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23 太陽石

 じっくり考えろと言われて家に帰された私は、またしても自室のソファにだらしなく座っていた。



 あまりにもいろんなことが立て続けに起こって、しかも超重要機密事項まで聞かされて、ちょっと処理しきれずにいる。そりゃそうだ。さっきまで私は失意のどん底で、ウイアル公国に逃げるための推薦書を先生に書いてもらおうとしていたんだもの。それなのに、なんとまあ。とんでもないことになった。



 私を抱きしめる腕の感触を思い出して、また顔が沸騰する。



 思いもよらない甘い言葉の数々が不意に頭の中を駆け巡って、うれしい反面恥ずかしくて、身悶えしてしまう。



 と同時に、先生の秘められた真実を考えると、言いようのない切なさに襲われる。



 悲劇ともいえる残酷な生い立ちを受け入れて、それでも自分なりの人生を歩み出すまでどれほどの苦悩と葛藤を乗り越えたのか。想像もできない。



 そうして最後には人並みの幸せを諦めて、たった一人で生きていこうとしていたなんて。



 あのあと先生が暗いまなざしで話した言葉が、また頭をよぎる。



『だから俺は、常に他人との距離を保って必要以上に踏み込まないよう生きてきたんだよ。誰かを好きになるつもりはなかったし、色恋なんて自分には無縁のものだとずっと思ってきた。でもお前に会って、お前がもうどうしようもなく可愛くて、その気持ちに抗うことはできなかったんだ。想うだけなら許されるだろうと言い訳しながら、すぐそばでお前を見守っていこうと心に決めていた。それなのに手を伸ばしてしまったことは、ほんとに悪いと思ってる。でもお前まで、俺の地獄につき合う必要はないんだ』



 ――――地獄。



 本当は、考えるまでもなかった。私の心はすでに決まっていた。



 先生が地獄を生きるというのなら、私もそれを受け入れる。そばにいたい。ずっと一緒にいたい。先生が私を好きでいてくれるのに、その手を放すなんてできるわけがない。



 私だって先生の幸せを願っているし、できれば私が幸せにしたいんだもの。



 がばりとソファから立ち上がった私は、そのままの勢いで廊下に出た。



 そして真っすぐ、お父様の執務室に向かう。ハルラス殿下との婚約が解消になって以降、お父様は仕事優先だった生活を反省したのか以前よりも早く帰宅するようになっている。



 執務室のドアをノックすると、「どうぞ」という素っ気ないが聞こえた。



「お父様。お話があるのですが」



 ドアを開けると、いつものように執務机に向かっていたお父様が顔を上げる。



「ルーシェルか? どうした?」



 入りなさい、と目で促して、立ち上がるお父様。ただならぬ雰囲気を察してくれたのか、ソファに座るよう勧めながら廊下にいた侍女にお茶の用意を命じている。



 人払いをお願いしてから、私は早速切り出した。



「先生、いえディーン・ラウリエ先生からお話を聞きました」

「ディーンから? なんの話だ?」

「先生が、本当は何者なのかという話です」

「それは……」



 お父様は目を見開いて、私を凝視する。



「本人が話したのか?」

「はい」

「……まあ、こうなるような気はしていたが」



 お父様はゆっくりとティーカップを口元に運び、ひと口飲んでから深々とため息をつく。



「卒業してもお前には助手として自分の研究室に残ってもらいたいなどとあいつが言いに来たとき、私は聞いたんだよ。『あなたはもしや、ルーシェルのことをただの生徒としてではなく一人の女性として見ているのですか?』とね。そうしたらディーンのやつ、『ルーシェルが望むことならなんでもしてあげたいと思うくらいには、大事な存在だ』などとぬかしおって」



 え? 先生ってば、そんなこと言ってたの?



 急激に赤みを増していく頬を自覚しつつ、素朴な疑問が口をついて出る。



「あの、お父様と先生って、意外に気安い間柄なのですか? 先生のことを呼び捨てにしたりして」

「まあ、そうだな。最初は一応王族ということもあって『様』だの『殿下』だのつけて呼んでいたんだが、『不自然だから呼び捨てでいい』と言われてな。あいつのことは、陛下が昔からだいぶ気にかけていたから接する機会も多かったんだよ」

「陛下が?」

「お前も先王陛下の悪評は知っているだろう? 陛下は幼い頃から父である先王陛下を軽蔑し、忌み嫌っていると言っていいほどだった。そんなとき王太后陛下からディーンの誕生を聞かされたらしくてな。十二、いや十三歳の頃だったか。父親の暴挙の末に生まれた年の離れた弟の存在を不憫に思ったのだろう、何かと声をかけては顔を合わせていたよ」

