34 精霊の泉
「カルドランに?」
翌日、お父様からの提案を早速ディーンに報告する。
「はい。レクセル侯爵も依頼の話はご存じとのことですし」
「まだ引き受けるかどうか正式には決まってないんだぞ? 軽率に会いに行ったら最後、無理難題を引き受けなきゃなんなくなるだろ」
「そこは、あまり気にしなくてもいいそうです。カルドラン側ともそれはそれ、これはこれ、ということで話はついているそうなので」
疑わしげな顔をするディーンに、カルドラン上層部が決めた荒療治について説明する。魔法薬の完成を待っていられないほど焦っているカルドランは、人見知りの激しいフィリス殿下をわざとたくさんの人に会わせて慣らすことで問題解決を目論んでいるのである。
「そんなことしても、フィリス殿下の人見知りはよくならない気がするけどな」
「かえって悪化しませんかね?」
「うーん、どうだろうな。なんにせよ、今回の件は情報が少なすぎるから」
「そう、そこなんですよ」
私はずずっとディーンとの距離を詰める。
「魔法薬を開発するにしても、フィリス殿下がなぜそこまでの人見知りに至ったのかとか現在の詳しい状況はどうなのかとか、もっと詳細な情報がないと難しいと思うんです」
「まあ、そうだな。研究所でも、個別の依頼が来たときにはかなり丁寧に聞き取りをするからな。背景や経緯を把握できていたほうが、より的確にポイントを狙いやすくなるし」
「となると、今回の訪問は必要な情報を集める絶好の機会だと思うんですよ」
「確かにな」
「そういうわけなので、しばらくご不便をおかけしますがよろしくお願いします」
「は?」
呆気に取られるディーンに、私は平然と答える。
「レクセル侯爵の公式訪問は五日間の予定なんだそうです。移動時間も含めると一週間ちょっとはかかると思いますので、その間学園には来られません。私がいなくてもさほど影響はないと思うんですけど――」
「待て待て。お前、一人でついて行く気か?」
「そうですけど」
「一週間以上もお前に会えなくて、この俺が平気でいられると思うのか?」
「は?」
今度は私が呆気に取られる番である。
「何言ってるんですか? 先生には授業があるじゃないですか」
「そんなのいくらでも調整するよ。そもそも俺、有給休暇が溜まってるし」
「はあ?」
「お前を一人で隣国に行かせるほうが、気になって授業にならないし」
「何言ってるんですか? 一人で行くわけじゃないんですよ? レクセル侯爵をはじめとした、公式の訪問団と一緒に――」
「それはそうだろうけど、俺も行く。ルーシェルと離れたくない」
「えー?」
「そうと決まれば、早速学園長の許可をもらってくるよ」
「え、ちょっと、先生!」
ひらりと研究室を出て行った先生は、あっという間に学園長の許可をもぎ取ってきた。なんという仕事の早さ。
ロヴィーサ様やシモン様からも「仲良く行って来て」なんて言われてしまうし、お父様はお父様で「お前が行くと言えばディーンもついて行くと思っていた」なんて真顔で言い切るし、そんなこんなで翌週には隣国カルドランへと向かったのである。
◇◆◇◆◇
隣国カルドランは、我がリネイセル王国の南側に位置している。
海に面した国土は一年中温暖な気候に恵まれ、人々は明るく陽気で、親しみやすく開放的な性格だと言われている。
そのカルドランへの道中、レクセル侯爵は第三王子フィリス殿下について詳しく教えてくれた。
「フィリス殿下のお母上、ヒスイ様は東方の小国の王女でね。その可憐で慎ましやかな容姿から『精霊姫』と呼ばれていたんだよ」
「東方の小国とは、精霊王降臨の地とされる神秘の国シェイロンですか?」
私が尋ねると、侯爵は「さすが、よく知ってるね」と破顔する。
東方の小国シェイロンは、森と湖に囲まれた自然豊かな国である。太古の昔、精霊王がこの世界に降臨した際に浄化したと言われる湖があり、その湖から生まれた精霊の一人が我が国にある『精霊の泉』に移り住んだとされている。
「カルドラン王が各国を歴訪した際に、シェイロンでヒスイ様を見初めたらしくてね。ぜひにと請われて輿入れしたんだよ。王はヒスイ様をこれ以上ないほど溺愛し、その寵愛ぶりを知らぬ者はいなかったくらいだ」
「それなのに若くして、しかも幼子を残して亡くなられてしまうなんて……」
