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51 未来を見通す薬①

「このままエドヴァルドを信じていていいのか、それとももう見切りをつけたほうがいいのか、わからないんです……」



 切なげに視線を落とすセルマ嬢が、なんだかとても、痛々しい。



 次の授業があると言って帰っていったセルマ嬢をぼんやりと思い出しながら、かつての自分の面影を垣間見る。



「私も初めてここに来たとき、あんな感じだったですか?」



 ディーンは授業の準備をする手を休めることなく、「どうだったかな」なんて曖昧な返事しかしてくれない。



「私の経験を踏まえて言うなら、『そんな男、さっさと捨てたら?』ってアドバイスしたいところなんですけどね。カスタル伯爵令息の言ってること、キモいくらいにハルラス殿下とまったく同じだし」

「でもそう簡単に片づけられる話でもないだろ。カスタル伯爵令息の真意がわからないし、そもそも政略的な意味合いのある婚約なんだし」

「それこそ、レクセル侯爵に直接相談してみたほうが手っ取り早いような……」



 顎に手を当ててつぶやく私を、ディーンがニヤニヤしながら眺めている。



「な、なんですか?」

「お前がそんなこと言うとはなあ」

「え」

「俺もあのとき、同じようなこと言ったはずだけどなあ」

「……う」



 痛いところを突かれてしまった。



 話を変えよう。



「あの、ディーンは授業に行ってるから、カスタル伯爵令息のことを知ってるんですよね?」

「あ? ああ、まあな」

「どんな令息なんですか?」

「どんなって、わりと普通だよ。実直で温厚、成績は悪くないし、先生方の評判もよかった」

「よかった? なぜ過去形?」

「去年一年間は特に問題はなかったんだけどな。今年の春にその従妹とやらが入学してきた途端、やたらいちゃいちゃしてるのが目につくようになったし、成績も下降の一途だし」

「うわ、完全にアウトじゃん」



 なんだその、ハルラス殿下の劣化版みたいなやつ。想像しただけで腹立たしい。



「ただな、ハルラス殿下ほど節操がないわけじゃないというか、適切な距離はギリギリ保ってるんだよな。従妹の面倒を見てるだけだと主張されれば、反論は難しいと思う」

「微妙なんですか?」

「断罪できそうでできない、ギリギリのラインだよ」

「なにそれ。逆に腹立つんだけど」



 その後、私も学園内を歩く際には注意してその二人を探すようになった。



 気をつけて探してみれば、案外すぐに見つかるものである。だって、男女二人できゃっきゃうふふしてたらやっぱり目立つし。それに、従兄妹同士というにはなんだか距離が近い気がするし。



 しかも物陰に隠れてじっくり観察してみると、スキンシップの類いもちょっと多いような。頭をぽんぽんするとか鼻の頭をつんつんするとか、そんなもんだけど。でもなあ。自分の婚約者があれだったら、やっぱり嫌だよなあ。



 勢いよく出て行って説教でも食らわせてやりたいけど、セルマ嬢の気持ちを思うと勝手に暴走するのも憚られる。



 話ならいつでも聞くから遠慮なくおいで、と伝えることしかできなかった自分の不甲斐なさを嘆く暇もなく、翌日には次の厄介事が持ち込まれるのである。






◇◆◇◆◇

 





 研究室に現れたのは、なんとギルロス殿下だった。



「叔父上、夫人、改めてご結婚おめでとうございます」



 にこやかではあるけれど、どこか憂いを帯びたギルロス殿下の笑顔。



 ……ていうか。



 叔父上って……!



