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40 焔茸

 帰国してすぐ、ディーンはロヴィーサ様やお父様に対してカルドランの依頼を正式に引き受けたいと申し出た。



 もともと依頼を受けてほしいと思っていたお父様は一も二もなく快諾し、ロヴィーサ様やシモン様も「ディーンがそこまで言うなら」と了承してくれた。



「で、お前はどう思う?」



 今、私たちは学園の研究室奥の調合室で、「第二回人見知りを直す魔法薬開発検討会議」を開いている。今回は諸般の事情により、二人だけで。



「そう、ですね……。まずは前回名前の挙がった、『グッドラック』や『メンタルサポート』といった不安軽減系の魔法薬と『ワンダーポジティブ』の材料から検討してみるのがいいかなと思います」

「具体的に、これは、と思う材料はあるか?」

「まずは『ワンダーポジティブ』なんですけど、アルフリーダが候補として考えていた材料って、活力増進とかテンションを上げる効果のある素材が多かったじゃないですか?」

「ああ。『火炎石』とか『焔茸(ほむらたけ)』とか、『火花鳥の羽』とかな」

「『火炎石』では効果が大きすぎる気がしますし、『火花鳥の羽』や『火鼠の尾』も子どもに飲ませることを考えたら刺激が強すぎる気がするんですよね」

「確かにな。となると、『焔茸』あたりが効果もマイルドで安全性が高いのかな」

「はい。私もそう思います」

「『精霊の泉』の水も必要だろ? 活力増進系の魔法薬とか『回復薬(ポーション)』には欠かせない素材だからな」

「それなんですけど」



 私は少し迷いながらも、ずっと考えていた仮説を思い切って披露する。



「『精霊の泉』の水の代わりに、シェイロンの『アイレの湖』の水を使うのはどうでしょう?」

「え、なんで?」



 ディーンは見るからに怪訝な顔をする。理由は、わかりきっていた。



「『精霊の泉』の水と『アイレの湖』の水に関しては、成分的にまったく一緒だってのは知ってるだろ?」



 実は、我が国の『精霊の泉』とシェイロンにある『アイレの湖』は、まったく同じ成分構成を有していることが水質の調査・解析の結果から示されている。



 精霊王が降臨して浄化した『アイレの湖』と、その湖から生まれた精霊が移り住んだと言われる『精霊の泉』。遠く離れた場所にある二つの水にこうした不思議な一致が見られるのは、同じく『精霊』を由来にするからだと結論づけられている。



「それはもちろん知ってますけど、今回は『アイレの湖』の水を使ったほうがいいような気がするんです」

「同じ成分ってことは、効果も同じってことだ。それなのに、わざわざ『アイレの湖』の水を使おうとする根拠は何だ?」

「勘です」



 ディーンは一瞬で渋い顔をして、なぜか恨めしそうに私の顔を見返している。



「お前な、毎回毎回勘で片づけるなよ。仮にも科学者の端くれなら、それ相応の根拠を示せよ」

「だって、勘しかないんだもん」

「だもん、じゃねえよ。くっそ、なんなんだよお前。あー、俺の恋人が可愛すぎてつらい」

「ふふ」

「ふふ、じゃねえ」



 はあ、と盛大にため息をついて、ディーンはぼりぼりと頭を掻く。



「まあでも、お前の勘は侮れないからな」

「そうなんですか?」

「ああ。『ディフェンスフレグランス』のときの『七色サンゴ』はもちろんそうだし、あと『ホーリーネスタの葉』を入れるかどうかの話になっただろ?」

「なりましたね。ディーンはいらないんじゃないかって言ってましたもんね」

「あとで考えてみたら、やっぱり必要だったんじゃないかと思ってな。姉上も『ホーリーネスタの葉』を入れてなかったら、いくら『七色サンゴ』を使ったとしてもあそこまでうまく化けなかったんじゃないかって言ってて」

