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48 ハナミノカサゴの毒棘

「今回持ってきた解毒薬は、三種類あります」



 ディーンが持参した皮袋の中から、三つの小瓶をさっと取り出す。



 フィリス殿下が興味津々といった様子で前のめりになっているのを、テイト殿下も微笑ましそうに眺めている。



「この薄い緑色の液体は、主に植物による毒を解毒する魔法薬です。毒を含んだ植物というのは幾つかありますが、代表的なのは『サエアの実』ですね」

「サエア……?」



 自然に声を発したフィリス殿下を見て、今度はテイト殿下が前のめりになっている。



「サエアの実は赤くて小さいんですけど、たった数粒で人を死に至らしめると言われるほどの猛毒なんですよ。でもこの解毒薬があれば、命は助かります」

「すごい……」

「こっちの濃いオレンジ色の液体は、海に住む生き物の毒に効く解毒薬です。例えばそうですね、ハナミノカサゴって知ってますか?」

「……トゲトゲがいっぱいついた魚……?」

「そうですそうです。さすがは南国の方ですね。あのトゲトゲの一つひとつが毒を含んでいるんですよ。刺されたらビリッとします」

「……痛そう」

「痛いでしょうね。でもこの解毒薬があれば、すぐに痛みは引きますよ」

「こっちの黄色いのは?」

「これは、魔物の毒に効く解毒薬です。この前来たときにも、魔物の話をしましたよね?」



 私たちが身振り手振りで説明したあれこれを思い出しているのだろうか。フィリス殿下はこくこくと首を縦に振る。



「魔物には毒を持つものが多いんですよ。例えばワイバーンは爪に毒がありますし、バジリスクも牙に毒があります。魔物の毒は強力で、速効性があるから危険なんです」

「そっこうせい……?」

「毒が全身に回るスピードが早いんですよ。あっという間に毒が全身を駆け巡ってしまうから、命の危険があるんです。魔物の毒に冒されたときには、一刻も早く解毒薬を服用することが重要です」



 ディーンのわかりやすい説明に好奇心をかき立てられるらしく、フィリス殿下は熱心に聞き入っている。



 その後もひとしきり毒や解毒薬についての講釈が続き、存分に話し尽くしたところでディーンはフィリス殿下に向き直った。



「さて、殿下。私とルーシェルが殿下の人見知りを直す魔法薬の開発をお願いされているのはご存じですよね?」



 殿下は一瞬だけ私のほうに顔を向けて、それからまたこくこくと首を縦に振る。



「私たちはようやく、薬の開発に成功しました。これが、その魔法薬です」



 そう言って、ディーンは別の革袋から厳重に梱包された箱を取り出し、注意深く中身を手に取った。それは言わずと知れた、あの薄紅色の液体の入った小瓶である。



「これが、殿下の人見知りを直す魔法薬です。これを飲めば、人が怖いとか恥ずかしいとか何をされるかわからないから不安だとか、そういった気持ちは恐らくなくなります。人に対する緊張感がなくなり、誰とでも自信をもって話せるようになるでしょう」



 言われて、フィリス殿下はどういうわけかとても難しい顔になる。妙に戸惑った様子で、薄紅色の液体とディーンの顔とを交互に見つめている。



「殿下、よかったら飲んでみませんか?」



 ディーンが優しく促しても殿下はますます困ったような顔をして、今度は救いを求めるようにコハク様やテイト殿下に目を向ける。



「……フィリス、もしかして飲むのが怖いのかい?」



 テイト殿下がフィリス殿下の顔を覗き込みながら、落ち着いた口調で尋ねる。フィリス殿下はしばらく目を泳がせたかと思うと、テイト殿下を見返しておずおずと頷く。



 ……え。飲まないの?



 せっかく作ったのに?



