37 真実を見抜く薬
その日の夜。
私たちを歓迎するための正式な夜会が、王城の大広間で開かれた。
夜会があるのは事前に知っていたため、ドレスは急遽ディーンが用意してくれていた。ラベンダー色のシンプルなドレスは胸元に繊細な金色の刺繍が施され、なんというかまあ、ディーンの独占欲がそこそこ遺憾なく発揮されている。
「可愛いな、ルーシェル」
満足そうに、ディーンは優しく微笑む。
でもその瞳に、いつもの熱が見えない。どこか淡々としていて、妙に薄っぺらい。
それでもエスコートは完璧で、文句のつけようがない。だからいつもとは違う微妙な距離に気づいても、何がどうおかしいのか指摘するのは憚られる。
一昨日から、ずっとこうだ。
ディーンが私に触れない。必要以上に距離を詰めてこない。すぐ隣の位置をキープはするけど、それだけ。いつもならどさくさに紛れてあちこち触れまくって、ぞくりとするくらいうっとりと甘くささやくのに。
もどかしい。何があったのか知りたい。でも、聞くのが怖い。
貼りつけた笑顔の後ろで、言葉にできない不安が頭をもたげている。
そんなぎこちない空気を一掃したのは、品のある軽やかな声だった。
「ルーシェル・フォルシウス嬢!」
振り返ると、そこにいたのはついさっき形式的な挨拶を交わしたばかりの第二王子テイト殿下だった。
突然のことに慌ててカーテシーの体勢を取ろうとすると、大股で近づいてきたテイト殿下にいきなり手を握られる。
「やっとゆっくり話せる!」
「え?」
「ぜひお話ししてみたかったのです! 話題の魔法薬を開発したという稀代の才女に!」
両手でがしっと私の右手を握り、会心の笑みを見せるテイト殿下。
唐突な展開に驚いても、その手を振り払うことなどできるわけがない。狼狽えながら隣にいるディーンに目を向けると、一瞬でとても不機嫌そうな顔になる。
と思ったら、ディーンの腕が伸びてきて私の腰の辺りをきゅっと引き寄せた。
「あれ、君は確か……」
「ディーン・ラウリエです。殿下」
「ああ、君たちがあの魔法薬を開発したんだよね?」
「はい。殿下は魔法薬に興味がおありなのですか?」
「そうなんだ」
言いながらも、殿下は私の手を離そうとはしない。
「この国には魔法薬というものがそれほど普及していないけど、僕は昔から個人的に興味があってね。リネイセルかウイアル公国に留学したいと思っていたくらいなんだ。叶わなかったけどね」
「そうでしたか」
「今回、フィリスのことを君たちに依頼しようと提案したのも僕なんだよ」
握る手に力を込めながら、含み笑いをするテイト殿下。その瞳の奥に、ちらちらとほのかな熱が見え隠れする。
「今話題の『ディフェンスフレグランス』を開発・発表した君たちなら、フィリスのこともなんとかしてくれるんじゃないかと思ったんだ。フィリスにはもう会ったんだろう?」
「はい」
「どうだった?」
どう、と言われても。
期待に満ちた目で見つめられ、返答に困っているとディーンが助け舟を出す。
「そうですね。現状、コミュニケーションを取るのはなかなか難しいと思います。常に乳母の後ろに隠れ、目を合わせず声を発することもなく」
「やっぱりそうか。僕もできるだけ顔を出すようにはしてるんだけど、なかなか慣れてくれなくてね」
「あの、殿下。つかぬことをお聞きしても?」
ディーンは周囲を窺いながら、テイト殿下に一歩だけ近づいた。
「なんだい?」
「ヒスイ様が亡くなられたあと、フィリス殿下がどのように過ごされていたのかご存じでしょうか?」
「……というと?」
「フィリス殿下があのような状態になってしまわれた背景が知りたいのです。どんな些細なことでも構いませんので、ご存じであればお聞かせ願えればと」
すごく真面目な顔をして、至極真っ当なことを尋ねるディーンだけど、私の腰を抱く腕の力を弱めることはない。というか、逆にがっちりとホールドすることで、テイト殿下から少しでも引き離そうとしている気がしないでもない。
「……フィリスがどんなふうに過ごしていたか、僕たちもよくは知らないんだ」