「へえ、そうなんだ? 私って、もしかしてすごいんですか?」

「調子に乗るな」



 ぴしゃりと言われてちょっと口を尖らせると、ディーンが困った顔をして唐突にちゅ、と口づける。



「え」

「もうお前、可愛いの禁止」

「はあ?」

「可愛すぎて話が進まないから」

「何言ってるんですか? 可愛い可愛いって話を逸らしてるのはディーンのほうでしょ」

「お前が可愛すぎるのが悪い」

「なんでー?」



 カルドランから帰ってきて以降、ディーンの甘やかしはますますひどくなる一方である。甘やかされすぎて、どうしようもない腑抜けになってしまいそうで怖いんだけど。



「まあ、お前の主張にも一理ある。フィリス殿下にとっては縁もゆかりもない隣国リネイセルの『精霊の泉』の水より、母親の母国にある『アイレの湖』の水のほうがより親和性が高いだろうからな。素材との相性は効果の良し悪しにも影響するし」

「ですよね」

「じゃあ、活力増進効果に関しては『焔茸』と『アイレの湖』の水の二つを候補に入れるとして、不安軽減効果に関してはどうだ?」

「ひとまず、ラウリエ研究所が生成・販売しているメンタル系の魔法薬の材料にざっと目を通してみたんですけど」

「結構いろいろあっただろ?」

「はい。それはもう、腐るほど」



 ラウリエ研究所では『グッドラック』や『メンタルサポート』のほかにも、メンタル系の魔法薬を多数取り扱っている。



 人の精神に作用する薬というのは、ただでさえ生成が難しい。どれも似たような物だと揶揄する人もいるけど、ニーズも効き方も人それぞれだからより緻密で繊細な製薬設計が求められるのである。



「現状、気になってるのは『氷結石』と『トロスの葉』、『アオカゲロウの羽』、それに『ホーンラビットの角』ですかね」

「うーん、悩ましいな。どれも不安や緊張を緩和したり気持ちを落ち着かせたりする素材だが、甲乙つけがたい」

「そうなんです」

「じゃあ、今んとこその四つを候補に入れとくか。もう少し吟味する必要はあるけどな」

「はい」



 かくして、その後の私はこの四つの素材について調べ回る日々が続いた。



 どの素材もそれなりに広く知られており、魔法薬の材料として用いられることも多い。だからそれぞれの素材の効能自体は概ね研究され尽くしていると言っていい。



 これまでに発表された四つの素材に関する論文や文献を読み漁り、ラウリエ研究所にも問い合わせて実験データを極秘に入手し(ロヴィーサ様が特別に許可してくれた)、ディーンはディーンでラウリエ伯爵家の秘密の書庫から参考になりそうな調合レシピを持ち出し、そんなこんなで二週間ほど経った頃だった。



 この頃には、四つの素材のうち『アオカゲロウの羽』か『ホーンラビットの角』のどちらかだろうという話になっていた。



 二つとも、不安軽減や精神安定の効果に加えて社交性の向上という隠れた効能があるらしい、というのが長年の研究で明らかになってきたからである。



 考えてみれば、アオカゲロウもホーンラビットも集団で生活する生物である。アオカゲロウは一匹のメスに多数の(数百の)オスが群がって移動する習性があり、魔物であるホーンラビットも基本的には群れをなして生活すると言われている。しかもホーンラビットなんて、生物学的には魔物に分類されるけれどもとても臆病な性格で、だからこそ集団行動をしているという説もあるくらいである。ちょっとそれ、魔物って言えるの? というレベル。



 そんな二つの素材について、文献を読み込んでいたある日のことだった。



 不意に、研究室のドアをノックする音がする。



 ディーンは授業に行っていて、あいにく不在である。ノックの音で初めて、しばらくヘレナ・クランツ先生の電撃訪問が途絶えていたことに気づく。



 ディーンに冷たくあしらわれたのが、意外に効いたのかもしれない。



 久しぶりのお出ましなんだろうなとため息をつきながらドアを開けた私は、想定外の事態に言葉を失った。



 目の前に立っていたのは、なんとあのマリーナ・ノルマンだったのだ。



 



 



 









 

年内の更新はここで終わりです。

みなさま、今年も一年間お世話になりました。

ここまでお読みくださり、感謝感謝です。

そろそろストックがなくなってきたので明日からは一話ずつの更新になるかと思いますが、引き続きお楽しみいただければ幸いです。


それではみなさま、よいお年を!

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