44 リッセの石
ここまでで、『人見知りを直す魔法薬』の材料として候補に挙がっているのは次の三つ。
・『焔茸』
・『アイレの湖の水』
・『ホーンラビットの角』
この三つは第一回の検討会議で話された『気力・活力の増進』及び『不安・緊張の軽減と社交性の向上』の効果を求めて選定されたものである。
人見知りを直すためには、あと何が必要なのか?
正直言って、さっぱりわからない。
さっぱりわからないときは、いつものあの本に頼るしかない。
というわけで、研究室のソファに座りながらぺらぺらとページをめくっているのだけど。
「全然ひらめかない……」
だらりとソファにもたれると、机に向かって書類を書いていたディーンが「おいおい」と可笑しそうに笑う。
「今回はアルフリーダの天啓が降りてこないのか?」
「……はい」
力なく項垂れる私の横に移動して、ディーンはポンポンと頭をなでてくれる。
「少し根を詰めすぎじゃないか? 休憩したらどうだ?」
「でも来月には学園の長期休暇に入るんですよ? フィリス殿下も待ってると思うし、それまでには材料を選び終えて調合しないと」
「まあな」
「もしうまく『化け』なかったら、やり直さないといけないじゃないですか? それを考えると、一刻も早く材料を決めなきゃと焦ってしまって」
「でもお前一人でやってるわけじゃないんだし。もうちょっと俺を頼れよ」
そう言って、ディーンはなぜか両手を大きく横に広げる。
「……なんですか? それ」
「焦るルーを癒してやろうと思って。来いよ」
「え」
一点の曇りもない善意の笑みに、抗えるはずもない。
そろそろと上目遣いでその腕の中に収まると、ディーンがふわりと抱き寄せる。
「あー、柔らかい」
「え?」
「なんかいい匂いするし」
「は?」
「ずっとこうしてたい」
「ちょっ……!」
「こら、暴れるな」
「だって……!」
余裕綽々のディーンとは対照的に、恥ずかしさのあまり身悶える。
なんか最近、ディーンがやけに艶めかしすぎる……!
圧倒的色気に当てられて、耳まで真っ赤になっているのを自覚してしまう。そんな私に気づいたディーンが、急に不穏な空気を纏う。
「お前さ、ここんとこマリーナ・ノルマンと仲良くしすぎじゃね?」
「は?」
顔を上げると、いじけたような、それでいてどこか怯えたような表情が私を覗き込んでいる。
「そこまで仲良くしてませんよ?」
「嫉妬してんだよ俺は」
「相手は令嬢なのに?」
「男も女も関係ない。ルーは俺のものなのに」
くぐもった声が、弱々しく抗議する。
「それについては、否定しませんけど」
「……お前、うちに来ないか?」
「伯爵家にですか? いいですけどいつですか?」
ごくごく当たり前のことを聞いたつもりなのに、ディーンは何やら難しい顔になる。
「そういう意味じゃない」
「は? じゃあ、どういう……?」
「……一緒に住まないかって意味だよ」
そう言って、私の左手を取ったかと思うと薬指に光るリッセの指輪をそっとなぞる。
「伯爵家の敷地内に、姉上が義兄上と結婚してしばらく生活していた離れがあるんだよ。そこで一緒に暮らさないか?」
「な、にをいきなり……」
「いきなりじゃねえよ。カルドランから帰ってきて、ずっと考えてたんだよ」
「そうなの?」
「ああ。カルドラン最後の日に、一緒に寝ただろ?」
「……まあ、はい」
「あの夜、久しぶりに安心して熟睡できたんだよな。夢も見なかったしさ」
……知ってますよ。秒で寝たもんね。
「……あれ以来、ルーがいないとよく眠れないんだよ」
唐突に耳元で響く、艶めいた声。な、なんなの、この人は……!
