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22 ラベンダーの瞳

「俺はお前と、婚約も結婚もできない」



 思いもしなかった衝撃的な告白にさらされただけでも、充分キャパオーバーだというのに。



 そんなことを言われたら、ますます理解が追いつかない。



「えっと、それは、先生と私が学園の教師と生徒という関係だからですか……?」

「いやまあ、確かに教え子に手を出すのはまずいと思うけど、お前も来月には卒業するんだし、そこはギリセーフじゃないか?」



 ちょっとバツが悪そうに、鼻の頭を掻く先生。



 まあ、コンプライアンス的には(?)微妙なところだけど。ギリセーフということにしておこう。うん。



「じゃあ、あれですか? 先生はもう、私ではなくほかのどなたかとの婚約が決まっているとか? ロヴィーサ様もそんなようなことおっしゃってたみたいだし」

「いや、姉上が言ってたのはお前のことだよ」

「え? 私? でも婚約の話なんて……」

「あれはな、ほとんどハッタリみたいなもんだ。というか外堀を埋めようとしたというか……」

「外堀」

「俺の気持ちは、姉上にとっくにバレてたんだよ。でもそれをひたすら否定して何もしようとしない俺に業を煮やして、ひと芝居打って出たというか退路を塞ぎに来たというか……」

「はあ」



 困ったことに、先生の言わんとしていることがまるでわからない。要するに、どういうこと?



「……あ、でも、先生にはほかに好きな人がいたんじゃ……?」

「は?」

「だって、あの本に挟んであった……」



 私は本棚の少し離れた位置に並べてある、あの美しい装丁の本を指差した。



「長い黒髪の、きれいな女の人の肖像画が……」

「お前、あれ見たのか?」

「あー、はい」



 予想外に深刻そうな表情になった先生を見て、なんだかただごとではない気がしてくる。



 少なくとも、浮気が見つかって慌てる男の顔ではない(そういう顔は、残念ながら何度も見たからすぐわかる)。



「そうか……」



 先生は怖いくらいの厳しい表情で、何やら考え込んでいた。それから神妙な面持ちになって、



「……お前には、全部話さなきゃだよな」



 そう言って私をいつものソファに座らせたあと、紅茶を淹れる準備をし始める。一応、『なんでも美味エッセンス』もテーブルの上に置いてくれる。



 そして先生は、ごくごく自然に、まるでいつもそうしているかのように私の隣に座った。なんだかだいぶ距離が近いように思えて、これから多分大事な話が始まるというのにどぎまぎしてしまう。



「あの肖像画の女性はな、俺の母親だよ」

「母親? じゃあ、ラウリエ元伯爵ってことですか?」



 先生のお母様ということは、ロヴィーサ様のお母様でもある。ロヴィーサ様が伯爵位を継ぐ前は、確かお二人のお母様が伯爵だったはず。



「いや、違う。俺の実の母親は、ロヴィーサの母親の妹、つまり元伯爵の妹なんだ」

「妹? じゃあ……」

「俺は本当は、ロヴィーサの弟じゃなくて従弟なんだよ」

「いとこ?」

「そう。ロヴィーサの母親で元伯爵のデシレアとユリウスの母親のイルヴァ、それに俺の母親のエディットは三人姉妹なんだ。昔は『ラウリエの三姉妹』とか言われて、結構有名だったらしいが」



 先生は本棚からあの本を持ってきて、中に挟んであった肖像画を取り出した。



「瞳の色をよく見てみろ」

「瞳?」

「黒髪にラベンダー色の瞳はラウリエの家門に多いんだよ。ユリウスもそうだろ?」

「あ……」

「ロヴィーサとヴィーの髪色はちょっとグレー味が強いけどな。まあでも、ラベンダー色の瞳はラウリエの血族だという証拠だよ」



 言われてよくよく眺めてみれば、確かに肖像画の女性の瞳の色は先生と同じラベンダー色である。



 そして改めて見てみると、この笑顔もどことなく先生に似ているような。



「でも先生の髪色は、黒ともグレーとも言えないですね」

「……お前はほんと、時々恐ろしいくらい鋭いよな」



 ボザボサでだらしなく伸びた先生の髪は、ややグレーに近いくすんだアッシュブロンドである。元はきれいな色だと思うのに、恐らく手入れも何もしていないからいつももっさりしてるけど。



「俺の実の母親はな、俺を産んですぐに産後の肥立が悪くて他界したんだ。まあ、心労とか負担とかも大きかったんだろうが……」

「心労……?」

「俺の父親が先王陛下だから」




 …………は?




 …………え?




「ちょ、ちょっと待ってください。それって……!」



 先生があまりにもさらりと言うものだから、焦って言葉が出てこない。



「それじゃあ先生は、ほんとは先王陛下とエディット様とのお子ってことなの?」

「そう」

「じゃ、じゃあ、王族っていうか、王弟殿下ってこと……?」

「はは、そうだな」



 「はは」、じゃねえ! とツッコみたかったけどやめた。だってこれは、王家にとってもラウリエ伯爵家にとっても明らかに重大なスキャンダルである。冗談めいた軽い口調は、なんだか不穏な展開さえ予感させて落ち着かない。



 だって今の話が本当だとしたら、なぜ先生が王弟であると公表されていないのかという疑問が残る。実は王族であるという事実は伏せられ、「ラウリエ」を名乗っているのはのっぴきならない理由があるからに違いない。