「え、じゃあ、先生と陛下も意外に兄弟仲は悪くないのですか?」

「先王陛下には側妃が何人もいたが、生まれた子どもは全員女児だったからな。単純に弟ができてうれしい気持ちもあったんだよ、陛下は」

「へえ」

「ディーンのほうは、ちょっと鬱陶しく思っていただろうがな」



 そう言って、お父様は少し頬を緩める。



「じゃあお父様は、先生が一生結婚しないつもりでいることも知っていたのですか?」

「ああ、そうだな」



 どこか物憂げな表情で、視線を下に向けるお父様。



「これまでにも何度か、あいつに婚約を勧める機会はあったからな。でもそのたびに『この血はここで終わらせるべきだ』と言い張って聞かなかった。陛下も私も、ロヴィーサや王太后陛下だって先王陛下の罪を背負って生きていく必要はないと再三話してきたんだが」



 力のない声が、「本当に頑ななやつだよ」とつぶやく。



「ディーンがお前を大事な存在だと言ったとき、『それほど大切だと思うなら、あなたがルーシェルを娶ればいいのですよ』と言ってやったんだ。でもあいつは、『大切だからこそ、この気持ちを伝えるつもりはない』『俺の地獄にルーシェルを引きずり込むわけにはいかない』なんて言い返してきやがった」



 忌々しそうな表情は、お父様の優しさの裏返しなのだと容易に推測できる。私はこれまで、本当に何も見えてはいなかったのだと気づかされる。



「お父様」



 すっと背筋を伸ばして、向かい側に座るお父様をじっと見つめた。



「お父様は以前、これからは私の好きにしていいとおっしゃいましたよね?」

「ああ、言ったが……」

「私はラウリエ先生と一緒に生きていくつもりでいます」

「……え?」

「私も先生のことが好きだとわかったから、先生は自分の秘密を教えてくれたんです。でも俺は婚約も結婚もする気はない、それでもいいのかちゃんと考えろと言われて」

「……まあ、あいつならそう言うだろうな」

「私にとっては、先生のそばにいることが何より大事なことなんです。先生のためならなんでもしてあげたいし、結婚しなくてもそばにいられるのなら私はそうしたい。お父様、それでもいいですか?」



 自分自身を奮い立たせるように、殊更はっきりとした口調で尋ねる。



 呆然と私を見つめ返すお父様は、また深々と大きなため息をつく。



「……侯爵家の令嬢が結婚しないなんて、それがどんなに常識はずれなことなのかわかっているのだろうな?」

「はい。もちろんです」

「口さがないやつらに陰口を叩かれることになっても、いつかディーンに捨てられたとしても、誰にも文句は言えないのだぞ」

「わかっています」

「……お前がそこまで望んでいることを、この私が突っぱねられると思うか?」



 慈愛に満ちた目は、それでも私の行く末を案じて少し潤んでいた。



 その憂いを払うように、私はわざとにこやかに微笑む。



「もしも先生が心変わりしたとしても、私には魔法薬がありますから。魔法薬に携わることを生業として生きていきます」



 きっぱりと言い切ると、お父様は一旦目を閉じて、それから諦観の表情を見せる。



「お前がそこまで言うのなら、もう何も言うことはない」

「お父様……」

「ただ一つ、話しておきたいことがある」



 手にしていたティーカップをソーサーに戻したお父様は、父親というよりは冷徹な宰相の顔を覗かせる。



「これは、ディーンにも幾度となく話してきたことだが」

「はい」

「ディーンが王族であることを公表さえすれば、婚姻し、子どもを得ることになんの支障もなくなるのだよ。王弟として、正式に王族の仲間入りを果たせばいいだけのことなんだ。でもあいつは、政治的な混乱を招きかねないとそれを拒み続けている」

「そう言ってました」

「自分が王族の一員だということに複雑な葛藤を抱いているだろうから、それもまた仕方のないことではあるのだがな。それに、あいつが王族であると証明することは容易でも、社会的にすんなり受け入れられるとは限らない。余計な詮索やらやっかみやら悪意ある誹謗中傷にさらされることになるだろうし、お前をそんな厄介ごとに巻き込みたくないと思うあいつの気持ちもわからないではない」

「……はい」

「だが、どこかに突破口があるのではないかと私は思っているんだよ」

「突破口、ですか?」

「そうだ。このどうにもならない膠着した状況を打破し、誰一人犠牲になることなくそれぞれの幸せを得る道が、どこかにあるんじゃないかとね。ルーシェル、お前がそれを見つけてくれないか?」



 期待を宿した目で私を見返すお父様。



 それは太陽の欠片と言われる鉱石系素材『太陽石』を見つけるのと同じくらい、高難度のミッションなのでは、なんて言葉はさすがに言えなかった。












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