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55 スールの眼

「ひらめいた? マジか?」



 ベッドに駆け寄るディーンに、アルフリーダの本を掲げて見せる。



「魔女に魔法をかけられて、嘘をついたら身長が縮むようになった少年の話を読んで思いついたんです。嘘をついたら何かしら目に見える変化が現れるような魔法薬が作れたらいいんじゃないかって」

「……なるほどな。それならなんとかなりそうだな」

「でも、どんな変化ならいいんでしょう? 身長が縮む、でもいいんですけど、もっとはっきりそれとわかる変化のほうがいいような」

「うーん、鼻がどんどん高くなるとか? 顎がしゃくれるとか? あ、鼻毛が伸びるとか」

「もうちょっと上品な変化はないんですか?」

「歯が出てくるとかは?」

「……」



 発想が思いのほか貧困すぎる……。



「いや、でもさ、明らかな身体的変化とか目に見える変化が現れるようにするには、そういう効果を持つ素材を使う必要があるんじゃないか?」

「あ、ですよね……」



 ディーンの指摘は、もっともである。



「鼻が高くなるとか顎がしゃくれるような効果のある素材なんて、ないですもんね」

「鼻毛が伸びる効果もな」

「そんな素材、なくてもいいです」

「まあ、そっちのほうは追々考えるとして、そのほかの材料についてはどうだ? 候補はあるのか?」

「それはですね、さっきラウリエ家の書庫でご先祖様の調合レシピを見せてもらったじゃないですか? その中にあった『スールの眼』と『ホーリーネスタの葉』がまずは妥当なのではと」

「なるほどな」



 実は、『スールの眼』と名付けられた鉱石系素材が存在する。



 基本的には乳白色でありながら光の具合によっては幻想的な色彩を纏う『スールの眼』は、眼科系疾患の治療薬の材料になったり一部の解毒薬の材料にもなったり、はたまた眠気や頭痛を抑制して頭をスッキリさせる魔法薬の材料になったりと、多種多様な用途のある人気素材である。



 おとぎ話に出てくる『スールの魔眼』は、物事の真偽や善悪を見極める力があるとされている。だとしたら、嘘を見抜くとか白黒はっきりさせるとか、そういう隠れた効果があってもおかしくはない。



 そして、言わずと知れた『ホーリーネスタの葉』。



 『嘘』や『偽り』を邪なもの、と捉えれば、それを打ち砕く効果のある『ホーリーネスタの葉』はやっぱり必須アイテムと言えるだろう。単に私が『ホーリーネスタの葉』が好きなだけという話もあるけど。『ホーリーネスタの葉』の効果に対しては、絶対的な信頼感があるのだからしょうがない。



「でも、その二つだけだとまだ足りない気はします」

「そうだな。もうひと声、ほしいところだが」



 嘘を見破り、物事の真偽を見極めるために必要な素材とは、一体何なのか。



 その答えを探し出す前に、予期せぬ事態が勃発するのである。






◇◆◇◆◇



 



 その日、ディーンの授業が終わって帰る支度をしているときだった。



 ドアをノックする音がして、返事をするや否や私を呼ぶ悲痛な声が耳に入る。



 振り返ると、立っていたのはマリーナ嬢だった。しかもその表情は、凍りついた仮面のよう。



「ど、どうしたの?」



 慌てて近寄ると、マリーナ嬢が学園の通学鞄ではない大きな鞄を抱えていることに気づく。



「え、なんなの? それ」

「……男爵に、バレたんです……」

「は? 何が?」

「私が男漁りを諦めて、真面目に学園生活を送ってるってバレてしまって……」

「え?」

「高位貴族の令息と縁付くつもりがないのなら、さっさと学園を退学して愛人になれって迫られて……。だったら退学手続きは自分でやらせてほしいと言いくるめて、こっそり荷物をまとめて出てきたんです。このままどこか遠くの町にある修道院に逃げ込もうと思って……」

「ちょ、ちょっと――」

「でも先生にだけは、どうしても最後にご挨拶したくて」



 今にも泣き出しそうな顔をしながら、それでも精一杯の笑顔を作ろうとするマリーナ嬢。



「ちょ、ちょっと、待って。ダメよ、そんなの」

「でも、戻ったら男爵の愛人にさせられます。男爵は本気で私を愛人として囲うつもりみたいで、そのための一軒家もこれから用意するとか言ってて……」

「は? 何それ。キモすぎるんだけど」

「どうした?」



 奥の調合室を片づけていたディーンが、ただならぬ気配を感じたらしく部屋に入ってくる。



「あ? マリーナ・ノルマンか? なんだそのデカい鞄は」



 怪訝な顔をするディーンに、マリーナ嬢は淡々とさっきと同じ説明をする。話を聞いた途端、ディーンは眉間に何本もの皺を寄せた。



「男爵のやつ、とんでもないスケベ野郎だな」



 まったくの同感である。マリーナ嬢も、目に涙を浮かべながらうんうんと頷いている。



「で、お前はこのまま修道院に行くつもりなのか? 当てはあるのか?」

「……ありません。でも王都の修道院に逃げ込んだとしても、どうせすぐに見つかってしまいます。だったら、縁もゆかりもない遠い町の修道院を目指そうかと」

「そんなところにどうやって行くんだよ? 馬車を乗り継いで行くにしても、先立つものはあるのか?」

「す、少しなら……」



 そう言って、マリーナ嬢は鞄の中から小さな巾着袋を取り出した。中に入っていたのは、十数枚の銅貨のみ。



 路頭に迷って困窮し、男爵の手にすがるしかなかった人なのだ。全財産など、たかが知れている。



「マリーナ・ノルマン、お前はもうちょっと冷静になれ。これじゃあ、王都を出ることもできねえよ」



 巾着袋の中身を確認したディーンは、あからさまにため息をつく。



「そんな……」

「な、なんとかならないんですか?」



 こらえきれず、思った以上に大きな声が出てしまう。



「こんなの、あんまりです。マリーナ嬢だって、好きで男爵を頼ったわけじゃないのに」

「ルーシェル先生……」

「どこにも行くところがないのなら、いっそのことうちに連れていきましょうよ。キルカ公爵家で預かっているということにしたらいいじゃないですか」

「どういう理由で預かったことにするんだよ? 何を言ったって向こうは知らぬ存ぜぬを貫くだろうし、書類上は男爵が親なんだ。親に『返せ』と言われたら、返すしかないんだぞ」

「そんな……!」



 ディーンの言うことは、多分正しい。



 でも現実を知る大人の言い分は、ときに辛辣で容赦がない。救いがない。



 気持ちばかりが先走って効果的な反論ができない私を見ながら、ディーンがふっと小さく笑う。



「なんですか……?」



 つい、尖った声が口をついて出る。



「マリーナ・ノルマンを助けたいのか?」

「当たり前です」

「……お前さ、大事なことを忘れてないか?」

「何がですか?」

「俺がお前のためならなんでもしてあげたいって思ってること。忘れてるだろ?」

「……え?」



 頬に挑むような笑みさえ浮かべているのに、ディーンの瞳の色はどこまでも甘い。



 そして思わせぶりに、私とマリーナ嬢とを交互に見比べる。



「心配するな。俺に、考えがある」



 落ち着き払ったその声に促されるようにして馬車に乗り込み、私たちがディーンに連れてこられたのは――――。



 なんと私の実家、フォルシウス侯爵邸だった。












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