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29 金と銀

 新学期がやってきた。



 つい先日まで生徒として通っていたこの学園に、今日からディーンの助手として通うことになる。



 ずっと先生と一緒にいられて、そのうえ魔法薬の研究も一緒にできるなんて、もううれしいしかない。ついニヤニヤしてしまう。



 だらしないほど頬が緩みきっている私を、弟のアルヴァーはなんとも言えない表情で(いや、多分だいぶ呆れて)眺めている。



「これからは毎日先生が迎えに来るんでしょ?」

「そうみたい」

「でも学園ではあんまりいちゃいちゃしすぎないでよ? 去年のハルラス殿下みたいになるよ」

「わ、わかってるわよ」



 弟の手厳しい指摘に、ぐうの音も出ない。



 確かに、所かまわずいちゃいちゃしすぎてまわりからドン引きされたら居たたまれない。去年のハルラス殿下に向けられていた無数の冷たい目を思い出して、軽く身震いする。



 ちなみに、ハルラス殿下の婚約者はまだ決まっていない。



 殿下自身はすでに第一王子としての公務を始めているそうだけど、婚約者のいない現状ではいろいろと肩身が狭いだろう。国内で相手を見つけるのはもう難しいと判断したお偉方(お父様含む)が、他国に目を向け始めたという話も聞こえてきている。



「おはよう、ルーシェル」



 到着した馬車から颯爽と降りた人物を見て、私は目を疑った。



「え、だれ?」

「俺だよ。わかるだろ」

「いやいや、わかんないって。ねえ、アルヴァー」

「え、先生どうしちゃったんですか?」 



 目の前に立つのは、あのもっさりボサボサ、野暮ったいおじさん眼鏡の冴えない非モテ先生ではない。



 艶のあるアッシュブロンドの髪はやや長めながらもきれいにカットされ、眼鏡はなく、無精髭もなく、シンプルなシャツとトラウザーズはパリッと上品で、とにかくいつものヨレヨレッとした先生ではない。



「新学期だし、今日からルーシェルも一緒だし、ちょっとはきれいにしようかと思っただけだよ」

「いや、ちょっとどころじゃないから。別人だから」

「ほんと、化けるものですねー」

「つーか君たち、少しは褒めろよ」

「ラウリエ先生って、ちゃんとしたらそこそこ格好いいんですね」

「アルヴァー、なんだその褒め方は」



 弟と先生はわちゃわちゃとふざけ合っているけど、私はなんだか複雑な気分だった。



 先生が格好いいのは、知っている。ダサくて小汚い風貌もいい加減で面倒くさがりな性格も、すべては他人を不用意に近づけず、一定の距離を保つためだったのだから。



 そんな演技の必要性がなくなって、本来の素のディーン・ラウリエに戻っただけなんだろうけど。



 でも先生の本当の格好よさを知ってるのは、私だけだったのに。なんて思ったら、やっぱり複雑な気分である。先生の見目麗しさに気づいちゃう人だって、たくさんいるだろうし。



 なんとなく釈然としない思いで小さく息を吐くと、アルヴァーに褒められてまんざらでもない様子の先生と目が合う。



「ルーシェルは褒めてくれないのか?」

「……前のほうがよかった」

「え!?」



 盛大に驚いて、「マジで?」とか「え、なんで?」とか言ってる先生を置き去りにして、私はさっさと馬車に乗り込んだ。







 出勤一日目は、まず学園長のところへ行って挨拶をし、職員室に行って挨拶をし、ちょっと偉い先生たちの研究室を一つひとつ訪ねて挨拶をし、挨拶だけで午前中が終わってしまった。



 学園長をはじめ、ほとんどの先生はついこの間まで学園(ここ)の生徒だった私を知っているから「またよろしくな」とか「暇なときはうちの研究室にも手伝いにきてほしいわ」とか気さくに声をかけてくれてうれしかったのだけど、私と同じようにこの春から学園に勤める若手の先生の中には早速ディーンに色目を使う人もいて、だいぶモヤっとした。



 魔法薬学の研究室に戻ってくると、私はどさりとソファに倒れ込む。



「疲れたよな?」



 ディーンは私の挨拶回りにずっとついてきてくれたのに、疲れた様子も見せずてきぱきとお茶の準備をし始める。



「まあ、あとは特にすることもないし、ゆっくりくつろいでろよ」



 今日は新学期初日だし、授業はない。生徒たちもお昼すぎには帰宅することになっている。



 モヤモヤっとした気持ちを持て余しながら、私はぼんやりとディーンに目を向ける。きれいに整えられた髪は生来の輝きを取り戻し、金にも銀にも見える華やかさにほうっとなってしまう。