「さぞ無念だっただろうね。でもそれは、カルドラン王も同じだよ。ヒスイ様が亡くなられたときの嘆きようといったら、ちょっと見ていられないほどだったからね」
レクセル侯爵の温和な表情に、影が差す。
レクセル侯爵とは、かつて王子妃教育で王城に通っていた頃に何度も顔を合わせることがあった。廊下ですれ違ったときにはいつも、「ルーシェル嬢、無理はよくないですよ」なんて気さくに声をかけてくれる優しい方である。
そういえばレクセル侯爵にも、まだ十歳に満たない令息がいたはず。その上の長女セルマ様は私たちの四歳ほど年下で、才気煥発な令嬢だと聞いたことがある。
「ヒスイ様は感情が細やかで控えめなお人柄だったからね。フィリス殿下もそうした気質を受け継いだんじゃないかと思うよ。感受性が豊かで繊細だからこそ、他人に対して警戒心を抱くようになってしまったんじゃないかなあ」
「そうですよね」
「でもカルドラン王家は、とにかく人に慣れさえすれば人見知りもよくなるだろうと安易に考えているらしくてね。フィリス殿下がお住まいになる水晶宮の使用人を増やし、毎日なるべく多くの人と面会するようなスケジュールを組んだそうだよ」
「フィリス殿下が人見知りではなかったとしても、まだ六歳の王子には負担が大きすぎるんじゃないですか?」
「そうだよね。かえってストレスに感じてしまって、『人見知り』が『人嫌い』にならないといいけどなあ」
レクセル侯爵の懸念はもっともである。
かくして、カルドランに到着するとすぐに私たちは王城の一角へと通された。
カルドラン王との謁見もフィリス殿下との面会も、明日以降に予定されている。レクセル侯爵からは「今日はゆっくり休んで旅の疲れを癒してね」と言われていたから、のんびりしようかななんて思っていた矢先。
王城の女官に案内された貴賓室で、驚くべき事態に遭遇する。
「え、私たち、同じ部屋なの……?」
「マジで……?」
当たり前のように部屋へと通され、俄かに狼狽える私とディーン。
男女が同じ部屋に通されるということは、要するにそういうことである。夫婦もしくはそれと同等の関係性だと認識されているということ。
……なんで? どういうこと?
あからさまに驚きつつも、心の中ではちょっと邪な期待もしてしまう。だって、ディーンと同じ部屋で寝泊まりするということは。あんなことやこんなことが起こっちゃう可能性もあるわけで。「ど、どうなっちゃうの? 今夜!」とか密かに大騒ぎし始める気持ちを否定はできない。なんというラッキー(?)ハプニング。
でもディーンは、そうとわかると途端にとても難しい顔をした。なぜか深刻そうに顔を伏せ、こちらを見ようともしない。
微妙にただならぬ雰囲気になったのを察してくれたのだろう。案内してくれた女官が「確認してまいりますので少々お待ちを」と冷静な口調で告げてから静かに部屋を退出していく。
「な、何かの手違いでしょうけど、いきなりびっくりしますね」
あたふたする胸のうちを誤魔化すように、私は平静を装った。
でもディーンは私に目を向けることなく、「ああ……」と言ったきり、押し黙る。
…………え?
なんなの、その反応……?
ディーンの様子に言い知れぬ違和感を覚えた数分後、レクセル侯爵が颯爽と現れる。
「どうかしたのかな?」
「いえ、あの、私たち、一緒の部屋に案内されまして……」
しどろもどろになりながらもなんとか答えると、侯爵は待ってましたとばかりににっこりと微笑む。
「そのほうがいいのかなと思ってね」
「え?」
なぜか訳知り顔な侯爵は、この緊急事態に至る経緯を得意げに説明する。
「君たちが熱烈に愛し合っているということは、実は娘からも聞いていてね」
「は?」
「ディーン殿は、卒業式の日に公衆の面前で堂々とプロポーズしたそうじゃないか。娘が言うには、そのロマンチックな光景に感激して涙する令嬢が後を絶たなかったらしいよ」
え? そうなの?
「しかし、君たちの婚約が決まったなんて話は一切ないだろう? これは恐らく、子煩悩で口うるさいフォルシウス侯爵があれこれ難癖をつけて君たちの婚約を阻んでいるのではないかと思ってね」
……え。
「だからさ。宰相の目を盗むには、絶好の機会だと思ったんだよ」
茶目っ気たっぷりにウインクするレクセル侯爵には、言えなかった。
侯爵ともあろう人が、なんだかいろいろと盛大な勘違いをしているということを。




