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46 人見知りを直す薬

「いや、ちょっと、お前さ……」



 ディーンはそれ以上言葉が続かないらしく、動揺と混乱を隠せないでいる。



「昨日考えてみてくれって言ったじゃないですか? でも考えるまでもないことだったので」

「は……?」

「ちなみに、お父様の許可は得てありますから」

「……グスタフはいいって言ったのか?」

「そうですね、はい」



 実は、説得にはちょっと、いや、だいぶ手こずった。早すぎる、とかなんとか言われて。



 でももともと、ハルラス殿下との婚約が継続していれば、私は卒業と同時に侯爵邸を出て王宮に移ることになっていたのだ。だから別に、早すぎるということはないと思う。



 何を言ってもなかなかゴーサインを出してくれないお父様だったけど、最終的に「好きにしていいと言ったはずです」とか「一生に一度のお願いなのに、突っぱねるつもりですか? 嫌いになりますよ?」とか脅迫めいたセリフを繰り出したら、見事に撃沈してくれた。



「今、荷物をまとめているので引っ越しは来週末くらいになりそうなんですけど」

「いや、でも、いいのか? そんな簡単に……」



 言い出したのは自分のくせに、なぜかその表情には憂いが沈んでいる。



 私はつかつかと歩み寄り、ディーンのすぐ目の前に立った。



「何をそんなに怯えてるんですか?」

「だってさ、一緒に暮らし始めたらきっともう、後戻りできないだろ……?」

「後戻りする気なんて、最初からありませんよ? ディーンが私に飽きたとかもう嫌になったとか言っても、伯爵邸の離れに居座るつもりですから」

「……そんな日は一生来ないよ」



 切なげに顔を歪めて、ディーンが半歩前に出る。私たちの間に距離はなくなり、ディーンの顔が鼻先に触れるほど近づいてくる。



「俺には、ルーだけだから」

「私だって、ディーンだけです」

「……ルーしかいらない。ルーの全部が欲しい」

「そんなのもうとっくに、ディーンのものですから」



 胸を張って答えると、ディーンは一瞬目を丸くする。そして、



「俺の恋人が可愛すぎて困るんだけど?」



 なんてつぶやいた唇が、私の唇に優しく触れた。






◇◆◇◆◇






 その後、「第三回人見知りを直す魔法薬開発検討会議」での承認を経て、候補に挙がった五つの材料を集めることになった。



 ほとんどの材料はラウリエ研究所に在庫があったし、唯一在庫のなかった『アイレの湖の水』も思いのほかすぐに入手できたため、早速学園のディーンの研究室で調合を試みた。



 結果として、調合は大成功だった。



 学園の授業以外での本格的な調合は二回目だったけど、うまく『化けた』瞬間というのは言葉にならないほど神秘的である。すべての素材を混ぜ合わせ煮詰めていく過程で、鍋の中の液体が突如として得も言われぬ色彩を纏うのだから。



 そうして完成した『人見知りを直す魔法薬』は、薄っすらと紫がかった薄紅色の液体になった。



 それからすぐに、ラウリエ研究所で安全性を確認するための検査が行われる。隣国の王族の口に入れるものだからこそ慎重かつ詳細な検査が何度となく繰り返され、最終的には品質及び安全性に何の問題もないとのお墨付きを得る。



