32 勇気百倍薬②
手分けして書庫の二階を探索し始めたのはいいのだけど、なにせ数が半端ない。
途中で研究所から急遽帰ってきてくれたシモン様も参戦し、四人で手当たり次第に本棚を調べて回る。
人見知りそのものの改善を目指した魔法薬の調合法があれば一番いいのだけど、それに近い効果が期待される薬のアイデアでもいい。とにかく何か、ヒントになりそうな薬のレシピを探し続ける。
ようやく探索が終わったのは、ゆるやかに陽が傾きかけた頃だった。
「やっぱり、人見知りを直す魔法薬の調合レシピはないようね」
参考になるのではと集められた調合法の数々に目を通し、ロヴィーサ様がさほど落胆した様子を見せずに結論づける。
「人見知りを魔法薬でなんとかしようなんて、普通は思わないものね。成長すれば多少なりとも落ち着く場合が多いわけだし」
「カルドランの第三王子だって、放っとけばそのうち良くなっていくんじゃないのか?」
人見知り経験のあるディーンがそう言うと、シモン様が渋い顔をしながら「いや」と答える。
「そんな悠長なことを言ってられない事情があるらしいよ」
「どんな事情ですか?」
「カルドランは西方の島国としばらくの間小競り合いを繰り返していただろう? 最近になってやっと和平協定が成立したけど、その仲介役を買って出てくれた国があってね。その国の幼い姫と第三王子との縁談話が浮上しているという噂だよ」
「そんな話、どこで仕入れたんですか?」
「出入りの商人たちだよ。世界を股にかける商人は情報通だからね」
さすがシモン様である。商人もすごいけど、商人たちの情報をうまく引き出すシモン様もすごい。流通・販売部門のトップはやっぱり伊達じゃない。
「そういうことなら、確かに人見知りが直るまで待ってられないだろうな」
「いざ顔合わせとなったときに誰とも話せないことが知れたら、カルドランの面目も丸潰れでしょうし」
「だったら、人見知りそのものを直すというより他人ときちんと話ができるようになることを目的とした魔法薬を開発すればいいんじゃないのか?」
「そうねえ……」
「でも宰相から聞いた第三王子の様子だと、人と話す以前の問題のような気もするんだよな」
「そうなのかい?」
「まともに話せるのは乳母だけみたいですよ。父親であるカルドラン王に対しては、震えて目も合わせられないそうで」
「それはなかなか……」
困惑した表情になるシモン様をちらりと見て、ロヴィーサ様はすっとディーンに目を向ける。
「ねえ、ディーン。人見知り経験者に聞きたいのだけど」
「なんですか?」
「幼い頃、陛下やグスタフがうちに来るたびに私の後ろに隠れていたじゃない? あれはどういう心境だったの? 恐怖? それとも恥ずかしかった?」
「うーん……」
問われたディーンは視線を左上に彷徨わせながら、ひとしきり思案する。
「あんまりはっきりとは覚えてないんだけど……。確かに怖いとか恥ずかしいとかいう感情もあった気はする。でも一番は、不安だったんじゃないかな」
「不安?」
「あの二人が怖かったというよりは、何をされるのかとか何が起こるのかとか、そういう得体の知れない状況が不安だったような……」
「不安、ねえ」
その言葉で、シモン様が何か思いついたようにちょっと顔を輝かせる。
「じゃあ、不安感を緩和するとか軽減するとか、そういう魔法薬はどうだろう?」
「『グッドラック』とか『メンタルサポート』とかみたいな?」
『グッドラック』も『メンタルサポート』も、ラウリエ研究所が生成・販売を担っている魔法薬である。不安感や緊張感を和らげたり、神経の昂ぶりやイライラを鎮めたりといった効果があるとされている。
「確かにその方向性なら行ける気がするわね」
