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5 憂い草の朝露①

「許可をもらいました」



 翌日。



 なんとなく釈然としない思いで、研究室に顔を出す。



 お父様が『憂い草の朝露』の採取をすんなり許してくれたことは、本当に予想外だった。胃に穴が開くかと思うくらい緊張したけど、結果としてそれは完全なる杞憂だった。



 そのうえ、渡した手紙を読んでからのお父様は明らかに上機嫌で、なんなら鼻歌まで歌っていたのである。



 一体何が起こったのか。というか、先生は手紙に何を書いたのか?



「そんな特別なことを書いたつもりはないけどな」



 とかなんとか言いながら、したり顔でソファに座るラウリエ先生。



「侯爵のご息女がどれほど魔法薬学の才能に秀でているか、どれほどの資質と感性を有しているのか、その天賦の才はラウリエ家の者に比べても遜色がなく、秘めたる可能性はもはや我が国の宝である、と書いたんだ」

「先生ってそこまで私を評価してくれてたんですか?」

「いや、正直、だいぶ()()()



 ジト目で睨んでも、先生に動じる気配がないのはいつものこと。なんかこういうやり取りも慣れてきた感がある。



「それと、詳しい採取の方法とか段取りについても書いておいた。そのほうが、親としては安心だろうからな」

「採取の方法? どういうことですか?」

「さすがに俺とお前の二人で行くわけにいかないだろ? お前は第一王子の婚約者なんだし」

「それはまあ、一応」

「ラウリエ家では定期的に、家族総出で特別な材料の採取に行くんだ。来月のはじめに憂い草の採取に行くことになってるから、お前もそこに連れて行こうかと」

「じゃあ、ラウリエ伯爵家の恒例行事、一大イベントに私も参加させてもらえるということですか?」

「そういうことだな」



 なんだろう。すごくワクワクする。こんな高揚感は久しぶりすぎる。



「あ、でも、憂い草を採取するだけなら日の出の時間にわざわざ合わせてもらうのは……」

「いや、必要なのは朝摘みの憂い草だから」

「朝摘みの憂い草?」

「憂い草そのものも、朝日を浴びたばかりの朝摘みのものがいいんだよ。そのほうがより効果の大きい魔法薬が作れるんだ」

「へえ……」



 知らなかった知識に触れると、どうしてこんなにも胸が高鳴るのだろう。



 ちなみに、憂い草はほとんどの解毒薬に使われる超ポピュラーな素材である。でも朝摘みの憂い草のほうがいいだなんて、どんな教科書にも載っていない。これぞ、生きた知識。



「詳しいことが決まったらまた連絡するが、多分前日はうちに泊まって日の出前に出発することになると思う。そのつもりでいろよ」

「は、はい!」



 こうして、未知の領域に足を踏み入れる興奮はしばらくの間私を支配することになる。



 そしてそのおかげなのか、ハルラス様とマリーナ様を見かけても以前のようにどうしようもないほど心がざわつく、なんてことはなかった。






◇◆◇◆◇






 その後、先生から連絡が来るまでただじっと待っていたかというと、そうでもない。



「今日からお前をこの部屋の掃除係に任命する」

「は?」



 また突然呼び出されたと思ったら、これである。



「何ですか? いきなり」

「いきなりじゃねえよ。お前、大事なこと忘れてないか?」

「大事なこと? 何でしたっけ?」

「残りの二つの材料のことだよ」

「……あ」



 そうだった。



 『憂い草の朝露』問題に目処が立ったもんだから、すっかり忘れてた。



「この前も言ったが、『ハナミノカサゴの毒棘』と『ガーゴイルの角』は奥の調合室に保管してある。だが、ただでは提供できない」

「はい。……あ、それで掃除係ですか?」

「お、察しがいいな」

「それくらいならお安い御用ですよ。でも逆にいいんですか? 掃除するだけで貴重な材料をいただけるなんて」

「お前、この部屋の掃除なめんなよ?」



 そう言って、先生はぐるりと研究室の中を見回す。



 その視線に合わせて、私も部屋のあちこちに目を向けてみる。



 確かに、初めて来たあの日から、物の溢れた散らかり放題の部屋だなとは思っていた。机の上には何冊もの本が所狭しと積み重ねられているし、本棚の本も乱暴に並べられているし、あと書類関係がやたら多い。



