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31 勇気百倍薬①

「俺たちに?」



 怪訝な顔をするディーンや私たちを前に、お父様は重々しく首肯する。



「知っての通り、カルドラン王家には三人の王子がいる。第一王子で王太子のべレグ殿下、第二王子のテイト殿下、そして第三王子のフィリス殿下だ。べレグ殿下は二十二歳、テイト殿下は十九歳だが、フィリス殿下だけはまだ六歳と幼い」

「フィリス殿下は、側妃様のお子だったかしら?」

「そうだ。上の二人は正妃様のお子だが、フィリス殿下だけは年若い側妃様のお子だ。だがその側妃様はフィリス殿下が一歳を過ぎた頃、流行り病で亡くなっている」



 その説明に何やら引っかかるものを感じて、すぐに気がついた。



 年若い側妃。年の離れた王子。早くに亡くなってしまった母親。



 ディーンを取り巻く残酷な環境を彷彿とさせて、なんだか落ち着かない。そっとディーンの顔を盗み見ても、気づいているのかいないのか、その感情は読み取れない。



「カルドラン王も幼くして母親を亡くしてしまったフィリス殿下を不憫に思い、せめて父親の愛情はしっかり注いでやろうと思っていたそうだ。しかしそんな矢先、海を隔てた西方の島国との間で交易をめぐる諍いが勃発し、両国間で武力衝突が相次いだ。その対応に追われてフィリス殿下の養育が二の次になっている間に、気づいたらフィリス殿下が困ったことになっていたらしいんだよ」

「困ったこと?」

「なんですかそれは」

「フィリス殿下の人見知りが激しすぎて、誰に対しても心を開こうとしないらしいんだ」

「え?」



 これはちょっと、想像の斜め上の展開である。



 いや、確かに、あり得る話ではある。でもカルドランの国民ってみんな明るくておおらかで毎日がお祭り騒ぎ、みたいな楽天的な性格だと聞いているから、それを考えるとなんだか意外である。



「人見知りが激しいって、それくらいのこと六歳の子どもならよくある話じゃないの?」



 子育て経験のあるロヴィーサ様が、けろりとした顔をする。



「人によってはそんな子もいるわよ?」

「でも王族で人見知りが激しいのは、ちょっとまずいだろ。王家の人間なんてあちこちに顔を出して社交性を発揮するのが仕事みたいなもんだし、第三王子ならゆくゆくは自国の高位貴族か他国の王族に婿入りすることになるんだろうし」

「そんなの、成長するにしたがって少しずつ良くなるわよ。あなただってそうだったじゃない」

「え? 俺?」

「そうよ。小さい頃は恥ずかしがって、ずっと私の後ろに隠れていたじゃないの。陛下やグスタフが顔を見に来たときだって、最初は怖がるから私も同席していたのよ。覚えてないでしょうけど」

「いや、それは、覚えてるけどさ……」

「悪いが、ディーンの人見知りとはレベルが違うんだ」



 ディーンの幼い頃の話が聞けてちょっとほっこりしてたのに、お父様は容赦なく話をぶった切る。



「まず、フィリス殿下の声は乳母しか聞いたことがない」

「は?」

「父であるカルドラン王が話しかけても震えてしまって返事ができず、目を合わせることすらできないそうだ」

「え」

「乳母以外の誰が話しかけても、大体そんな反応らしい。数人の侍女には、頷いたり首を振ったりの意思表示は辛うじてできるようだが」

「それは、だいぶ……」

「西方の島国との武力衝突が思った以上に長引いたせいで、フィリス殿下に構ってやれず結果として放置することになってしまったことが一因らしいのだが」



 『放置』と言われて、なんだか急に親近感を抱いてしまう。放置されすぎたせいで重度の人見知りになってしまった幼い王子、なんて。



「で、そんな事情を抱えるカルドラン王家から一体どんな依頼があったって言うんだよ?」



 ディーンが尋ねると、お父様は「うむ」と言いながら私たち三人を交互に見回した。



「フィリス殿下の人見知りを直す魔法薬を作ってもらえないか、ということなんだ」

「……人見知りを、魔法薬で?」



 思いがけない依頼に、ロヴィーサ様がいち早く反応する。



「そんな依頼、受けたことないわよ」

「だろうな。私だって、カルドランからの書簡を読んで驚いたよ。だがカルドランも馬鹿じゃない。王国の総力を挙げてフィリス殿下の人見知りを治すべく手を尽くしたようだが、どれもこれもうまくいかなかったらしくてな。そんなとき、ルーシェルとディーンが『ディフェンスフレグランス』なんていう突拍子もない魔法薬を発表した。あれは世界的にもずいぶんと話題を呼んでいるそうじゃないか」

