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49 王家の鎌

 言われた言葉が理解できず、数十秒間固まってしまう。



 いや、意味はわかる。当然わかる。



 わからないのはその意図である。何を、急に。ていうか。そもそも。



「な、なに言って……」



 辛うじて絞り出せたのは、そんな言葉だけ。



 それなのにディーンときたら、なんだかやけに吹っ切れたような清々しい顔をしている。



「まあ、そういう反応になるよな?」

「だって、今まで、それだけはあり得ないって……」

「うん、そうだな」

「絶対に、そこだけは頑として譲らないって……」

「そうなんだけどさ」



 ふっと小さく笑ったディーンは私との距離を詰めて、優しく抱き寄せる。



「なんか、もういいかなって思ったんだよな」

「何がですか?」

「先王陛下の子として名乗りを上げるとか、王族の一員になるとか、自分の中では絶対にあり得ないことだったんだけどさ。カルドランの依頼を受けてフィリス殿下に会って、自分のことも改めていろいろ振り返ってみて、思ったんだ。こんな俺でもお前が受け入れてくれるんだから、もう何も怖いものなんてないんじゃないかって」

「それは、そうだけど……」

「俺は王族で、王弟で、そのうえラウリエの家門の人間でもある。その矜持があれば充分だと思ったし、ルーがそばにいてくれればそれでいい。だから事実を公表して、王弟という身分を明かして、そのうえでルーとちゃんと結婚したい。ダメか?」

「そんなの、ダメなわけないじゃないですか」

「それに、フィリス殿下と話してて思ったんだよ」

「何をですか?」

「子どもがほしいなって」

「……え? は?」



 気づいたら、いつの間にかディーンの腕にがっちりとホールドされている。動けない。ちょっと。なんだこれ。



 じたばたしてももう遅い。



 妖艶かつ不敵な笑みを隠す気もないディーンに、まんまと囚われてしまっている。



「え、も、もしかして、今日このまま『Xデー』ですか?」

「は? 『Xデー』って何だ?」

「あの、その、そういうことをするのかなって……」



 今度はディーンのほうが言われた言葉の意味がわからず数秒固まって、それから耳まで赤くなる。



「いや、違う違う。その、今日じゃない」

「今日じゃないんですか?」

「なんでそんな乗り気なんだよ。いきなり大胆になるなよ」

「だって、一緒に住むようになったのに全然何もしてこないし……」

「そりゃ、いろいろと心の準備がさ、必要なんだよ。傷つけたくないって言っただろ?」

「それは気にしなくていいって言いましたよね? 傷つけられても、何をされてもいいって」

「お、前……! そんなこと簡単に言うなって……!」

「どうしてですか? 私はいつでも、準備万端なのに……」

「あー! ほんともう! その顔はマジで反則だから!」



 「勘弁してくれよ」とかなんとか言いながら、ディーンは自分の顔を両手で覆ってしまう。



「俺の奥さんが可愛すぎてつらい……」






◇◆◇◆◇






 カルドランから帰国したディーンは、すぐさま陛下に謁見を申し出た。



 自分が先王陛下の子であり王族の一員であることを公表するとともに、王位継承権は放棄し臣籍降下したいこと、そのうえで私と結婚したいことなどを伝えたらしい。



 まあ、陛下はもちろん、宰相(つまりお父様)だってずっとそうしろそうしろと言ってきたわけなので、「お前もようやく……!」なんて二人で肩を抱き合って泣いていたそうである。



 なんというか、陛下とかお父様とかって、私が思い描いていたイメージと実際の人物像がだいぶ違っていてちょっと困惑ぎみである。陛下のことだって、ハルラス殿下と婚約していた頃はとても厳格な方だと思っていたのに。ディーンのこととなったら、二人ともただの気のいい構いたがりのおじさんじゃない。



 ちなみに、ロヴィーサ様やシモン様、バーリエル侯爵家の方々もディーンの決断を快く受け入れてくれたそうである。しかも、臣籍降下したあと人々の好奇の目にさらされることを見越して、事前にうまく根回ししておこうと張り切っているらしい。ほんとにもう、心強いとしか言いようがない。



 ただ、ラウリエの家門の結束力に頼るまでもなく、実は私たちにとって思ってもみない展開が待ち受けていた。



 それはあの、カルドランの一件の後日談でもある。



 結局その後も、開発した魔法薬をフィリス殿下が使ったという話は聞こえてきていない。でもカルドラン王家はフィリス殿下を取り巻く問題の解決に私たちが大きく貢献したとして感謝の意を示し、先般の交渉時よりも数段我が国に有利な交易条件を提示し直してきたのである。近々、両国は改めて交渉のテーブルにつくことが決まっている。