「でもそれだけだと、人見知りに効果があるかどうか……」
「そうね。基本路線はそれでいいとしても、不安を和らげるだけじゃ人と話すまでには至らないかもね」
「うーん、じゃああと何が必要なんだ……?」
三人がそれぞれに思い悩む中、ふと何かが頭を掠める。
人見知りな人が他人と話すとき。不安と緊張に押しつぶされそうになりながら、それでも一歩踏み出すというのはきっと勇気が要る。
いざというとき、ちょっと勇気がほしいとき、背中を押してくれる薬があったとしたら。
――――あ。
「勇気百倍薬……」
「え?」
隣にいたディーンが、思わずつぶやいた私の声を拾う。
「ワンダーポジティブ?」
「アルフリーダの『ワンダーポジティブ』は、いざというときや勇気がほしいときに背中を押してくれる魔法薬でしたよね?」
「あ、ああ。未完成だけどな」
「人見知りを直すには、不安を和らげるだけじゃなくて人と向き合う勇気も要ると思うんです。だったら、たとえ未完とはいえ『ワンダーポジティブ』の生成法も参考になるんじゃないかと」
「何よその、『ワンダーポジティブ』って」
ディーンはすぐさま『ワンダーポジティブ』について説明し始める。ロヴィーサ様もシモン様もその存在は知らなかったらしく、興味津々である。
「だいぶ面白そうな薬ね」
「ただ、材料の候補を絞り切れずに開発を断念したらしい」
「候補に挙がっていた材料にはどんなものがあったの?」
「まず『精霊の泉の水』だろ、それから『火炎石』と『焔茸』、『ケルベロスの牙』もあったな。あと『火花鳥の羽』とか『火鼠の尾』もあったし、『リンネラ』とか『ベランディル』とかのハーブ類も入ってたよ」
「気力や活力を増進させるとかテンションを上げる系の材料ばかりね。全部使ったら攻撃性MAXの狂戦士になる薬ができちゃいそう」
ロヴィーサ様は軽くふっと笑ったけど、そんな薬があったら怖いしそんな薬が必要になる状況はもっと怖い。
「でもルーシェルの目の付け所は素晴らしいと思うわ。確かに不安の軽減だけじゃなくて、勇気を付与するような効果もほしいわよね」
「そういう方向性も加味しながら、もう少し考える必要があるってことかな」
シモン様の言葉に、みんなが大きく頷いている。
こうして「第一回人見知りを直す魔法薬開発検討会議」は終わり、今日のところは解散となった。
◇◆◇◆◇
その後も、私たちは隣国カルドランからの依頼に頭を悩ませていた。
学園の図書館で改めて人見知りという事象について調べてみたり、私のバイブルにして秘密兵器でもあるアルフリーダの『魔法薬素材にまつわる文学的視点』を読み返してみたり。
でもヒントになりそうなおとぎ話は載っていなかった。人見知りっぽい子どもが出てくるような話はあっても、結局誰か(大体は大人)が助けてくれたり力を貸してくれたりして危機を乗り越えてしまう。だからあまり参考にならない。
しかも研究室と図書館との往復が最近の日課になっているせいか、マリーナ嬢を見かける機会が格段に増えてしまった。この前なんか、弟のアルヴァーを追いかけてるのを目の当たりにしちゃったし。あの見境のなさは、逆に感心してしまうというかなんというか。
考えてみれば、マリーナ嬢なんて人見知りとは対極にある存在である。これはもう、マリーナ嬢を研究してみたほうがいいんじゃなかろうかと血迷ったことを考えるくらいには、八方塞がりなこの状況。
暗澹たる思いを抱えながら、研究室に帰ろうとしていたときだった。
「……ですから、お時間を取っていただいたお礼にぜひランチをご馳走させてくださいませ」
「……は?」
不機嫌極まりないといった能面顔のディーンと、そのディーンにしなしなと寄りかかろうとするお色気爆弾ことクランツ先生に遭遇した。