「まあ、そうね」

「その噂を聞きつけて、カルドラン王家は藁をも縋る思いでこの依頼を決めたらしい」



 なんてこったい、とはこのことである。



 ハルラス殿下とマリーナ様にしつこく突撃されるのが鬱陶しすぎて、なんとかならないかと開発した『ディフェンスフレグランス』。



 それがまさか、こんな形で隣国王家の目に止まるとは。



「もちろん、新薬開発が難しいことは先方も承知している。そんな薬が果たして本当に作れるのかどうかも未知数ではあるが、我が国とカルドランの友好的な関係維持のためにはこの依頼を断ってほしくない。協力をお願いできないだろうか」



 お父様の言葉に、私たち三人はお互いの顔を見合わせる。



 それがどんなに難しいことなのか、実現可能かどうかさえ、私には見当もつかない。でも依頼されているのは私とディーンであり、ディーンがラウリエ家の人間である以上ラウリエ研究所も知らんぷりはできない。



 ロヴィーサ様は硬い表情でしばらく考え込んだあと、意を決したように顔を上げる。



「これは国家間の関係性にも影響する重大な案件だから、今すぐに返事はできないわ。シモンとも相談したいし、しばらく保留にさせてもらえないかしら」

「もちろんだ。ぜひとも前向きに検討してほしい」

「はいはい、前向きにね」



 そう言って、ロヴィーサ様はさっさと帰り支度をし始める。



「悪いけど、いろいろ調べたいことがあるからもう帰らせてもらうわよ?」

「あ、ああ」

「それから、ルーシェル嬢を少し借りるわね」

「え?」



 そんなわけで、私はなぜかそのまま、ラウリエ伯爵邸に拉致されてしまったのである。






◇◆◇◆◇






 伯爵邸の応接室に通されて、勧められるままにお茶を飲み、ひと息つく。 



「人見知りを直す薬ねえ……」



 当然、ディーンも一緒に帰ってきた。今日はもう学園での授業はないし、お父様からの呼び出しの件が終わったら一緒に出掛けようかなんて話もあったのに。それどころではなくなってしまった。



 初めてのデート……! とそわそわしていた時間を返してほしい。



「待たせてごめんなさい」



 ロヴィーサ様が応接室に現れる。研究所にいるシモン様に、急いで帰ってきてもらえるよう使いを出していたらしい。



「ひとまず、さっきの話をどうするかなんだけど」



 ロヴィーサ様は私の真向かいのソファに座り、侍女が用意したお茶を一気に飲み干した。



「もともと研究所には、こういった類の個別の依頼がよくあるのよ。その都度、過去にご先祖様の誰かが同じような薬を開発していなかったかどうか、書庫で調合レシピを探してみるの。そのうえで生成が可能かどうかを検討して、最終的な判断を下すのよ。書庫のことは、もう知っているのよね?」

「は、はい」

「なら早速、書庫の鍵を開けるわ」



 立ち上がったロヴィーサ様につられるようにして立ち上がっても、まだ状況が飲み込めない。



「えっと、あの、私も秘密の書庫に入って探すということですか?」

「そうよ。何か不都合なことでもある?」

「だって、あそこはラウリエ家にとって他言無用の秘められた聖域だと……」

「そうだけど、あなただって事実上ラウリエ家の人間でしょ?」

「え?」

「この前歓迎パーティーをしたじゃない。私たちは、あなたをディーンの人生の伴侶としてこの家に迎え入れたのよ。だから結婚はしなくても、あなたはとっくにラウリエの人間なの」



 さも当然、といった様子のロヴィーサ様に、怖気づく。



「というわけで、今から私もルーシェルと呼ぶわね」



 ロヴィーサ様は鼻歌でも歌い出しそうなほど軽やかな足取りで、応接室をするりと出て行ってしまう。



 え、いいの? マジで? と思いながら振り返ると、ディーンもうれしそうに頷いている。



 そうして私は、ディーンの手に引かれながら長い廊下をひたすら進んだ。そして突き当たった場所に現れたのは、なんの変哲もない古めかしいドア。



 でもどことなく威風堂々としたその佇まいに息を呑むと、ロヴィーサ様がドアの鍵を開ける。



「我が家の聖域へ、ようこそ」



 それは、「書庫」と言われて誰もが想像するようなサイズの部屋ではなかった。



 広い。ただただ広い。多分、世界トップレベルの蔵書を誇ると言われる学園の図書館よりも広い。しかも書庫の中は吹き抜けになっていて、二階、三階まで続く螺旋階段が中央に配されている。整然と並んだたくさんの書架と、収められた書籍や冊子の多さに圧倒されて声も出ない。



「一応、一階は治癒・回復系の魔法薬、二階は見た目に作用するものとか気持ちや行動を変える系の薬、三階はそれ以外っていう分類にはなってるんだけど」

「今回はひとまず二階だろうな」

「でしょうね」



 躊躇なく螺旋階段へ向かう二人の背中を追いながら、恋心粉砕薬も勇気百倍薬(ワンダーポジティブ)もパイバイン薬も、調合レシピはきっと二階にあったに違いない……! と一人感動に打ち震えていた。






 ……そしていつか、あわよくば、アルフリーダの日記を目にする日が来るのでは、という期待も……!













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