3 恋心粉砕薬①
それから一週間がたった。
状況は何一つ変わっていない。ハルラス様は相変わらずマリーナ様と仲睦まじく、私は存在すら忘れられ、放置されたまま。
それでもラウリエ先生の提案のことを考えると、少し気が紛れた。というか、むしろワクワクした。いちゃつくハルラス様とマリーナ様の脇を通るときにも、妙に冷静でいられた。
それに改めて見回してみると、ハルラス様の行動に対して大半の学園生たちが白い目を向けていて、不信感さえ抱いてるようだった。面と向かって非難する人はいないけど、軽蔑のまなざしを隠さない生徒も多い。
と同時に、心配そうな顔をしてちらちらと私の様子を窺っている何人もの生徒たちの存在にも気づき、なんだか救われる思いがした。
そんなある日、いよいよラウリエ先生からの呼び出しを受ける。
「お、来たな」
研究室を訪ねると、いつも通りのヨレヨレなローブを纏った先生が和やかな表情で出迎えてくれる。
そしてテーブルの上には、古びた羊皮紙やら雑にまとめられた紙の束やらがこれでもかというくらい何枚も広げられていた。
「それ全部、忘却薬の調合法だからな」
「これ全部? こんなに?」
「それでもだいぶ減らしたんだぞ。ひと通り読んでみて、明らかに危険度の高いものとか安全性が保証できないものは除外してある」
「そういうの、読むだけでわかるんですか?」
「まあ、なんとなくな。姉上も協力してくれたし」
「え、ラウリエ伯爵もですか? というか、すんなり許可してくれたんですか?」
「もちろん。姉上は俺に甘いし、ラウリエの家の者で王家をよく思ってないやつは多いからな」
そういえば、聞いたことがある。以前何かしらの確執があって、ラウリエ伯爵家と王家との関係はあまりよくはないらしい。でも魔法薬学の権威であり、さまざまな効果を持つ魔法薬を次々に生み出すラウリエ伯爵家に対して、王家は頭が上がらないんだとか。
「姉上は、むしろノリノリだったよ」
「ノリノリ、ですか?」
「詳しいことは俺も説明はしなかったが、『忘却薬を作って王家をぎゃふんと言わせたい』って話したら途端に乗り気になってな。書庫の鍵もすぐに開けてくれたし、一緒に調合法も探してくれたし、なんなら自分が予め探して取っておいた忘却薬の生成法も持ってきてくれたしな」
「……ラウリエ伯爵も、忘却薬を作ろうとしたのでしょうか?」
「『嫌な記憶をまるっと消し去りたい』なんてのは、人間の究極の願いの一つだろ?」
軽い調子で笑いながら、「だからこんなにもたくさんの調合法が考案されてきたんだよ」とテーブルの上を指差すラウリエ先生。
「まあ、この量だからな。ざっと目を通してみて、これはと思うものをじっくり探すといい」
「はい」
そう言って先生はお茶を淹れるために席を立ち、私は言われるがまま書類の束に手を伸ばす。
そこには、歴代のラウリエ家の人たちが考案した忘却薬の生成法がさまざまな筆跡と多種多様な形式で書き残されていた。あまり丁寧とは言えず、どちらかというとなぐり書きのような筆跡もあれば神経質な筆跡もあり、絵や図を用いて詳細に説明を載せているものもあれば手抜きかと思われるくらい適当な文章もある。
その中に、大きく『恋心粉砕薬』と書かれたひと際自己主張の強い表紙の冊子があった。
「『恋心粉砕薬』……?」
「ああ、それな。文字通り、相手への恋情を粉砕し霧散させる魔法薬らしい。だいぶ昔の先祖でアルフリーダ・ラウリエって人が考案したものだ」
「有名な人なんですか?」
「まあ、ラウリエ家では、わりとな。かなりぶっ飛んだ、奇抜な魔法薬をあれこれ開発した人だ」
「奇抜な魔法薬……?」
「例えば、そうだな。『老若男女変身薬』はわかるだろ? 通称『メタモル薬』とも言うが」
「もちろんです。見た目をまったくの別人に変えられる魔法薬ですよね? 希少な素材でもある『七色サンゴ』とか『月光石』とかをふんだんに使って調合する、特級レベルの」
「ああ。あれを最初に生み出した人だ。まあ、アルフリーダ自身は動物に変身できる薬を作ろうとしていたらしいんだが」
「動物にですか……?」
「飼い猫と話がしたかったらしい」
本当に、だいぶぶっ飛んだ人らしい。アルフリーダ様。
「ちなみにアルフリーダはその後、服用すれば一定時間特定の動物との意思疎通が可能になる魔法薬『アニマル・トーク』を開発したんだ」
「賢明な方向にシフトチェンジされたようですね」
「意表を突いた風変わりな魔法薬を数多く開発したんで、『異端の天才』とか言われててな。授業中とか静かな場所で急に腹が鳴るのを防ぐ『ぐーぐーストップ薬』とか、どんなにまずい飲み物でも一滴たらせばおいしくなる『なんでも美味エッセンス』とかさ」
え、何それ。それこそ、先生の微妙にまずい紅茶に必要じゃない。ほしい。
