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26 宵闇の夢②(ディーンside)

「お前がうちに来るなんて、珍しいな」



 バーリエル侯爵家の離れに着くと、従兄弟のユリウスがうれしそうに相好を崩す。



「今日はゆっくりできるんだろ?」

「一応、明日は休みをもらってきたからな」

「だからって、二人とも羽目を外しすぎないでよ」



 ユリウスの妻ブレンダに釘を刺され、俺たちは苦笑するしかない。



 ユリウスはわりと律儀にラウリエ家の材料採取に参加するが、前日から泊まって二人で飲み明かすこともしょっちゅうである。ひどい二日酔いの状態で材料採取に出かけ、姉上にこっぴどく叱られるなんてことも昔は珍しくなかった。



 ルーシェルを連れて行った日はさすがにそんなことはしなかったが。



 若かりし頃の失態を数多く知っているブレンダは、「もういい大人なんだから、自重してよ?」と笑いながら客間を出て行く。



 ユリウスは一昨年婚約者のブレンダと結婚し、この離れで生活するようになっていた。ブレンダは俺たちの三歳年下だが、しっかり者で面倒見もよく、「どっちが年上なのかしら」と姉上もよく嘆いている。



「で? 何かあったのか?」



 ワインを開けたユリウスは、興味津々といった様子で少し前のめりになる。



「あった、と言えばあった」

「なんだよ?」

「好きな相手ができた」



 こんなシチュエーションは考えたことがなかったから、どういう顔をすればいいのかまるでわからない。でもとりあえず、ユリウスの顔を直視できない。



 顔を背けつつぶっきら棒な口調になると、ユリウスがぽかんとしている。



「好きな相手? マジか? 誰だよ?」

「……ルーシェルだよ。ルーシェル・フォルシウス」

「……あー……!」



 一瞬で納得した顔になって、何度も大きく頷くユリウス。



「やっぱりなー。そうなるんじゃないかと思ってたんだよな」

「……材料採取に連れて行ったからか?」

「まあ、そうだな。あんな小娘に肩入れするなんてお前らしくもない、とは思ったな。でもあのときさ、お前たち妙に二人でこそこそしてて、いちゃいちゃしてるように見えたんだよなー」

「は? あのときは別に――」



 好きというわけではなかったと言いかけて、いや、どうだっただろうと考え込んでしまう。否定はできない、ような気がする。



「ちょっと年は離れてるけどいいんじゃないか? あの子、第一王子との婚約が解消になったんだろ?」

「ああ」

「宰相の娘で才色兼備と評判の令嬢が突然フリーになったとあれば、さぞ引く手数多だろうしな。早くどうにかしないと誰かにかっさらわれるぞ」

「……いや、そういうつもりはない」



 その言葉に、ユリウスはわかりやすく眉を顰める。



「どういう意味だよ?」

「知ってるだろ? 俺が誰とも結婚する気がないって」

「いや、そうだけどさ。でも好きなんだろ?」

「ああ」

「じゃあどうするつもりなんだよ?」

「……それを相談しに来たんじゃないか」



 無愛想に言い捨てると、ユリウスはますます渋い顔をする。



「だったらさ、もうこの際、陛下や宰相が言うように王族だってことを公表したらどうだ? そうすればなんの問題もなくなるだろ」

「それが嫌だからこうして悩んでるんだよ」

「まあ、お前が王族になったらつまんなくなるだろうから、俺も嫌だなー」



 今まで通りには会えなくなるだろうしな、なんて言いながら、ユリウスは肩をすくめる。



「そもそも、俺なんかが人を好きになるべきじゃなかったんだよ。それなのに……」

「いや、お前、こういうのは不可抗力だろ。落ちるときは落ちるものなんだよ」

「落ちる? 何に?」

「恋に決まってるだろ?」

「……お前がそんな気障なセリフを言うなんて……」

「うるさいよ、ディーンくん」



 けらけらと二人で笑う。



 でもどうしたって、どんよりと重い空気は振り払えない。



「……ルーシェルには、幸せになってほしいんだよ」



 ぽつりと、つぶやく。



 ルーシェルの無防備な笑顔が、頭に浮かぶ。



「あいつは今まで、ずっとがんばってきたんだよ。時には自分を犠牲にして、言いたいことも我慢して殿下に放置されても一人で耐えて、ようやくそのすべてから解放されたんだ。あいつはこれから、いくらでも幸せになれるはずなんだよ」

