45 ラザルの実
翌日。
「先生に、二つほど伝達事項があります」
朝の挨拶のあと、私はディーンに向かってちょっと芝居がかった言い方をする。
「は? いきなり何だよ」
「まず一つ目ですが、『人見知りを直す薬』に必要な素材が判明しました」
「は!?」
飛び上がるほど驚いて、ディーンは口をパクパクさせている。
「いや、だって昨日は全然ひらめかないって……」
「そうなんですけど、実はあのあとひらめいちゃったんですよね」
ふふんとほくそ笑んで、私は昨日図書館で見つけた『カルドランのおとぎ話全集』と読み漁った数々の文献とをテーブルの上にざざっと広げる。
「ヒントはこの『おとぎ話全集』に書かれてある、『王子と森の魔女』でした」
「それって、フィリス殿下が一番好きだって言ってた昔話だよな?」
「そうです。昨日、改めてちゃんと読んでみたんですよ。そしたら思いのほか示唆に富む内容で」
私は『王子と森の魔女』の書かれたページを開きながら、物語の概要をこの前よりも少し詳しく説明する。
「重要なのは、追放された王子が魔女に助けられて育てられる部分だったんです」
「どういうことだ?」
「王子は、父親である王の後妻となった王妃――正体は死神ですけど、その女からひどい扱いを受け続けた挙句、最終的には城を追い出されます。そのあと命まで狙われるので、ちょっと人間不信ぎみになっちゃうんですよ」
「まあ、相手は死神だからな。最初から殺すつもりで追放したんだろうし」
「でしょうね。でも王子は運よく魔女に助けられ、それから森の中で暮らすことになります。魔女はとても慈悲深くて、人間不信ぎみの王子にも優しく接するんです。そのうち、王子も心を開いていくんですけど」
「なんかそれって……」
「そうなんです。一つ目のポイントはここです。王子は魔女に助けられ、魔女の庇護のもと大切に育てられ、そしていつしか人間不信が改善した」
「魔女、がポイントなのか?」
「そうとも言えるし、そこじゃないとも言えます」
「もったいぶるなあ」
そう言って、ディーンはテーブルの上に広げられた『王子と森の魔女』の物語を覗き込む。
「その後、成長した王子は旅に出ることになります。そのとき魔女は、道中のお守り代わりに三つの魔法薬と『ラザルの実』を持たせるんです」
「『ラザルの実』ってあれか? 赤くて丸い……」
「そうです。よく身体強化薬の材料になってるあれです」
「もしかして、『ラザルの実』が材料の候補だって言いたいのか?」
「候補は、『ラザルの実』と『リッセの石』です」
力強く断言すると、ディーンは眉根を寄せて私を凝視する。
「一応聞くけど、根拠はまた勘なのか?」
胡乱な目つきをするディーンに、私はすぐさま「いいえ」と答える。
「人見知りを直すのに、あと何が必要なのか考えたんですよ。不安を軽減し、気力や活力を上げ、社交性を高めるほかに、あと何が必要なのか」
「何が必要なんだ?」
「それはずばり、しっかりと守られた環境の中で成長すること、です」
「……しっかりと、守られた……?」
険しい表情をしたディーンが視線を一点に留めたまま、しばらく考え込む。そしてゆっくりと、口を開く。
「……そういう環境の中で成長することが、人見知りの改善には必要だって言うのか?」
「そうです。『王子と森の魔女』の話でも、王子は助けられたあと森の中で生活するじゃないですか? あれは物理的にも外の世界の危険から王子を守っていることになるんですよ。森の魔女は、命を脅かしかねない危険を王子から遠ざけて大切に育てたんです。だから王子は人間不信を克服して立派に成長できた。子どもが心身ともに健康な状態で育つには、安心安全の確保が何より重要だと思うんです」
「つまり、大人にしっかりと守られた環境が子どもの健全な成長発達には必要不可欠だし、人見知りの改善をも促すってことなのか?」
「はい」
「だとしてもだ。そのことと、『ラザルの実』や『リッセの石』が材料の候補に挙がるのはどういう関係があるんだよ?」
ディーンに問われて、私は待ってましたとばかり幾つかの文献へと手を伸ばす。
「実はですね、昨日早退してラウリエの家に行ったんですよね」
「は?」
「秘密の書庫を探索したくて」
「え?」
ディーンはあからさまに面食らっている。
「……俺が一緒に暮らしたいなんて言ったから、気まずくて早く帰ったわけじゃないのか?」
「違いますよ。そんなわけないじゃないですか」
「いや、俺はてっきり……」
途端に挙動不審になるディーンが、ちょっと可愛らしく思えてしまう。十歳も年上なのに。
「不安にさせてしまってごめんなさい。でもびっくりさせたかったんです」