 おまけにはっきりとした理由は明かさないまま、ラウリエ研究所に対して多額の資金提供があったと聞く(恐らくテイト殿下あたりの提案だと思う)。



 こうなると、フィリス殿下の人見知りの件は公になっていなくても、私とディーンがカルドラン王家に対して何かしら恩を売るようなことをしたのではないかという憶測が飛び交うようになる。なんせ私たちは、あの『ディフェンスフレグランス』を生み出した二人。カルドラン王家のために特別な魔法薬を調合して便宜を図ったのではないか? なんて、まことしやかに噂されるようになっている。




 そんな中。



 私とディーンはいよいよ陛下からの呼び出しを受け、二人揃って王城に参内することとなった。



 謁見の間に案内され、しばらくすると王家の面々と宰相が登場する。お父様が仏頂面をしているのは通常運転だからいいとしても、ハルラス殿下がむすりと不機嫌そうなのはどういうことなのだろう?



 陛下が玉座に座ると、謁見の間は重々しい静寂に包まれる。



 そのまま陛下は宰相に促され、ディーンの真の出自を粛々と公表した。後ろに控えていた近衛兵たちが一瞬ざわついたのを制して、そのままディーンが願い出た臣籍降下をもお認めになる。



 こうして、ディーン王弟殿下は晴れて『キルカ』の姓と公爵の地位を賜ることになった。



 陛下(と宰相)はこの勢いに乗じて、ディーンと私との結婚も王命で認めてしまおうと目論んでいたのだけど。



 なんと、思わぬ伏兵が声を張り上げたのである。



「私は納得できません!」



 みんながみんなぎょっとして、声の主のほうに目を向ける。



 視線の先にいたのは、不満と苛立ちをむき出しにした第一王子ハルラス殿下。目が血走っている。なんか怖い。



「ディーン・ラウリエ殿が実は先王陛下の子であり王族であるという陛下のお話、私には到底信じられません! そのうえルーシェル・フォルシウス嬢との婚姻をお認めになるなんて、やや早計ではありませんか!?」



 ……え?



 今更何を言っているのだろう?



 陛下がお認めになった事実に刃向かって、どうするの? 



 当然のように陛下は面白くなさそうな顔をして、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。



「ディーンの出自については、関係者であるラウリエ伯爵家の者やバーリエル伯爵家の者はもちろんのこと、私たち一部の王族やここにいる宰相もかねてより把握している。何より、王太后陛下が公に認められたのだ。お前ごときが異を唱えたところで、覆るものではない」

「し、しかし、だからといってルーシェル嬢との婚姻をお認めになるのはいかがなものでしょう? 二人は十歳も年が離れておりますし、才女と名高いルーシェル嬢にはもっと相応しい人間が――」

「だとしても、それはお前ではない、ハルラス」



 陛下の冷ややかな視線に射抜かれたハルラス殿下が、声にならない声を上げる。



 ハルラス殿下って、この期に及んでまだ諦めてなかったのね、とまるで他人事のようにしみじみ驚いてしまう。



 でも横にいるディーンや陛下の脇に控えるお父様、ハルラス殿下の隣のギルロス殿下や王妃殿下は一ミリも表情を動かしてなかったところを見ると、ほとんどの人は知っていたのかも。



「ではここに、ディーン・キルカ新公爵の誕生及び新公爵とルーシェル・フォルシウス嬢との婚姻成立を宣言する」



 蒼ざめて膝をつくハルラス殿下を尻目に、陛下の澄んだ声が謁見の間に響き渡った。






◇◆◇◆◇






 さて、その夜。



「さすがに、今夜が初夜ってことですよね?」



 ずい、とにじり寄ると、隣に座るディーンが反射的に距離を取る。



「まあ、待て待て。キルカ公爵夫人」



 ディーンはさっきから、やたら「公爵夫人」という言葉を連発している。言われるたびに私もちょっと舞い上がってしまって、頬が緩みっぱなしになっているのは否定できない。



「そういえば、『キルカ』ってどういう意味ですか? 陛下が考えたんでしょうか?」

「いや。臣籍降下の話をしたときに、こっちから願い出たんだ」

「古代語ですか? どういう意味があるんですか?」

「鎌だよ」



 鎌? 鎌って、あの鎌? 草とか刈っちゃう系の?



「なんで、鎌……?」

「魔法薬の材料採取に、鎌は必需品だからな」

「あー……」



 感心しきりの私に、今度はディーンがずい、と顔を近づける。



「さて、夫人。さっきの質問の答えなんだけど」

「はい?」

「ルーの言う通り、今夜が初夜だよ」



 そう言って微笑むディーンの瞳は優しくもとろりと甘い熱を孕んでいて、その夜私は少しも傷つけられることなく、とても大切に、丁寧に、隅から隅まで愛されてしまいました。

















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