 その結果がもたらされて間もなく、私の引っ越しも無事に完了した。






「こっちが俺の部屋で、こっちがお前の部屋、間にあるのが俺たちの寝室だからな」



 一週間ちょっとしか時間がなかったというのに、ラウリエ伯爵家では急ピッチで離れの掃除と改修を進めてくれたらしい。



「でも各部屋の内装までは手をつけられなかったから、その辺は追々な」

「今のままで充分ですよ? ロヴィーサ様やシモン様のセンスのよさが垣間見えますし、こういう落ち着いた配色、私は好きです」

「そうか? もっと自分好みに変えていいんだぞ? 今日からはここがお前の家なんだから」



 明らかに弾んだディーンの声色に、私の気持ちもふわふわと浮ついてしまう。



 そして迎えた、初めての夜。



 寝室につながるドアを開け、真ん中に鎮座する豪華なベッドを一瞥してからディーンの私室につながるドアに目を向ける。ドアが開く気配はまだない。



 バタバタと慌しかった一日をあれこれ思い出しながら、なんとなく間が持たなくて部屋の中をうろうろしてみる。手持ち無沙汰な思いで見上げた月は満月より少し欠けていて、その金にも銀にも見える繊細な色はディーンの髪色を思わせる。



「待ったか?」



 現れたディーンは、まだ少し髪が濡れていた。



 ……やばい。何がって、色気がやばい。



 ばくばくと急に騒ぎ出す心臓に気を取られているうちに、ディーンが近づいてくる。



「ルー」



 窓辺に立つ私を後ろからふんわりと抱きしめて、頭の上に自分の顎をそっと乗せる。



「何してたんだ?」



 とろけるような声も、腕の力強さも、真後ろに感じる体温も、状況が状況だけに破壊力が半端ない。



「えっと、その、今日一日のことを思い出してました」



 狼狽えながらも答えると、ふっと小さく笑った気配がする。



「グスタフは、だいぶ不満そうだったな」

「すみません、あんな父で」

「あいつの一番大事な宝をもらい受けるんだ。それ相応の態度は覚悟してたよ」



 実は、ディーンが侯爵邸に迎えに来る直前まで、お父様はぶつくさと文句を言っていた。アルヴァーが「いい加減諦めなよ?」なんて呆れ顔で取りなしてくれてはいたけど。



 ちなみに今回の引っ越しに当たり、お母様からは「ロヴィーサ様によろしくね!」と何度も念を押されている。あのラウリエ伯爵家の材料採取のとき以来、お母様はすっかりロヴィーサ様のファンである。よくよく聞いたら、颯爽としていながら大人の色香が漂うロヴィーサ様に憧れる女性は数多く、非公認のファンクラブまであるらしい。ロヴィーサ様は何も知らないので、教えてあげたらさぞ驚かれるに違いない。



 不機嫌さをこれでもかとアピールするお父様とは対照的に、ディーンは思った以上に冷静だった。いつものちょっと横柄な物言いは控えつつ、へりくだった態度でお父様に対峙する。



「侯爵のお気持ちはもっともですが、ご心配には及びません。ルーシェルを不幸にするようなことだけは、絶対にしませんので。手放すこともありません。大切にします」



 ディーンの強いまなざしに、迷いは一切なかった。



 はっきりと目に見える固い決意に、お父様も「娘を、よろしくお願いします」と言って深々と頭を下げるしかなかったらしい。



「……夢みたいだな」



 不意に、ディーンの低い声が頭上から響く。



「え?」

「朝も昼も夜も、ずっと一緒にいられるなんてさ。幸せすぎる」



 ――――「幸せ」。



 その残酷な生い立ちのせいで一生の孤独を心に決めていた人が、人並みの幸せを諦めて生きてきた人が、そんなことをつぶやくなんて。



 何気ないひと言は私の胸の奥にぽつんと落ちて、じわじわと広がっていく。



 もっともっと、幸せになってほしい。



 もっともっと、幸せにしてあげたい。



 私はゆっくりと後ろを向いて、ディーンの透き通った端正な顔を見つめる。



「私がもっともっと幸せにしてあげますからね。だからディーンは、もっともっと幸せになっていいんですよ?」

「ルー……」



 愛おしそうに目を細めて、ディーンは私を抱きしめる腕の力を強める。



「……少なくとも、今この瞬間世界で一番幸せなのは俺かも」

「それは違いますね。今世界で一番幸せなのは、この私ですから」



 悪戯っぽく微笑むと、ディーンは観念したような顔をして「お前には一生敵わないかも」とささやいた。

















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