 なんか格好よすぎて、うれしいような、うれしくないような。



 とりあえず気を取り直し、ディーンの淹れてくれた紅茶でも飲もうかと手を伸ばしたときだった。



 不意に、研究室のドアをノックする軽やかな音が響く。



「ん? 誰だ?」



 返事をしながらディーンがドアを開けると、そこに立っていたのは。



「え、ギルロス殿下?」

「ラウリエ先生、はじめまして。ルーシェル嬢もお久しぶりです」



 それはハルラス殿下の六歳年下、第二王子のギルロス殿下だった。



「あ、そうか、殿下は今年学園に入学されたのですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます。これからお世話になります」



 久しぶりに会ったギルロス殿下は、ハルラス殿下を彷彿とさせる濃い金髪にペリドットの瞳であどけない笑顔を見せる。



 まだハルラス殿下の婚約者だった時代、王子妃教育で王城を訪れると時折顔を合わせることもあったギルロス殿下。



 少し年が離れているせいかハルラス殿下との兄弟仲は良くもなく悪くもなく、なんとなく微妙な印象すらあったけど、なぜか私には懐いてくれたことを思い出す。



「ギルロス殿下、ご入学おめでとうございます。私もディーン先生の助手としてこの研究室に勤めることになりましたので、またよろしくお願いしますね」



 初めて人前で「ディーン先生」と呼ぶことになって、内心「きゃっ!」なんて悶絶している私を見返しながら、ギルロス殿下が突然険しい表情になる。



「ルーシェル嬢、この度は兄上が本当にご迷惑をおかけしました」

「え……?」

「兄上の醜態については、かねてより耳にしていたのです。詳しいことはわからないまでも、姉上を蔑ろにするようなことがあってはならないと繰り返し兄上には忠告していたのに……。全然聞き入れてくれなくて……」



 そういえば、ギルロス殿下って私のこと「姉上」って呼んでたっけ。いずれそうなるのですから、なんて言われて、私もその頃はハルラス殿下が好きだったから「姉上」と呼ばれることにむしろ舞い上がってたっけ。



 そんな時代もあったわね、と若干遠い目になってしまう。



「兄上と姉上の婚約が解消になったとき、実は僕と婚約を結び直すという話もあったのです。でも年が少し離れているということで、結局実現はせず……」

「そうだったのですか?」



 まったくの初耳である。絶対に知っていたはずのお父様は、わざと何も言わなかったに違いない。



「僕としては、姉上、いえルーシェル嬢と婚約を結んでもいいと思っていたのですが……」



 その言葉で、なんだか急に部屋の温度がぐぐっと下がった気がした。



 と思ったらディーンが私の隣に座って距離を詰め、なんなら腰にも手を回し、取ってつけたような笑みで話し出す。



「それは残念でしたね、殿下。すでにお聞き及びかと思いますが、私たちは恋人同士でしてね」

「え?」

「まだ婚約には至っておりませんが、双方の家も了承済みの間柄でして」

「え」



 そう言われて、殿下は私の左手の薬指に光る指輪に気づいたらしい。あのプロポーズの日から肌身離さず身につけているリッセの石の指輪が、その存在感を主張する。



「あ、ああ、そうだったのですね……」



 心なしかがっかりしているようにも見える殿下に対してドヤ顔を決め、ディーンはわざとらしく私のこめかみにちゅ、とキスをする。



 ……幼い殿下相手に、やりすぎじゃないかしらこの人は。



「ぼ、僕は、ルーシェル嬢が幸せなら、いいのです」



 ギルロス殿下は慌てた様子で首を振りながらも、真っ赤になっている。そりゃそうだ。見せつけてどうする。



「とにかく、僕はルーシェル嬢に謝りたくて。それと、義理のきょうだいになれなかったことがやっぱり残念で……」

「そう言っていただけるのは、素直にうれしいです。殿下も学園で素敵な令嬢に出会えるといいですね」



 ギルロス殿下のお相手は、学園在学中に決めることになっている。いつのまにか、こんなに前途有望な少年に成長したのだもの。もしかしたらハルラス殿下より先に、婚約者が決まってしまうかもしれない。そうなったらますますハルラス殿下は肩身の狭い思いをするのかもしれない。



 お気の毒に。















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