「わざわざびっくりさせようとしなくても、お前にはいつもびっくりさせられてるよ」
「そうなんですか?」
「毎日毎日可愛すぎてびっくりしてる」
「……もう」
不意にディーンの甘々攻撃が炸裂するもんだから、妙に気恥ずかしい。
……いきなりそんな爆弾を落とされたら、話が進まないじゃない。
「で、俺の可愛いルーはうちの書庫に行って、その二つの素材のことを調べてきたってわけか?」
ニヤニヤしているディーンを少し睨んでから、できるだけ平静を装って話を戻す。
「そうです。ロヴィーサ様が手伝ってくれて」
「姉上のやつ、昨日はなんにも言ってなかったぞ」
「だって秘密にしてって言いましたし」
学園の図書館で『王子と森の魔女』を読み込んだ結果、『リッセの石』と『ラザルの実』に目星をつけた私は早退してラウリエ伯爵邸へと向かった。
事情を話すとロヴィーサ様は即座に書庫を開けてくれただけでなく、探索自体も手伝ってくれた。
そのおかげで、興味深い調合レシピを発掘できたのだ。
「まず、『リッセの石』に関してなんですけど」
言いながら、持ち出した調合レシピの一つを手に取る。
「カルロッテ・ラウリエという方をご存じですか?」
「あ? ああ、『聖母の魔法薬』を作った人か?」
「そうですそうです」
カルロッテ・ラウリエは、アルフリーダより少しあとの時代の人である。
自らが双子を二回も(!)産んで子育てに苦労したこともあってか、幼な子の困った症状や状態によく効く魔法薬を多数開発したことで(ラウリエ家の中では)知られているらしい。カルロッテが開発した薬によって救われた子どもと母親は多く、そのため彼女の魔法薬は『聖母の魔法薬』と言われているんだとか。
「カルロッテが開発した魔法薬の中に、『ベイビー・クライ』というものがあるんです。赤ちゃんの夜泣きに効く薬として開発されたようで」
「夜泣き?」
「はい。その『ベイビー・クライ』の材料の中に、『リッセの石』があります」
「え?」
「あと、子どもがかかりやすい病気っていろいろあると思うんですけど、カルロッテが開発した治療薬にも『リッセの石』が使われていました」
「マジか」
「カルロッテが『リッセの石』を使ったのは、はじめは偶然だったようです。でも『リッセの石』を使うことで効果が跳ね上がることを実感したカルロッテは、子どものために開発した薬のほとんどに『リッセの石』を使うようになったようです。『リッセの石』って、魔力含有量が多いこともあって魔力関連症の治療薬の材料というイメージが強いじゃないですか?」
「まあ、そうだな」
「でも、そもそもなんで『リッセの石』が愛と魔力の象徴と言われてるのかも含めて考えると、そこに魔女の慈愛とか加護の力が含まれているからではないか、とカルロッテは結論づけています」
「魔女の加護か……。あり得る話だな」
ディーンは何度も頷いて、私が手渡したカルロッテの調合レシピに目を通す。そして、徐に気づく。
「え、『ラザルの実』も材料になってるのか?」
「ふふ、そうなんですよ」
それはさっき説明した、『ベイビー・クライ』の調合レシピだった。子どもの夜泣きに効く魔法薬の材料に、身体強化薬の材料としてよく使われる『ラザルの実』があることに違和感を覚えたらしい。
「どういうことだ? 『ラザルの実』の効果は滋養強壮とか体力増強とか、身体面に特化したものだろ?」
「その認識が、そもそも間違いなんだと思うんです。間違いというか、不十分というか」
「不十分?」
「もちろん、『ラザルの実』が身体面へ及ぼす効果は絶大です。でも多分、それだけじゃないんですよ。だって体が大きくなるとか強くなるとか丈夫になるとかの変化って、子どもの成長と同じだと思いませんか?」
「あ……」
「子どもが成長すれば、自然に体は大きくなって丈夫になるし、心も育ちます。『ラザルの実』の効果の本質は、身体力の増強じゃなくて心身の成長を促すことなんじゃないかと思うんです。森の魔女が王子に『ラザルの実』を持たせたのも、更なる心身の成長を願う気持ちを表しているのではと」
「心身の成長を願う……」
「というわけで、『リッセの石』と『ラザルの実』を加えることで慈愛に満ちた魔女の加護のもとに心身の成長を促す、という効果が期待できるのではと。ちなみに、ロヴィーサ様からもこの説に関しては絶賛されました」
「……だろうな」
ディーンはどこか呆然としながらも、そこはかとなく畏敬の念を込めたまなざしで私を眺めている。
「俺の可愛い恋人は、どこまで天才なんだ?」
「その可愛い天才から、二つ目の伝達事項があります」
「なんだよ?」
「来週にでも、ラウリエ伯爵家の離れに引っ越そうかと」
「……は?」