 私が来ると予めわかっている日は少し片づけてくれていたのだろう。そういえば、初日が一番散らかっていたような。



「見てわかると思うが、昔から掃除が苦手でさ」

「でしょうね」

「片づける時間があったら、調合室にこもって研究していたいくらいで」

「なるほど」

「でも必要な本が見つからなかったり、自分で書いたメモがどこに行ったかわからなくなったりして困るんだよな。それと、手紙とか書類の仕分けも面倒すぎて」

「つまり、そういう雑用を一手に引き受けろと?」

「そういうこと」

「それって掃除係というより雑用係ですよね?」

「いや、秘書とか弟子とか助手とかの仕事だと思うぞ」



 あれこれ言ったところで、断ることはできない。だって、貴重な材料のためだもの。



 そういうわけで、私はたびたび先生の研究室に行っては、ちょこちょこと掃除や片づけをするようになった。



 ちょうど王子妃教育が一段落したこともあり、空いた時間は研究室に行って過ごす。部屋にある本は自由に読んでいいと言われたから、気になる本を借りて帰って家でじっくり読むこともできた(目下の愛読書は、本棚の奥で偶然見つけたアルフリーダ・ラウリエ著『魔法薬素材にまつわる文学的視点』という本である)。



 そんなことをしているうちに、ますますハルラス様とマリーナ様の存在が頭の片隅に追いやられていく。



 そうしてとうとう、『憂い草の朝露』採取の日がやってくるのである。






◇◆◇◆◇






 その日、学園から帰宅するとすぐにラウリエ伯爵家から迎えの馬車がやって来た。



「初めてお目にかかります。ロヴィーサ・ラウリエと申します」



 颯爽と馬車から降り立ったのは、なんとラウリエ伯爵その人だった。



 スチールグレーの長い髪に先生と同じラベンダー色の瞳をした、すらりと背の高い威厳と気品に満ちた女性。



 その圧倒的な存在感に、玄関で出迎えた私もお母様もひと目でファンになってしまうほど。



「伯爵自らお越しくださるなんて……」

「侯爵家の大切なご令嬢をお預かりするのです。当主の私が出向かなくては、礼儀を欠きますから」



 さすがとしか言いようのない振る舞いに、私もお母様もため息しか出ない。そのうえ女性にしてはちょっと低めの声色が、セクシーすぎる。これは控えめに言って、推せる。



 そんな伯爵と一緒の馬車なんてと恐縮しながら乗り込んだ途端、



「ディーンは、学園ではどうですか? 教師としてきちんとやれていますか?」



 にこやかながらもちょっと食いぎみで尋ねる伯爵に、少し面食らってしまった。



「あー、そう、ですね……」



 学園でのラウリエ先生を説明するなら。



 基本的に、無気力無頓着無関心で何をするにも面倒くさそうな、野暮で冴えない先生、といったところだろうか。



 いい加減だし適当だし、さすがに実習のときは危険を伴うこともあるからあれこれ注意もするけど、自分の授業のときに寝ている生徒がいてもお構いなしだし面倒くさくなるとすぐに自習にする。



 おまけにいつもヨレヨレのローブを着て、アッシュブロンドの髪の毛も常にもっさりしていてボサボサだし、無精髭まで生えているから清潔感は皆無である。



 とはいえ、生徒受けはなぜか悪くない。やさぐれて気だるそうな雰囲気なのに気さくな人柄が垣間見えることもあって、親しげに近づく生徒も少なくない。一部の生徒から、親愛の情を込めて呼び捨てにされているのを見かけたこともある。



 でもそんな実情を、率直に話してしまっていいのだろうか? いや、ダメでしょう。「基本的にあらゆることがどうでもよさそうです」とは言えない。あとで先生に何を言われるかわからない(というか絶対に怒られる)。



 私は最大限取り繕った笑顔を見せて、堂々と答える。



「ラウリエ先生は、とてもいい先生です。面倒見もよくて、親切ですし」



 ……嘘では、ない。



 廊下でぶつかったあの日から、「記憶をなくす薬がほしい」と言ったあの瞬間から、何かと気にかけて、あれこれ手助けしてくれるし。はっきり言って、いつもの先生とはだいぶかけ離れていたから最初は慣れなかったけど、今では先生に群がる生徒たちの気持ちがわかる気もする。



「それならよかったわ。あの子、何もかもどうでもいいって感じで投げやりだから、教師なんて務まるのかしらと思っていたのだけど。でも秘蔵っ子のあなたにそう言ってもらえるのなら、案外向いているのかもしれないわね」

「秘蔵っ子……?」

「あら、違うの?」



 この場合、どう答えるのが正解だったのか私にわかるわけがない。



 でも肯定も否定もできない私は、中途半端な薄笑いで誤魔化すしかなかった。





 






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