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52 未来を見通す薬②

「未来を見通す薬か……」



 その日の夜。



 夫婦の寝室でまったりとくつろぐ私のつぶやきを、ディーンが聞きもらすはずもなく。



「さっきの殿下の話か?」

「そうなんですけど……。ディーンは、どう思います?」



 聞かれて、ディーンは事もなげに答える。



「俺はいらないかな」

「え、わりと即答ですね」

「未来がわかったらいいのに、なんてのは人間誰しも一度は考えることだろ?」

「まあ、はい」

「そういうことを考えるときってのは、大体何かに悩んだり迷ったりしてるときだよな? これでいいのかとかどれを選べばいいのかとか」

「ですね」

「それって結局、間違ったり失敗したくないからだろ? もっと言えば、間違ったり失敗したりして嫌な思いをしたり傷ついたりしたくないからだと思うんだよ。でももし、未来を見通すことができて間違いも失敗もしない人生を歩んだとしたら、どうなると思う?」

「え、どうなるんでしょう? 一見、すごくいい人生のような気もしますけど面白みに欠けるというか、これから何が起こるのか全部事前にわかってしまったら逆にやる気がなくなるというか、だんだん自分の生きてる意味がわからなくなってしまうような」

「だよな。そりゃ、できるだけ失敗は少なくしたいけどさ、それでもそういう間違いや失敗から学ぶことも多いし、傷ついて初めてわかることもあるわけだし。そういうのがまったくない人生を歩んだら、なんだか中身のない薄っぺらい人間になっちゃいそうで」

「さすがは年の功、言うことが違いますね」

「悪かったな、年寄りで」

「褒めてるんですよ。私の旦那様は、人として格好いいなって」



 そう言うと、まんざらでもない様子のディーンは「そりゃどうも」と言いながらこめかみにキスをくれる。



「でもさ、そういうことをあの少年少女に話したところでなあ」

「それこそ、おじさんの説教と思われて終わりですね」

「おじさん言うな」

「いいじゃないですか、おじさん。私は好きですよ?」

「お前はおじさんが好きなのか?」

「違いますよ。ディーンが好きなんです、わかってるでしょ」



 「うん、知ってる」とか言いながら、ディーンが額やら頬やらこめかみやらにキスしまくるから話が一向に進まない。まあいいか。新婚だし。しょうがない。



「セルマ嬢のこともギルロス殿下のことも、なんとかならないものですかね?」

「そうだな。未来を見通すのはともかく、何かしら役に立てる魔法薬でもあればいいんだろうけどな」



 ……何かしら役に立てる魔法薬? それは、なんだろう?



 どんな魔法薬なら、彼らの役に立てるんだろう?



 ふと考え込む私の耳に届く、ぞくりとするほど蠱惑的な声。



「ルー」

「な、なんですか?」

「そろそろほかの人のことを考えるのはやめて、俺のことだけ考えてくれないかな?」

「え」

「俺だけ見て」



 その匂い立つような色気だだ漏れの瞳に捕らえられ、私は今夜も甘く愛されてしまいました。






◇◆◇◆◇






 それから、セルマ嬢とギルロス殿下はたびたび私たちの研究室を訪れるようになった。



 でもそうなると、彼女とかち合うことになる。



「マリーナ・ノルマン男爵令嬢……?」



 セルマ嬢もギルロス殿下も、マリーナ嬢をよく思っていない。というか、むしろ目の敵にしていると言っていい。なんせ彼女は、私からハルラス殿下を奪った憎き令嬢である。



 セルマ嬢が初めてここに来たとき、マリーナ嬢に気づいて一瞬睨むような視線を向けていたことを考えても、彼らはいまだに許していないのだろう。



「どうしてあんな人がここに来るんですか?」



 そんなセルマ嬢の第一声は、これである。



「あの人はルーシェル先生のいわば仇じゃないですか? それなのになんで……」

「なんでだか、懐かれちゃって」

「懐かれちゃって、じゃないですよ。腹立たしくないのですか?」

「今はなんとも思ってないから」

「あの人もあの人です。一体どういう神経してるんですか? 自分のやったことを考えたら、先生に合わせる顔がないとは思わないんでしょうか?」

「そう思ったから、謝りに来たんじゃない?」

「え? 謝りに来たんですか? あの人……」



 意外そうに、眉根を寄せるセルマ嬢。



 ちなみに、セルマ嬢もいつの間にか私のことを「ルーシェル先生」と呼ぶようになっている。さすがに、毎回「キルカ公爵夫人」と呼ぶのは長いと気づいたらしい(社交界ならまだしも、ここ学園だし)。