「今も時々、夜中に目が覚めるんだ。お前に愛想つかされて、捨てられる夢とか見るし」
「何それ」
「カルドランの第二王子もお前のこと狙ってたしさ」
「あれは、別に、そういう感じじゃ……」
「いや、あいつは絶対、あわよくばとか考えてるだろ。魔法薬に興味があるのはほんとだろうけど、稀代の才女だのなんだの持ち上げてちゃっかりルーの手にキスしやがって」
そういえば、そんなこともあったわね……(すっかり忘れてた)。
「……お前は俺のものだって、実感したいんだよ」
そう言って、ディーンは私の首元に顔を埋める。余裕のない声が、その葛藤の深さを物語る。
あのカルドランの夜、心の奥底に潜む闇の存在を暴露しても拒絶されなかったことに、ディーンは大きく安堵したらしい。
でも、その闇にうごめく衝動や執着や独占欲は、これまでずっと否定してきた忌むべき感情でもある。目を背け続けてきたものだからこそ、制御することは容易ではない。
荒ぶる闇の存在を赦されたからと言って、欲しいままに衝動を解放してしまえば私を傷つけてしまう。それでも己の欲を無視することなど、もうできない。本能と理性の狭間で、ディーンの不安と葛藤はますます深くなっていく。
しかも私たちには、この関係を保証するものが何もない。生涯をともにすると約束はしたけれど、婚約も結婚もしない常識外れの関係は思った以上に曖昧で、不確実で、誰に横槍を入れられるかわからない危うさがある。だからこそ、確たる何かが欲しいのかもしれない、と思う。
「そういうわけだからさ。考えてみてくれよ」
ディーンは腕の中から私を解放し、また優しく頭をポンポンとなでた。
◇◆◇◆◇
授業に行くディーンを見送ってから、ひとまず図書館にでも行こうと立ち上がる。
考えてみて、と言われても。
考えるまでもないというか。
私だって、ディーンとずっと一緒にいたい気持ちは同じだし。学園に来れば同じ時間を共有はできるけど、朝も夜も一緒にいられたらなんて今まで何度思ったかわからない。
それにあのカルドランの夜、大好きな人に抱きしめられながら眠る温かさと安心感を私も経験してしまった。あんなの、一度でも知ってしまったらもう手放せるわけがない。もっと、もっとと欲張りになっていく自分がいる。
だからディーンの誘いを断る理由は、はっきり言って、ない。
唯一の障害があるとすれば、お父様くらいである。いつもの仏頂面をさらに厳しくしながら、眉間に皺を寄せて考え込む姿が想像できてしまう。
でもそれだって、私が「娘の願いを叶えてはくれないのですか?」とかなんとか言ってゴリ押しすれば、思いのほか楽に突破できそうな予感がする。あれ。うちのお父様って、案外ちょろいのか?
一緒に暮らすことで、ディーンの不安を払拭できるのならそうしてあげたい。荒ぶる闇に囚われるディーンを、まるごと救ってあげられたら――――。
ふと落とした視線の先に、ディーンのくれた指輪が淡く光った。
指輪にあしらわれたラベンダー色の石を目にして、はたと気づく。
愛と魔力の象徴と言われるリッセの石は、実は魔法薬生成の材料になる鉱石系素材でもある。
そもそも、この石はなぜラベンダー色をしているのか?
それはかつて、慈愛に満ちた一人の魔女がリッセの石に自身の魔力を封じ込めたと言われているから。ラウリエの家門の人たちがラベンダー色の瞳を持つのはこの魔女の末裔とされているからであり、彼女は人々を救うために幾つもの『秘薬』を作ったと伝えられている。
――――魔女。慈愛。秘薬。
そこまで考えた私は勢いよく立ち上がり、導かれるようにある本を探し回った。
ようやく見つかったその本を開いて、数分後。
読み終わって静かに本を閉じ、大きく息を吐く。なぜもっと早く読んでおかなかったのだろう、という後悔の念が押し寄せる。
読んでみたら、唐突に気がついた。わかってしまったのだ。
人見知りを直すために本当に必要なのは、何なのかのということを。