テイト殿下は悔いるような顔をして、一瞬だけ視線を下に向ける。
「ヒスイ様が亡くなってまもなく、西方の島国との間に武力衝突が起きたことは知っているよね?」
「はい」
「その対応に追われて、フィリスの養育が後回しになっていたことは否定できない。もともとヒスイ様は他国から嫁いでこられてこの国に知り合いなどいなかったし、嫁いですぐに懐妊されたから人脈を築くこともままならなかったんだ。だからヒスイ様が亡くなられたあと、水晶宮を訪れる者はほとんどいなかったと思う。水晶宮のことは信頼の置ける侍女長に任せていたんだけど、フィリスはその侍女長にも一切懐かなかったそうだよ」
やるせない表情で、小さく息を吐くテイト殿下。
カルドラン王家の関係性はいまいちよくわからないけど、少なくともテイト殿下は幼い異母弟を心配しているのだろう。漏れてしまったため息に、嘘はない気がする。
「僕たち王家にとっては君たちが頼みの綱なんだ。なんとか奇跡を起こしてくれないか?」
哀願するような目をしながら殿下はなぜか私の左手を一瞥し、それから両手で握り締めていた私の右手をすっと持ち上げた。
そして次の瞬間、手の甲に軽くキスをする。
「なっ――!」
「頼むよ、ルーシェル嬢」
一瞬の出来事に抵抗もできず、にこやかに背を向けるテイト殿下を見返すことしかできない。
しかもすぐ隣から否応なしに発せられるどす黒い殺気のせいで、ディーンの様子を確認することもできなかった。怖すぎて。
◇◆◇◆◇
翌日。
私たちはまた前日と同じ時間に水晶宮を訪れた。
昨日のテイト殿下の謎アプローチ以降、ディーンの機嫌はすこぶる悪い。心なしか顔色も悪いし、目の下にはどういうわけかクマができている。
一方、応接室に入ってきたフィリス殿下はコハク様の後ろにひっついてはいたものの、顔を隠してはいなかった。おずおずと探るような目を私たちに向けていて、手には何やら分厚い本を抱えている。
「この本の中に、殿下の一番お気に入りの物語があるんです」
無言の殿下に手渡された本を受け取って、コハク様が手際よくお目当てのページを開く。
物語のタイトルは、『王子と森の魔女』。思わず「あ」とつぶやくと、ディーンが私の顔を覗き込む。
「なんだ?」
「知ってます、このお話」
「え、マジで?」
「はい。継母の王妃に疎まれ捨てられた王子が森の魔女に拾われて成長し、仲間を得てともに旅をするうちに勇者と呼ばれるようになり、最後には宿敵の王妃を打ち破って王になるというお話です」
『王子と森の魔女』は、ここカルドランに古くから伝わる昔話である。
なぜ知っているのかと言われれば、それはもちろんいつものあの本、つまり『魔法薬素材にまつわる文学的視点』に書かれていたのを読んだからである。ちなみに『魔法薬素材にまつわる文学的視点』はいまいちタイトルが長すぎるため、最近では「あの本」とか「私の最終兵器」とか「アルフリーダのおとぎ話集」とか呼んでいる。
「確かに、このお話には魔法薬が三つほど出てきますね」
深く考えずフィリス殿下のほうに顔を向けると、殿下は一瞬びくっとしながらも小さく頷いてくれる。
「捨てられた王子が森の魔女に助けられて成長したあと旅に出るんですけど、そのとき魔女が三つの魔法薬を授けてくれるんです」
「三つの魔法薬?」
「はい。一つは『災いを消す薬』、それから『姿をくらます薬』、最後に『真実を見抜く薬』だったかな」
薬の正確な名前に関してはちょっとうろ覚えだったけど、殿下がうんうんと頷いてくれているので合っているらしい。
「旅に出てすぐ、『災いを消す薬』を使って毒に侵されていた盗賊を助けるんです。そしたらその盗賊が仲間になって、二人で旅を続けていたら今度は塔に閉じ込められている騎士の話を聞くんです。その騎士を『姿をくらます薬』を使って助けたら、騎士も仲間になってくれて。最終的には三人で城に攻め入って、『真実を見抜く薬』で王妃の正体を見破るんですよ」
「王妃の正体?」
「はい。王妃の正体はなんと――」
自慢げに答えようとした私の横から、消え入るような声がした。
「…………しにがみ」




