57 嘘発見薬
「嘘を見抜く薬の材料に、『夏虫草』?」
「はい!」
フォルシウス侯爵邸からの帰りの馬車の中で、ひらめいた名案を早速披露すると。
「なんで『夏虫草』なんだよ?」
予想通り腑に落ちないといった顔をするディーンに、すぐさま前傾姿勢で説明をし始める。
「『夏虫草』の別名、知ってますよね?」
「『しゃっくり草』だろ?」
「それです。『夏虫草』は用量を間違うとしゃっくりが止まらなくなるから、材料として使う場合には注意が必要です。それを逆手に取るんですよ」
「逆手に?」
「わざと大量に使うんです。いえ、この際だからその作用の強い根っこのほうを使ってもいいかもしれません。嘘をついたら、しゃっくりが止まらない状態にするために」
「あ……!」
口を半開きにしたまま驚いて、それからディーンは「その手があったか……!」なんて感嘆の声を上げる。
「一体どこで思いついたんだよ?」
「さっきのマリーナ嬢を見ていたら、ひらめいたんです。もうずっと泣きじゃくって、なだめるのに大変だったじゃないですか?」
「まあな」
ノルマン男爵に愛人になれと迫られなんとか逃げ出して、最終的にはフォルシウス侯爵邸で保護されると決まった瞬間、張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまったのだろう。
それまで我慢していたものが一気に溢れ出したのか、マリーナ嬢はひたすら泣きじゃくった。肩を震わせ、ひっくひっくとしゃくり上げ、まるで子どものように泣き続けるマリーナ嬢を慰めていたら、突然思いついてしまったのだ。
しゃっくりなら、誰でもそうとわかる。
これ以上ない、目に見える変化である。
つまり『夏虫草』なら、客観的で誰にでもわかりやすい変化をもたらすことができるのでは、と。
「嘘をついたらしゃっくりが止まらなくなるなんて、まさに打ってつけだな」
「ですよね。これは俄然、完成させたくなってきました」
「でも『スールの眼』と『ホーリーネスタの葉』と『夏虫草』だけじゃ、まだ『化け』ないと思うぞ」
「はい。もうひと声ほしいというのは、重々承知しているのですが」
言いながら、私はちょっと真面目な顔をしてディーンに目を向ける。
「その前に、さっきのあれはどういうことなんですか?」
「さっきのあれ? なんのことだ?」
「お父様との会話です。当面凌げればそれでいいとか、ユリウス様と騎士団がどうのとか」
「あー、あれな」
ピンと来たらしいディーンは、だいぶ自慢げにふふんとほくそ笑む。
「お前がずっと、マリーナ嬢をなんとかしてやりたいって言ってたからさ」
「はい」
「ちょっとユリウスに鎌をかけてみたんだよ。もともとノルマン男爵ってのは、あんまりいい噂を聞かないどころか黒い噂の絶えないやつでさ」
「黒い噂?」
「若い頃からタチの悪さでは有名だったらしいし、町の破落戸ともつながってるなんて話もあったからな。生活に困っていたマリーナ嬢を引き取って利用しようとしたくらいだし、何かしら犯罪まがいの悪事にかかわっていてもおかしくないと思ったんだ」
「え、じゃあ、もしかして」
「ノルマン男爵夫妻は分不相応に贅沢好きで金遣いが荒いうえに強欲なせいで、負債も多く資金難に喘いでいた。そこで一発逆転を狙うべく、ある違法行為に手を染めていたらしい」
「ある違法行為? なんですかそれは」
「そこまではユリウスも教えてくれなかった」
「えー」
「でも騎士団はとっくに男爵に目をつけて、ずっと水面下での捜査を続けていたらしいよ。だいぶ証拠も揃ってきたみたいだし、近いうち一気に、ってことになるんじゃないか?」
そこでディーンはひと息ついて、柔らかく微笑む。
「ノルマン男爵の身柄が騎士団に拘束されれば、マリーナ嬢も晴れて自由の身になる。平民に戻ることにはなるだろうが、学園には特待生制度があるからな。成績優秀なマリーナ嬢ならなんの問題もなく学園に残ることができるだろうし、卒業までの時間の中で今後の身の振り方を一緒に決めていければいいと思ってたんだ。まあ、思惑通りには進まなかったし、偽装婚約なんて苦肉の策ではあるけどな」