「……まあ、そうだな」

「でも俺じゃ、幸せにできないんだ。結婚する気はないのにそばにいてほしいだなんて、そんな勝手なこと言えないだろ? だからこれ以上好きにならないように距離を置こうとしてるのに、うまくいかない。『もう研究室には来るな』って言うべきだとわかってるのに、あいつが来るとうれしくたまらない」

「……そうか」

「優しくしちゃダメだと思って不自然に素っ気ない態度になって、あとで自己嫌悪に陥って、それなのにあいつが男友達と仲良くしてるの見ると無性に腹立つし」

「……拗らせてんなあ」

「もうどうしたらいいのかわかんねえよ」

「……そうだな」



 俺の一人語りにひとしきり耳を傾けていたユリウスは、しばらく黙って思案顔をしていた。それから手にしていたワイングラスをテーブルに置いて、口を開く。



「別に、いいんじゃないか?」

「何が?」

「お前、これ以上好きになっちゃダメだとか諦めようとか思っていろいろやってるみたいけど、失敗しまくりなんだろ?」

「あ? ああ」

「そもそもそんなの無理だと思うよ。今のお前、ルーシェル嬢が好きで好きで仕方ないって顔してるし」

「え」



 驚きと恥ずかしさで、ユリウスの顔を凝視してしまう。ユリウスは心なしか楽しそうな、それでいてどこかやりきれないような、なんとも言えない顔をする。



「好きなら好きで、いいじゃないか。別に悪いことじゃないんだし」

「でも……!」

「想うだけなら、構わないだろ?」

「え?」

「密かに想い続けるだけなら、誰にも咎められない。自分は幸せにしてやれないって言うならずっと近くにいて、見守ってやればいいじゃないか」

「あ……」



 ユリウスの言葉が、唐突に胸に響く。



 そして思いのほか、しっくり馴染んだ。



 好きだからこそ、幸せになってほしい。



 好きだけど、幸せにはできない。



 矛盾した心はひび割れて、答えの見つからない苦しさにずっと喘いでいたのに。



 でもなんだか急に呼吸の仕方を思い出したような、やっと深い眠りから目が覚めたような、そんな気さえする。






 翌日。



 学園の仕事は休みをもらっていたものの、ふと思い立って研究室に寄った。



 ドアを開けるとなぜかソファで眠っているルーシェルがいきなり視界に入ってきて、慌てふためく。



 俺が来るのを待っていたのだろうか。休むことを伝えてなかったなと思いつつ、それ以前に最近はまともに話そうとしていなかったと悔いる。



 そっとソファに近づくと、すうすうと健やかな寝息をたてるルーシェル。



「お前はほんとにさ……」



 誰のせいで俺がこんなに悩んでると思ってんだよ。まったく、呑気なやつだな。



 なんて心の中で毒づきながらも、そんなルーシェルが可愛くて愛しくてたまらない。



 奥の調合室から毛布を持ってきて、静かに掛けてやっても起きる気配はない。



「ルーシェル」



 しゃがみ込んで、そのあどけない寝顔に見入る。透き通る肌も、閉じたまぶたも、いつもは生意気なことばかり言う唇も、そのすべてが愛おしくて手を伸ばしたくなる。



 でも。



「俺がずっと、お前を守ってやるよ」



 その手を取ることはできなくても。



 この狂おしい想いを伝えることは叶わなくても。



 すぐそばで、ずっと見守っていきたい。



「好きだよ、ルーシェル」



 切ない愛の告白は、密やかに夕闇の中へと溶けていった。



 



 






 



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