「殿下、さすがに、その呼び方はどうなんでしょう?」



 ディーンが戸惑いぎみに指摘すると、殿下は不服そうな声で答える。



「なぜですか? 僕は、先生が実は叔父上だったと聞いてうれしかったのに」

「そうなのですか?」

「はい。そりゃあ、はじめは驚きましたが……。でも先生が以前から陛下と近しい間柄なのは知ってましたし、たまに王城で会うと気さくに声をかけてくれたじゃないですか?」

「あー、まあ」

「うれしかったんですよ。実の兄には、どういうわけかちょっと疎まれていますから」



 あー、やっぱりそうだったんだ、と思ってしまう。二人って、なんかいつも、微妙な距離感だったし。ハルラス殿下はギルロス殿下の話を避けている節があったし。



「ですから僕のことは、ギルロスと呼んでください。叔父上」

「い、いや、いきなり畏れ多いですよそれは」

「そんなことはありません」



 なんて、呼び方についての押し問答がしばらく続いたあと、結局学園の中では「先生」「ギルロス殿下」と呼び合うことになった(でも殿下は時々所かまわず「叔父上」と呼んでいる。多分確信犯である)。



「で、今日はどうしたんです?」



 話を本題に戻すと、ギルロス殿下が一瞬で浮かない顔つきになる。



「実は、ちょっと困ったことがあって……」



 それは私自身もまったく無関係とは言い切れない、なんとも悩ましい事態だった。



「長期休暇に入ってすぐ、僕の婚約者を決めるべく婚約者候補の令嬢たち一人ひとりとお茶会が開かれたんです。候補者は四人、三人は同い年ですが一人は一つ年上の令嬢です」

「それは、殿下の希望で選ばれた令嬢たちなのですか?」

「いえ、全員が家柄と年齢を考慮して選ばれたようです」

「話してみたけど、あまりピンと来なかったということでしょうか?」

「それは、そうなんですけど……」



 なんだか歯切れの悪い反応である。殿下は何をどう言えばいいのか決めかね、考えあぐねている。



「……どの令嬢も聡明で可愛らしく、素敵な方だと思ったのです。でも、なんだか彼女たちの言っていることが信じられなくて……」

「信じられない?」

「王子との婚約が懸かっているのです。どの令嬢も、選ばれようと必死で表面を取り繕ったり見栄を張ったり仮面を被ったりして、本音を隠しているに決まってます。それに、今はそれが本音でも、いつか心変わりしてしまうんじゃないかと……」

「どうしてそんな……?」

「だって、身近にころりと心変わりしてしまった人がいるんですよ? あんな姿を見せられたら、僕はなんだか人間というものが信じられなくなってしまって」



 はあ、と大きく息を吐く殿下を前にして、私もディーンも何も言えなくなってしまう。



 心変わりしてしまった人、とは。



 ほかでもない。ハルラス殿下のことなのだろう。



 確かに、ハルラス殿下の心変わりは突然で、急激で、まるで嵐のようにすべてを薙ぎ倒していった。私への想いなど初めからなかったかように振る舞い、一方でマリーナ嬢を追い求め熱情を向ける姿はギルロス殿下にどれほどの衝撃を与えたのか。一番身近な存在だからこそ、その影響力は大きかったに違いない。



「……僕は、兄上とルーシェル様が仲睦まじく過ごす様子をずっと見てきました。兄上が立太子するのは当然のことだと思っていたし、二人の治世を疑うことなど一度もなかった。それなのに、兄上はあんなにも簡単に心変わりしてしまった。僕がどんなに諫めても注意しても、聞く耳を持ってくれなかったほど……」

「殿下……」

「人の気持ちなど簡単に変わってしまうと知って、僕は誰かを選ぶのが怖くなってしまったんです。誰かを選んでも、いつか気持ちが変わって裏切られてしまうかもしれない。令嬢たちに欠点らしい欠点が見つからないからこそ、余計に何もかもが信じられなくて……」



 声を落とすギルロス殿下の目に、払うことのできない憂いが沈む。



「僕、『未来を見通す薬』があったらいいなと思うんです」

「未来を見通す……?」

「だってそれがあれば、誰が僕を裏切らず、心変わりもせず、ずっと一緒にいてくれる人かわかるでしょう?」













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