 ちょっと、これは完全に想定外である。魔法薬に興味のある殿下なら、喜んで飲んでくれると思っていたのに。



 落胆を露わにしないよう注意しながらディーンの表情を盗み見ると、ディーンはなぜか面白いものでも見るかのような目をしている。



「……フィリスはどうも、気が進まないらしいのだが」



 どこかがっかりしたような表情をしながらも、テイト殿下は申し訳なさそうに肩をすくめる。



「その、依頼しておきながらこんなことを言うのは非常に心苦しいし、失礼なことだと理解はしているのだが……。しかしこちらとしても、フィリスに無理強いはしたくないんだ」

「ええ、そうですよね」



 ディーンは別段気にする様子もなく、平然と答える。



「もともと魔法薬というものにあまり馴染みのない方なのです。実際に服用するとなったら、警戒するのは当然のことかと」

「……すまない」



 依頼しようと言い出したのが自分だからか、テイト殿下は大袈裟なくらい恐縮している。そりゃそうだ。こっちだって、あんなに苦労したのになんなのよ、なんて悪態をつきたくなる。



 でもディーンの表情は、穏やかなまま変わらない。



「薬というのはですね、実は『これを飲んでよくなりたい』という気持ちが一番大事なんですよ」

「そうなのか?」

「はい。嫌々飲んだところで、効き目は弱まってしまうものなんです。ですから、無理やり飲んでもあまり意味はないのですよ」



 言いながら、ディーンは『人見知りを直す魔法薬』をもとの箱に丁寧にしまい込む。そして、テーブルの上に静かに置いた。



「ただせっかく作ったものですし、これはこのままカルドラン王家にお渡しいたします。使う使わないの判断に関しては、そちらにお任せいたしますので」

「いいのか?」

「もちろんです。カルドラン王家からの依頼がなければ、作り得ない魔法薬です。我々にとっても大変貴重な経験になりましたし」



 ディーンが差し出した箱を、テイト殿下が恭しく受け取っている。



 とりあえず飲まずに済んだらしいとわかったフィリス殿下は、あからさまにホッとした表情をしている。



 そんなフィリス殿下に向かって、ディーンはゆったりと柔らかく微笑む。



「でもフィリス殿下には、もうこの薬は必要ない気がします。だって殿下には、たくさんの味方がいるってとっくに気づいたでしょう?」



 問われた殿下はきょとんとしていたけれど、言葉の意味がわかったらしい。意志の宿った目をして、しっかりと頷いている。



 フィリス殿下にとって、外の世界は長いこと自分を脅かす恐怖の対象だっただろう。頼れる相手は数少なく、自分の殻に閉じこもって必死に隠れて生きるよりほかなかったのだから。



 でも今、たくさんの大人が傷ついたフィリス殿下を癒し、守ろうと手を差し伸べている。その大きな守りの中で成長していけば、いずれ誰とでも自然なコミュニケーションが可能になっていくだろう。



 そんな未来が訪れることを、心から願っている。






◇◆◇◆◇



 



「なんだか、肩透かしを食らった気分なんですけど」



 その日の夜。



 カルドランの王城に用意された一室でつぶやくと、ディーンがソファの隣で不思議そうに首を傾げる。



「肩透かし? 何がだ?」

「だって、あんなにすったもんだして魔法薬を作ったのに、使ってもらえないだなんて」

「ああ、確かにな」



 とか言いながら、ディーンは余裕ぶった笑みを浮かべている。なんか、解せない。悔しい。



「まあ、研究所のほうに来た依頼でも、こういうことはよくあるからな。魔法薬を開発している途中で事態が好転したとかで、依頼自体が取り消されることもあるしさ」

「そういうのってなんかこう、納得いかないものがありませんか? さすがに、自分たちの苦労が全部無駄になった、とまでは思いませんけど……」

「でも薬がうまく『化けた』ってことは、お前の仮説が正しかったってことだろ? 『リッセの石』や『ラザルの実』の効果に関しては、新たな仮説として今後発表すればいいわけだし」

「それは、そうなんですけど……」



 要は、苦労して作った魔法薬が使ってもらえなくて残念なだけである。思い通りにいかなくて、ぶーぶー文句を言っているだけである。



 飲んだらどうなるのか、この目で確かめたかったのもあるし。



 なんてことを、往生際悪くあれこれ考えていたら。



「なあ、ルー」



 どこか緊張感の漂う低い声が、耳をかすめる。



「……俺たち、結婚しないか?」














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