43 ホーンラビットの角
「お前たち、最近仲良すぎじゃね?」
ディーンの焦れたような不機嫌な声に、思わずぷっと吹き出してしまう。
「勉強を教えてるだけですよ?」
「ラウリエ先生は、ルーシェル先生を独り占めしたくて仕方がないんですね」
「うるせえな。マリーナ・ノルマン、その宿題終わったらとっとと帰れよ」
尖った目つきでマリーナ嬢を睨みつけたあと、ディーンは机の上の書類と格闘し始める。
いまだにマリーナ嬢に対して苛立ちを隠し切れないディーンだけど、なんだかんだ言って無理やり追い出すようなことはしない。マリーナ嬢の事情を知っているだけに、邪険には扱えないのだろう。
優しい人だもの。
あれから、マリーナ嬢はたびたびこの研究室を訪れていた。去年の醜態のせいで友だちなんかいないし、もともと途中編入してきたこともあって知り合いや頼れる人などいないのである。
差し伸べられた手に縋りたくなるのは、当たり前のことだと思う。
そんなわけで、マリーナ嬢に魔法薬学を教えるようになって数日。ちなみに、最初は『ルーシェル様』と呼んでいたマリーナ嬢だけど、「勉強を教えてもらうのですから」と言って『ルーシェル先生』呼びに変わっている。ちょっとくすぐったい。
「そこは『憂い草』じゃなくて、『夏虫草』よ?」
「えっ」
「ほら、ここ」
「でも、解毒薬ですよね?」
「それもディーンの引っかけ問題だから。確かに『憂い草』はほとんどの解毒薬の材料になるけど、『夏虫草』のほうが適している解毒薬もあるの」
「そうなんだ……」
言われたことを逐一ノートに書き込むマリーナ嬢、なんか健気すぎるんだけど。
「魔法薬の素材って、名前の似ている物が多すぎませんか? 『憂い草』と『夏虫草』もそうですけど、『常盤草』とか『孔雀草』とか」
「『宵待ち草』もあるわよ」
「そうでした! あと葉っぱ系も多いですよね? 『ホーリーネスタの葉』とか『トロスの葉』とか『セレゴンの葉』とか『サンドの葉』とか」
「あら、結構覚えたじゃない? 偉い偉い」
「ありがとうございます。でもたくさんありすぎて、なかなか覚えきれません」
「そうねえ。あとはなんとかの実っていうのも多いし、魔物系だとなんとかの牙とかなんとかの角とかが多いし」
「ですよね」
実際、この素材の多さにうんざりしてしまって魔法薬学に苦手意識を持ってしまう生徒は少なくない。「素材を制する者は魔法薬学を制す」と言われるくらい多種多様な素材が存在するから、覚えるのもひと苦労ではある。
「効率よく覚えるコツって、ないものでしょうか?」
「うーん、実物を見て覚えたらいいんじゃない? 実験のときに使うでしょ?」
「でもすべての素材を使うわけではないですし」
「それもそうだわね」
「ルーシェル先生やラウリエ先生はどうやって覚えてるんですか? それこそ、何かコツとか……」
「ディーン先生は子どもの頃から魔法薬にどっぷり浸かってるから、素材が覚えられなくて苦労するなんて経験自体ないと思うんだけど」
「うん。ない」
「ほら」
「えー」
話を振るとちゃんと会話に入ってきてくれるところを見ると、ディーンも言うほどマリーナ嬢を毛嫌いしているわけではなさそうである。
「ルーはどうやって覚えたんだよ?」
「私ですか? 特に意識したことはないんですけど……。こういうの覚えるのはわりと好きなんですよね」
「まあ、好きなものは自然に覚えられるって言うしな」
「あ、そうだ。なんかこう、うんちくとか豆知識とかと一緒に覚えたらいいんじゃない?」
「うんちく?」
「名前だけ覚えようとするから覚えられないのよ。こういう謂れがあるとか関連するちょっとした雑学とか、そういうのも一緒に覚えたら記憶に残りやすいんじゃないかと」
「例えば、どんな感じですか?」
「そうねえ……。まあ有名なところで言えば、『ホーリーネスタの葉』は怪我や病気の治療薬とか『ポーション』の材料になるけど、この世界の創造神が芽吹かせた最初の植物だから破魔とか破邪の力が宿るとも言われてるのよ」
