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47 解毒薬

 数週間後。



 学園が長期休暇に入るタイミングで、私とディーンは再びカルドランへと向かうことになった。もちろん、完成した『人見知りを直す魔法薬』をフィリス殿下に届けるためである。



 ところが長期休暇に入る直前、耳を疑うような事態が発生した。学園の学期末試験の結果、なんとマリーナ・ノルマンが初の学年トップに躍り出たのである。



 これには、多くの生徒が度肝を抜かれてしまった。まあ、心を入れ替えてからは図書館で勉強している様子が頻繁に目撃されていたし、もともと地頭がいいのは先生たちも気づいていたみたいだけど。



 でも去年の醜態とパッとしない成績を覚えているほとんどの生徒たちは、信じられないという冷ややかな目線でマリーナ嬢を遠巻きに眺めている。一方、そんなまわりの反応にも彼女は我関せずを貫き、完全に一匹狼の状態で過ごしている。時々、うちの研究室には来るけれども。



「こうなると、なんかもったいない気がするんですよね」

「何がだよ?」

「だってマリーナ嬢は、いずれ修道院に逃げ込むつもりなんですよ? 学年でトップを取るくらいの才女なのに、もったいなくないですか?」

「まあ、そうだな」

「最初から本来の自分で勝負してたら、どこかの貴族令息のお眼鏡にかなって縁談が決まっていたかもしれないのに。見た目だって充分可愛らしいんだし、ほんとだったら男子生徒が放っておかなかったと思うんですけど」

「もともと平民として暮らしてたわけだから、貴族の生活や学園のことなんかほとんど知らなかったんだろ? 自分の見た目や能力だけで勝負できるなんて思いもしなかったんだろうし、そのうえ強欲な男爵から高位貴族の結婚相手を探してこいなんて無理難題を吹っかけられてたんだ。なんとかしなきゃと焦って迷走した結果が、アレだったんだろうな」



 本当にもったいない。



 どうにかしてマリーナ嬢の不運を覆す方法がないものか、ついつい考えてしまう自分がいる。



 そうしてマリーナ嬢の行く末を案じつつカルドラン入りした私たちは、到着の翌日にフィリス殿下を訪ねることになった。



 今回、私たちは『人見知りを直す魔法薬』のほかに、幾つかの解毒薬も持参している。あの『王子と森の魔女』の童話に出てくる『災いを消す薬』、つまり解毒薬を見てみたいと言ったフィリス殿下との約束を果たすためである。



 というわけで、久しぶりの水晶宮を訪れてみると。



「やあ、君たち。よく来てくれたね」



 待ち受けていたのは、なんとフィリス殿下ではなく第二王子のテイト殿下だった。



「フィリスは中で待っているよ。でもフィリスに会う前に、君たちには是非とも知らせておきたいことがあってね」



 気安い雰囲気を纏いながらも、テイト殿下の表情にはどこか陰鬱な翳りが見える。



 なぜフィリス殿下の居住区域である水晶宮にテイト殿下がいるのだろうと思いつつも、私たちは促されるまま応接室に向かう。



 そこでテイト殿下から聞かされたのは、予想外のとんでもない事実だった。



「君たちは前回の訪問の際、ヒスイ様が亡くなったあとのフィリスの生活について尋ねてくれただろう?」

「あー、そうですね」

「あれから少し気になってね。恥ずかしながら、独自に調査してみたんだよ。遅きに失した感はあったけどね」



 テイト殿下は言いながら、優雅な仕草でティーカップを口元に運ぶ。



「先日も話した通り、水晶宮そのものの管理はもちろん、フィリスの養育や使用人の指導監督に至るまですべてを信頼の置ける侍女長に任せていたんだよね。彼女はもともと、母に仕えていた侍女で」

「殿下のお母上、というと、王妃殿下ということですか?」

「そうだよ。忠義に厚い侍女だったから、新たに迎え入れる年若い側妃のために力を注いでくれると期待したんだ。結果として、それが間違いだった」

「……間違い?」

「彼女の忠誠心は残念ながら王妃殿下だけに向けられていて、側妃として輿入れしたヒスイ様は王妃殿下を脅かす存在として敵視していたらしい。さすがに国王陛下の寵愛を一身に受けていたヒスイ様本人を蔑ろにはできなかったみたいだけど、ヒスイ様が連れてきたシェイロン出身の侍女たちのことは忌み嫌ってどんどん孤立させたんだ」