「『恋心粉砕薬』は厳密に言えば忘却薬ではないが、お前がほしいと言ってた薬の効能に近いかと思ってさ。それで、調合法を持ってきた」
先生の言葉に、私はふと考え込む。
確かに、消し去りたいのはハルラス様への想いと二人で過ごした過去の記憶。それさえなくなれば、忘れてしまえれば、楽になれると漠然と思った。でも過去の記憶は残ったとしても、ハルラス様への恋心だけをきれいさっぱりなくしてしまえるのなら。
そのほうがいいのかもしれない、と思う。
どうせこの婚約からは逃げられない。この先ハルラス様と結婚し、王妃として生きることになったとしても、これは自分の役割だからと逆に割り切ることができるような気がする。
そこに恋情が伴わなければ、「王妃」という立場もあくまで国のため、民のための「仕事」だと淡々と受け止めることができるんじゃないだろうか。
想い合う相手と幸せな時間を過ごす未来は断たれてしまうけど。それでも今のこの状況よりは、ずっとずっとマシである。
「先生。私、これを作ってみたいです」
ゆっくり顔を上げると、先生のラベンダー色の瞳が優しく頷く。
「いいんじゃね? アルフリーダの魔法薬なら生成も成功してるようだし、効果も実証済みだし」
「そうなんですか?」
「あ、いや、まあ……」
なぜだか急に挙動不審になった先生は、「今更隠すことでもねえか」と独り言ちる。
「実はな、アルフリーダは自分の書いた日記も書庫に残しててな」
「日記?」
「学園に入学してから死ぬまでの間ずっと、日記を書いてたらしいんだ。自分の死後、たくさんの調合法と併せて日記も書庫に保管しておくよう指示したそうだ。どうやって数々の魔法薬を考案し、どう試行錯誤したか、その失敗と成功の詳細をあとに続く子孫のために残しておきたいと」
「……研究と実践に生きた方だったのですね」
「まあ、こう言えば聞こえはいいんだが、中身はとんでもないぞ。なんせ私的な日記だからな。その辺の恋愛小説よりリアルで読みごたえがある。しかも生々しい。恥ずかしげもなくあんなもの残して、ほんと馬鹿なんだか天才なんだか……」
「読んだんですか?」
「ちらっとな」
内容を思い出したのか、ラウリエ先生は心なしか気まずそうに頬を赤らめる。
え、何それ。ちょっと。私も読んでみたいんだけど。
「日記によると、アルフリーダ自身も婚約者に裏切られたことが原因で、最終的には婚約解消に至っている。婚約者に対する恋情を捨てきれなかったアルフリーダは『恋心粉砕薬』の生成を思いつき、試行錯誤を重ねたらしい。そしてとうとう、調合に成功する」
「……なんだかとても、親近感を覚えます」
「そう言うと思った」
ふっと小さく笑って、ラウリエ先生は冊子に目を落とす。
「必要な材料も調合法も、その冊子に詳しく書いてある。ただ、高価で入手が難しいものもあるんだよな」
「ちょっと待ってください」
私は冊子をぱらぱらとめくり、すぐさま材料が書かれてあるページを開く。
「えーと、読みます。
・『ハーブ回復薬』
・『宵待ち草の根』
・『憂い草の朝露二滴(ただししっかりと朝日を浴びたもの)』
・『ハナミノカサゴの毒棘三本』
・『ガーゴイルの角(の粉末)』
だそうですけど……」
一つひとつの材料を読んでいくうちに、どんどん渋い顔になってしまう。
だってこれ、相当入手困難な材料ばかりじゃない? 特級レベル以上の魔法薬の材料になる魔物系素材までちゃっかり入ってるし。
「『ハーブポーション』は二年生のときの実習で何度か作ったから、作れるだろ?」
「そう、ですね。多分……」
「『宵待ち草の根』も学園内の森で採取可能だから、薬草学の授業のときに取ってくればいい」
「……はい」
「問題は、後半の三つだが」
「でも先生、どれも当然薬問屋では売ってないですよね?」
「まあな」
と言いながら、先生は本棚の奥に見え隠れするドアのほうに目を向ける。
「最後の二つは、普通の薬問屋では扱ってない希少な材料だってことはわかるよな?」
「はい」
「でも実は、奥の調合室に厳重に保管してあるんだ」
「え、あるんですか?」
「あるよ」
事もなげにそう言って、先生はちょっと勝ち誇ったような顔をする。
「でも無料ってわけにはいかないからな。それ相応の対価は支払ってもらうが」
「……お金ですか?」
「教師が生徒に金をせびってどうすんだよ」
「……じゃあ、お金以外?」
「そこは追々考えるにしてもだ、問題は三つ目なんだよな」
「三つ目? 『憂い草の朝露』ですか?」
「ああ。憂い草なんて王都でも限られた場所にしか自生してないし、朝日を充分に浴びた朝露を採取するためには日の出前からそこでスタンバってる必要がある。お前、それができるか?」
え、何それ。
一般的な貴族令嬢に、そのミッションは無理ですよ、先生……。