「あー、なるほど。だから回復系の魔法薬の材料になり得たんですね?」
「そうそう」
あら。飲み込みが早いじゃない。
「ほかにありますか?」
「さっきの『夏虫草』だけど、通称『しゃっくり草』とも呼ばれてるの。『夏虫草』を食べるとしゃっくりが止まらなくなるから、動物は食べないそうよ」
「それなのに魔法薬の材料になるんですか?」
「そう。さっきも言ったけど、『夏虫草』のほうが適してる解毒薬もあるの。でも量を間違えると副作用でしゃっくりが出るようになっちゃうし、特に『夏虫草』は根っこのほうがその作用が強いから注意が必要だけど」
「へえー」
こんな調子でざっと小一時間、私は請われるがままたくさんの素材に関する雑学や豆知識なんかを披露する羽目になった。
なぜかディーンまでもがそれをいちいちメモっていて、理由を聞いたら
「授業で使おうかなと」
と言われた。まあ、いいんだけど。
ひと通り話を聞き終わったマリーナ嬢は、ノートを見返しながら思案顔で話し出す。
「思ったんですけど、そもそも平民にとって魔法薬の素材というのはあまり馴染みのないものが多いんですよ。魔法薬そのものは薬店に売ってるし平民も使いますけど、材料は身近にあるものばかりじゃないんですよね」
「そうなのね。でも平民の間で民間療法的に使われるものもあるでしょ? 例えば『トロスの葉』は不眠にも効くって言われてるけど、平民は子どもが夜泣きしたときその葉を束ねて枕元に置くそうじゃない?」
「あー、そうですね。聞いたことあります」
「科学的な根拠は知らなくても日々の生活の中で直接的に素材の効果を実感して、それが平民の間で広く普及しているものもあると思うけど」
「そうですね……」
マリーナ嬢はひとしきり何か考え込み、「そういえば」とつぶやく。
「『ホーンラビットの角』ってあるじゃないですか? あれって、平民にとってはちょっとしたお守りみたいなものなんですよね」
「え? そうなの?」
「はい。お祭りのときの露店なんかで、可愛く加工された『ホーンラビットの角』が売られてるんですよ。友達とか恋人同士でお揃いのものを持ってると、ずっと仲良しでいられるっていうジンクスがあるんです。ホーンラビットは仲間思いだから」
「え?」
なんだそれ。初めて聞いたんだけど。ついつい前のめりになってしまう。
「どういうこと?」
「ホーンラビットって、集団で生活するほど臆病で、滅多に人を襲うこともない最弱の魔物って言われてますよね?」
「そ、そうね」
「だからなのかなんなのか、平民の間ではわりと人気があるんですよ。弱くて臆病だけど、だからこそ助け合って生きてるところに共感するものがあるのかも」
――――弱くて臆病だからこそ、助け合う。
マリーナ嬢が何気なく言ったフレーズが、なんだか妙に、腑に落ちる。
「さっきの話なんですけど」
マリーナ嬢が帰ったあと、書類に埋もれたままのディーンに向き直る。
「やっぱり『ホーンラビットの角』だと思うんです」
「は?」
ディーンは一体何の話だ? と言いたげな顔をして、それから「あ、人見知りを直す魔法薬の材料か?」と言いながらソファの隣に座る。
「さっきのマリーナ嬢の話を聞いて、ピンときたんです。臆病で怖がりで、助け合いながら生きているイメージの強いホーンラビットのほうが、フィリス殿下の秘められた社交性を引き出してくれるんじゃないかと」
「……俺も同じことを考えてたよ」
ディーンは机の上に並べていた書類を一つ手に取って、目の前に広げる。
「社交性の向上効果に関するウイアル公国の最新の研究で、『アオカゲロウの羽』よりも『ホーンラビットの角』を用いた魔法薬により高い効果が認められたらしい」
「ほんとですか?」
「姉上が伝手を使って手に入れてくれた論文が、さっき届いたんだ。読んでみるか?」
手渡された論文が、なんだかやけにキラキラと光り輝いて見える。
私はすぐさま、一心不乱に目を通し始めた。