「え……」

「そうこうしているうちにフィリスが生まれ、ヒスイ様はまもなく病に倒れた。ヒスイ様が亡くなったあと、侍女長は完全に水晶宮を掌握して意のままに私服を肥やしていたんだよ。フィリスの養育が後回しになったのも、彼女がフィリスの状況を王城に報告することなく、完全に放ったらかしだったからだ」

「それは……」



 思いもしない展開に、ちょっと頭の中の思考が追いつかない。



「でも、彼女の罪はそれだけじゃないんだ」



 テイト殿下は厳しい表情のまま、悲痛なため息を漏らす。



「ヒスイ様が亡くなったあとは、乳母と数人のシェイロン出身の侍女たちがフィリスの養育を担っていたんだけどね。あるとき、侍女長は自分には一切懐かないフィリスに向かって『あなたは厄介者』『あなたのせいでヒスイ様は死んだ』『だから陛下はあなたのことを憎んでいる』なんて嘘八百を並べて……」

「そんな……!」

「偽りを真に受けたフィリスは、ショックと恐怖のあまり人に対して必要以上に警戒心を抱くようになってしまったんだよ」



 ……なんてむごいことだろう。



 年端も行かない幼な子に、そんな呪いのような言葉を浴びせるなんて。父親である国王陛下とすらまともに話ができないなんて言われてたけど、そんなの当たり前じゃない。憎まれていると思い込んでいたんだもの。



 父親に疎まれていると思い込んでいた数か月前の自分を思い出して、なんだか複雑な気分になる。



「というようなことが調査の結果判明してね。もう王城は上を下への大騒ぎだったんだよね」

「侍女長はどうなったのですか?」

「侍女長も彼女の息のかかったほかの侍女や使用人たちも、一人ひとり罪上を確認したうえで全員解雇したよ。ただ侍女長と数人の侍女たちは、やったことがやったことだったから解雇だけでは済まされないと陛下が激怒してね。南方の島に配流が決まったんだ」

「配流とは、ずいぶん重い処罰ですね」

「陛下は死刑でも足りないと言っていたくらいなんだよ。ヒスイ様の忘れ形見であるフィリスの心を傷つけた罪は、一生消えないのだからね」



 その心の傷は時が経っても一向に癒やされることなく、むしろ逃れ難い呪縛となってフィリス殿下を苦しめてきたのだろう。



 必死にコハク様にしがみついていたフィリス殿下を思い出し、胸が痛む。



「すべてが明らかになって、王家としてはフィリスとの対話を試みた。フィリスにもわかるように、全部きちんと説明することにしたんだよ。長い間ひどい扱いを受けていたことを知らず、結果として放置してきたことを陛下は自ら謝った。そして、フィリスを害するつもりはないと、お前は私の大事な息子だと言って涙を流された。フィリスは驚いていたけど、子どもながらに感じるところがあったみたいでね。それから少しずつ、僕たち王家の人間との交流が始まってるんだ」



 交流……?



 あのフィリス殿下と交流できてるの?



 私の心の声が聞こえたのか、テイト殿下があっけらかんと笑う。



「いや、コハク殿が言うには、やっぱり君たちが一番らしいよ」

「え?」

「僕は時間の許す限りこの水晶宮を訪れるようにしてるんだけど、それでもまだフィリスの声を聞いたことはないんだ。首を振ったり頷いたり、意思表示はしてくれるようになったけどね」



 それだって、だいぶ大きな進歩だと思うんだけど。



 真実を知り、自分を害するものがなくなったことで、フィリス殿下は少しずつ変わろうとしているのかもしれない。



 人を傷つけ脅かす悪意に満ちた言葉は、毒のように心を侵食する。その毒に効く解毒薬はない。



 だからこそ、人によって傷ついた心は人によってしか癒やされない、とも思う。



「あの子も待っているから、そろそろ行こうか」



 立ち上がったテイト殿下のあとに続いて廊下に出た瞬間、私たちの訪問を今か今かと待ちかねていたフィリス殿下が勢いよく飛び出してくる。



「…………せんせい……!」



 それは確かに、フィリス殿下の声だった。



 前回よりも幾分力強さを帯びた声に、ディーンが相好を崩す。



「お久しぶりですね、殿下。約束のものを持ってきましたよ」



 フィリス殿下のエメラルドグリーンの瞳がパッと輝いたのは、言うまでもない。




 














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