 それに、先王陛下といえば。



「お前も知ってるだろ? 先王陛下がどんな人間だったか」

「あー、はい……。それは、まあ……」



 王子妃教育には、王家の歴史を学ぶ時間がある。でもそこで学ぶまでもなく、先王陛下の評判は決して褒められたものではない。



 良識ある貴族の中には陰で『好色王』と蔑んでいた者も多かったという噂もあるほど、無能で好色な暗君だったと言われている先王陛下。何人もの側妃を持ち、政治には一切関心を示さず、すべてを有能な王太后陛下に任せきりだったことが王子妃教育の教科書にそれとなく書かれてあるくらいには、どうしようもない方だったらしい。



「ロヴィーサの母親、つまり元伯爵のデシレアと王太后陛下は実は親友同士でな。だから妹のイルヴァやエディットとも親交が深かったそうだ。でもあるとき王城で大規模な夜会が開かれて、好色な先王陛下は見目麗しいエディットを見初め、無理やり自分のものにした」

「え……?」



 信じられない突然の不条理な事実に、言葉を失う。



 私の驚愕と動揺を気遣ってか、先生が私の指先にそっと触れる。



「それからしばらくして、エディットの妊娠が判明したんだ。でもエディットは側妃として王宮に上がることを拒んだ。そりゃそうだよな。そこに愛があったわけじゃない。先王陛下も酔った勢いでしでかしたことで、エディットへの暴行を覚えてなかったらしいからな」

「そんな……」

「エディットに対する非情な仕打ちに、ラウリエ家は断固抗議したそうだ。王太后陛下も、まさか先王陛下がそんな鬼畜じみたことをするとは思ってなかったらしい。しかも相手はラウリエの家門の娘だ。王家は昔から、魔女の末裔と言われるラウリエ家をとにかく敬い、良好な関係を築こうとしてきたからな。それに、王太后陛下は親友の妹にこれ以上の理不尽を強いることはしたくないとも言っていたらしい。結局、エディットが先王陛下の子を身ごもった事実は秘匿され、出産したエディットがすぐに他界したこともあって俺はラウリエ元伯爵夫妻の息子として生きていくことになったんだ」



 想像以上の重い告白に、何をどう言えばいいのかわからない。



 黙って先生を見返すと、申し訳なさそうに苦笑する。



「ごめんな。いきなりこんな、聞くに堪えない生々しい話」

「そんなこと……」



 言葉が見つからない。



 だから私は、指先に優しく触れていた先生の手をぎゅっと握った。先生がこれまで抱えてきたであろう痛みや葛藤、怒りややるせなさを思うと、何もしてあげられないことが苦しい。



「お前が思うほど、つらくはなかったぞ」



 そんな私の頭の中なんか全部お見通しらしい先生は、やんわりと手を握り返す。



「むしろ王族じゃなく、ラウリエの人間として生きてこられてよかったと思ってるんだ。元伯爵夫妻(両親)や姉上は当たり前に家族として接してくれたし、あれこれ世話を焼かれてグレる暇もなかったしな」

「ラウリエの家門の方々はみなさんご存じなのですか?」

「まあ、そうだな。ユリウスも知ってるし、ユリウスの父親でイルヴァの夫でもある騎士団長のバーリエル侯爵も知ってる。あ、ヴィーは知らないが」

「それはそうでしょうよ」

「それと、お前の父親も知ってるぞ」

「……え? あ、宰相だからですか?」

「それもあるが、フォルシウス侯爵は陛下が学生の頃から側近候補として常に行動をともにしていたからな。陛下は王太后陛下から話を聞いていたそうだし、侯爵も陛下から直接聞いたんじゃないかな」



 言われてふと、ラウリエ家の材料採取に同行したときのユリウス様の態度を思い出す。



 王家に対して過剰なまでの敵意と反発心を抱いていたのは、こういう経緯があったからなのだろう。先王陛下の理不尽な凶行のせいで非業の死を遂げたエディット様と、その結果生まれながらに因果な葛藤を抱えることになった先生を思えば、あの冷ややかな怒りにも納得してしまう。



「でもな」



 先生は握っていた私の手を両手で大切に包み込むようにして、小さく息を吐く。



「俺の中に、王族の血が流れていることは紛れもない事実だ。ただ、それが公表されることはないし、してはいけないとも思ってる」

「どうしてですか?」

「王位継承権を持つ男子がほかにもいるとわかったら、不要な混乱と争いを招きかねないだろ? それでなくてもハルラス殿下の立太子の話がなくなって、次代の王が誰になるのか先行きは不透明なままなんだ。だったら俺が王族であるという事実は、伏せたままにすべきだと思う」

「でも……」

「それにな、王家の血を継ぐ者が王族以外にもいるとわかれば、いつ誰がそれを悪用しないとも限らない。この先俺が結婚して子どもが生まれたら、公には知られていない王家の血が脈々と受け継がれてしまう。そんな邪道な存在は、これ以上増やすべきじゃないだろ?」

「……もしかして、婚約も結婚もできないと言ったのはそれが理由ですか?」



 困ったように肩をすくめた先生は、何もかもを諦めたような目をしていた。



「俺はお前が好きだし、だからこそ幸せになってほしいと思ってる。でも俺と一緒にいるってことは、結婚して、子どもを生んで、家族が増えて、そういう普通の幸せを諦めるってことになるんだ。お前、それでもいいのか?」















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