 私としてはもうマリーナ嬢に対して思うところはないし、むしろ彼女の行く末を案じるくらいにはほだされてしまっている自覚もある。



 かといって、彼女の抱える複雑な事情を勝手な判断で話すわけにもいかず、もういろいろ面倒くさいので全員集めてマリーナ嬢に説明させるという暴挙に出た。



「あなたが自分の事情を他人に説明せずに孤高の狼を気取るのは一向に構わないんだけど、私のまわりでギスギスされると困るから」

「まあ、そうですよね」

「殿下とセルマ嬢に、ちゃんと説明してあげてほしいの。あれが全部演技だったって」

「「は!? 演技!?」」



 二人仲良くのけぞって驚く様を見て、マリーナ嬢は渋々すべてを説明し始める。



 少年少女は思ってもみない裏事情に言葉を失い、混乱し、呆然としていた。両親を立て続けに亡くしてしまうという不運、路頭に迷うあまり母親に横恋慕していた男爵の手を取ってしまった浅はかさ、その男の言いなりになることを選んだ後悔。マリーナ嬢は私に話してくれたときと同じように自分の感情を極力排除し、できるだけ事実のみを淡々と話し続ける。



 それでも、自分のしたことは許されることではないしわかってもらおうとも思っていないこと、一番の被害者であるはずの私が真っ先に手を差し伸べてくれたこと、その恩に報いるため、今年一年は全力で学生生活を送り春になる前に修道院に逃げ込むつもりでいることまで話すと、少年少女は口々に騒ぎ出す。



「そんな、もとはといえばノルマン男爵が悪いわけでしょう? 困っている平民の娘を捕まえて、自分に都合のいいように利用するなんて貴族の風上にも置けません」

「その通りです。好きだった女性の娘を助けるならまだしも、自分たちの借金のために引き取って高位貴族の令息を捕まえさせようだなんて、傲慢にもほどがある」

「そのうえ、それがダメなら自分の愛人にしようだなんて、何を考えてるんでしょう? キモすぎます」



 さっきまで不満だらけの顔をしていた二人は、必死になってマリーナ嬢を擁護している。根はいい子たちだから、黙っていられないらしい。



「そんなふうに言ってもらえるとは思ってませんでした。ありがとうございます」



 マリーナ嬢はそう言って、強張った表情のまま頭を下げる。



 確かに、彼女のしたことは正しいことではなかった。いろんな人に迷惑をかけ、自分自身もそのとばっちりを受けるような「間違い」ではあった。でも彼女は、その「間違い」から何かを学び取ったのだなあと思う。なんだか感慨深い。



 それに、マリーナ嬢の「間違い」のおかげで私は幸せになれたのだから、何が正しくて何が間違っているかなんて本当は誰にも判断できないような気さえする。



 マリーナ嬢の話が一段落すると、今度はセルマ嬢がみんなの顔を窺いながら遠慮がちに話し出す。



「あの、実は、私も聞いてほしいことがあるんです……」



 そう前置きして、婚約者であるカスタル伯爵令息と従妹との関係や、自身の拭えない不信感について告白するセルマ嬢。



「ぼ、僕の話も聞いてもらえるだろうか……?」



 それが終わると今度はギルロス殿下も自身の婚約者選びにまつわる葛藤について話し始め、いつしかみんなで大暴露大会&人生相談の時間になる。



「え? なんだ? 今日はやけに人口密度が高いな」



 授業から戻ってきたディーンが驚いて大声を上げても、みんなのおしゃべりが止むことはなかった。











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