてるんです。荒唐無稽には荒唐無稽をぶつけるしかないじゃないですか」
「……なんだそれ」
ぷっと吹き出したディーンはやけに愛おしげな目をして、「お前のそういうとこが可愛くてたまらない」なんて言うからこっちのほうがたまらない。
「でもさ、お前も知ってる通り、『ショウヒの骨』なんて超希少素材だぞ? それに――」
「わかってますよ。『ショウヒの骨』が『官能魅了薬』の材料だってことくらい」
淀みなく答えると、ディーンはちょっと物憂げな表情になる。
『官能魅了薬』とは。
文字通り、相手を官能的に魅了する魔法薬のことである。惚れ薬とか媚薬とかの一種とされているけれどその効果は絶大で、有無を言わさず相手を魅了するだけでなく、その思考や感情、行動すらも支配してしまうという禁忌レベルの魔法薬である。
『ショウヒの骨』は、この『官能魅了薬』の材料の一つとされている。それもあって、『ショウヒの骨』の取引や流通自体がかなり厳しく制限されるようになってしまった。結果として『ショウヒの骨』は、超希少素材となっているのである。
「『ショウヒの骨』を手に入れるのは、だいぶ難易度が高いぞ。研究所にもストックはないだろうし、どういう薬を作るためにどれくらい必要なのか、詳細な申請書の提出が必要になる。申請書を出しても承認されないことだってあるんだし」
「……そこは、ディーンの力でなんとかなりませんか?」
「は?」
「私のためならなんだってしてあげたいって言ってたじゃないですか。愛する私のためなら、ひと肌脱いでくれてもいいと思うんです」
「お前な……」
はあ、と盛大にため息をつきながらも、その目には愛おしさが溢れている。その絶対的な愛情は、もはや疑う余地もない。
「しょうがないなあ……」
期待通りの返事に思わずニンマリすると、「その代わり」なんて鋭い声が飛んでくる。
「それ相応の対価は払ってもらうが」
「は? 対価? お金ですか?」
「夫が妻に金をせびってどうすんだよ?」
「……ん? あれ? こういうやり取り、だいぶ前にもありましたよね?」
「……あったな」
ニヤリと笑いながら徐に腕を伸ばし、ディーンは私の髪をひと房手に取った。そして優しく口づけたかと思うと、その唇をゆっくりと私の耳に近づける。
「夫が妻に求めるものなんて、一つしかないだろ?」
ぞくりと甘いささやきに、今夜も翻弄されてしまうのだった。ああ。
◇◆◇◆◇
一週間後。
ディーンが突然差し出した箱の中に、少し黄色味を帯びた白い粉末が収められているのを見て息もつけないほど驚いてしまう。
「え、もしかして、これ……?」
「夫人の期待に応えるべく、全力を尽くしました」
「ど、どうやって……?」
「『ショウヒの骨』の原産地はどこだ?」
「……シェイロンでしょ?」
「シェイロンにゆかりの人物といえば?」
「は? ……え、フィリス殿下?」
「ご名答」
得意満面のディーンが言うには、あれからフィリス殿下と手紙のやり取りを始めていたらしい。
そこで『ショウヒの骨』の入手について相談したところ、フィリス殿下自らシェイロン王家に掛け合ってくれたという。交渉の末、『ショウヒの骨』が直接ディーンのもとに最速で送り届けられることになったとのこと。
「テイト殿下も協力してくれたらしいけどな」
「いや、でも、フィリス殿下の伸びしろ半端なくないですか? ついこの間まで人見知りで誰ともまともに会話できなかった子ですよ?」
「ほんと、子どもの成長ってすごいよな」
たどたどしい口調でディーンと話していたフィリス殿下を思い出すと、なんだか信じられない思いがする。感慨深いというか。あの水晶宮でたくさんの優しい大人に見守られて、すくすくとたくましく成長しているのだろう。
いつか、また会えたらいいなと思う。
「さて、これで材料が揃ったわけだが」
調合室のテーブルの上には、集められた四種類の材料がきれいに並んでいる。
「さくっと調合してみるか」
「はい!」
二人で調合に必要な道具を準備して、早速『ホーリーネスタの葉』と『夏虫草の根』をすりつぶす。それを火にかけてじっくり熱しながら、粉末状の『スールの眼』と『ショウヒの骨』とを少しずつ加えていく。
水分なんて一滴も加えてないのに、どういうわけかどんどん液状になっていく様にじっと見入ってしまう。
そうして出来上がった『嘘発見薬』は、乳白色のとろりとなめらかな液体になった。
「……これは『化けた』な」
調合が成功したことでぐぐっとテンションが上がったのか、ディーンがいきなり鍋の中の液体をひと匙掬ってぺろりと舐める。
「え、ちょっと……!」
「大丈夫、慌てるな」
「でも……」
「…………俺は、ルーシェルが嫌いです」
「は?」
その瞬間、ディーンが「ひっく」としゃっくりをする。
「……え?」
「……ひっく、ルーシェルが、ひっく、ほんと、ひっく」
「は?」
「ひっく」
しゃっくりが止まらな過ぎて、ディーンが何を言おうとしてるのかさっぱりわからない。
「うまく、ひっく、いったみた、ひっく、だな」
「は?」
結局、ディーンのしゃっくりはそのあと十数分間止まらなかった。
…………これは、すごいのができちゃったかも……!