「そんな先のことまで考えていたのですか?」
「もちろん。全部、ルーのためだからな」
ねだるような媚びを含んだ目が、唐突に私の顔を下から覗き込む。
「言っただろ? お前のためなら何でもしてやりたいと思ってるって」
「……は、はい」
「お前が悲しむ顔は見たくないし、つらい思いもさせたくないし、でもお前が喜ぶことなら何でもしてやりたい。俺の行動基準は全部お前だよ」
「ちょっと過保護すぎませんか?」
「愛が重いと言えよ」
ふっと笑ったディーンのとろけるような甘い視線にさらされて、どうにも身の置き場がない。
これはもう、きっと今夜も気の済むまで存分に構い倒されることになるのだろう。
私は薄笑いを浮かべながら、覚悟せずにはいられなかった。ああ。
◇◆◇◆◇
翌週。
「『嘘発見薬』と命名することにしました」
「ずいぶん気が早いな」
「なんですかそれ」
いつものメンバー、つまりイツメンが研究室に揃ったところで大仰に発表すると、ディーン以外の三人はぽかんとした顔をしている。
「あなたたち、言ってたじゃない? 相手の本心さえわかればいいとか化けの皮が剥がれてくれないかなとか。だからそのための魔法薬を開発しようと思ってるんです」
「え!?」
「そうなのですか?」
セルマ嬢とギルロス殿下は、思わずといった様子で顔を見合わせている。
マリーナはそんな二人を楽しそうに眺めて、「そのまんまのネーミングですね」なんて軽いツッコミを入れてくる。
あのあとすぐに、マリーナとアルヴァーの婚約が内々に決まったとセンセーショナルに発表された。
そんな素振りなどまったくなかった二人の婚約発表(仮)に、学園全体が大きくどよめいた。私は知らなかったのだけど、アルヴァーは密かにうら若き令嬢たちの人気を集めていたらしく、ショックのあまり卒倒した令嬢が何人もいたらしい(ほんとか?)。
ちなみにアルヴァーがここまで婚約者を決めずにいたのは、卒業したら他国へ留学することが決まっていたからである。いずれはお父様の跡を継いで宰相の責を担うと目されていたため、一旦他国へ留学して研鑽を積みたいと自ら希望していたのだ。
そんなアルヴァーが、あのマリーナ・ノルマン男爵令嬢と婚約することになった。マリーナ嬢は、自身の姉の婚約者を奪った相手のはずなのに。これはもしや、何か裏があるのでは、と勘ぐる人たちの疑念を退けるため、二人は必要以上に仲睦まじい姿をアピールしている。その演技力に大半の人たちがころりと騙されている様を見るのは、なんというか若干複雑な気持ちではあるけど。
ついでに言うと、家族ぐるみの仲の良さを演出するため私たちも(未来の)義理の姉妹として「マリーナ」「お姉様」と呼び合うようになっている。まあ学園では、やっぱり「先生」と呼ばれることが多いけれども。
そして私たちが用意したシナリオに、ノルマン男爵も異議を唱えることはできなかった。
はじめは娘を返せとかなんとか虚勢を張って騒いでいたらしいけど、現宰相フォルシウス侯爵がそんな脅しに屈するはずはない。
最終的に、フォルシウス侯爵家からの資金援助を匂わせるとあっさり陥落したらしいノルマン男爵。本当に卑しいとしか言いようがない。
とはいえ、アルヴァーはいまだにこの偽装婚約に文句たらたらである。学園ではマリーナを溺愛する婚約者を卒なく演じているけれど、家に帰ると一切話もしないらしい。なんだかなあ。
「開発に成功するかどうかだってまだわからないのに、名前なんか決めちゃっていいのか?」
新たに開発した魔法薬の命名は、本来調合が成功したあとになされるものである(『ディフェンスフレグランス』のときもそうだった)。だからディーンのひと言はもっともなのだけど、少年少女はそれを聞いてはっきりと意気消沈している。
「ご心配なく。私には秘策があるんです」
自信満々に答えると、今度は面白いくらいにぱっと顔を輝かせる少年少女たち。
果たして、その秘策とは――――?




